本という贅沢131 『風とともにゆとりぬ』

さとゆみ#131 暇つぶしならぬ、哀しみつぶしに最高です。朝井リョウさん『風とともにゆとりぬ』

隔週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。コロナ禍や先日の地震など“不安”は惹起されるばかり。今回取り上げるのは、そんな気持ちを和らげてくれる1冊。紹介するのは書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんです。

●本という贅沢131 『風とともにゆとりぬ』(朝井リョウ/文春文庫)

かれこれ月曜日のことだけど、朝起きたら急激に爆裂に死にたかった。

髪の毛の先から足の指の爪先まで、蒼い液体のようなものがひたひたと満ちて、全身が哀しみに染色されていた。
息を吸おうとしても、空気が重くて湿っていてうまくいかない。
かろうじて取り込んだ薄い酸素も、やはり蒼い。哀しみのスライムは細胞を侵蝕して、身体も心もブルーに染まっていく。

年に何度かこういう日がある。

お願いだから、こういうときに「あなたが死にたいと思った今日は、誰かが死ぬほど生きたいと願った今日」とか、説教しないでほしい。
もう、こういう日はどうしようもないんです。

身体を起こそうとすると、頭がぐわんぐわんと痛い。
枕元に常備しているバファリンプレミアムを、水無しで飲み込む。
キッチンまでなんとかたどり着き、窓の外に広がる鈍色(にびいろ)の空を見て理解する。
うわ、これ、殺人低気圧だ。

ケータイで検索すると、今日は台風並みの低気圧ですと、書かれている。
どおりで。

私は背骨の横を通る血管のポンプがヤラれてるので、乱高下した低気圧の日は文字通り血が巡らない。
今日はもう、諦めよう。
幸いにも、超絶久しぶりに締切のない日だった。
ベッドに戻り、布団をかぶる。

と、その時だった。
ケータイにぴろんと通知がくる。

「家にいると仕事する気がわかないので、六本木のシェアオフィスにいます」

以前、このコラムを担当してくれていた編集さんからだった。
「今日、低気圧やばいよね」
と返事すると
「あー、だから朝、ちょっと情緒不安定だったのかー」
と返ってくる。

何度かラリーしてるうちに、そういえば明日締切のtelling,の書籍をまだ読んでないことに気づいた。
読書家の彼女に、最近面白かった本はなに?と聞く。

間髪入れず
「朝井リョウさんの『風とともにゆとりぬ』が2020年一番おもしろかったです」
と、戻ってくる。

タイミングが悪い時は、本当に、悪い。
その本、単行本で買ってから2年積読してたんだけど、先日の地震で積読タワーが崩壊して身の危険を感じたのをきっかけに、読まないまま処分してしまったところだった。
それがちょうど、昨日のこと。

それを伝えると
「ウケる! 私、友達にプレゼントしまくりましたよ」
と、返事がくる。
「何がいいの?」
と聞くと
「いや、何の役にも立たないんですけど、面白くて最高なんですよ。人にプレゼントするのにぴったりで」
と言う。
「人に本を貸すときって、なんかマウント的な要素があるような気がしていたんですが、これだけは『ただ楽しい本だから』って勧めやすいんですよ。何の役にも立たないゆえに」
と、続く。

そういえば、
帯に『読んで得るもの特にナシ!』って書いてあったよな、と思い出す。

「いやマジ、何の役にも立たないんですけど、12月は心がすり減ってたから、毎日1章ずつ読んでいいルールにして、それを楽しみに生きてました」

この短いやりとりの中で、3回も「何の役に立たない」って書いてある。
褒めてるのか貶してるのかわからないんだけど、いや、褒めてるのか。

「私、12月に感謝している人ランキング1位、朝井リョウ様」
というダメ押しのメッセを見て、Kindleをポチッとした。

ここまで、5分。ベッドから一歩も出ないまま、ページをめくる。
あー、こういうやつか。

いやはや。うん。
たしかに、何の役にも立たない。笑。
いや、違うな。
そんなこともない。

いままで身体をパンパンにしていた蒼い憂鬱が、少しずつ揮発していく。
くすっと笑いが漏れていくたびに、一緒に、身体を満たしていたブルーも排出されていく。あ、身体、軽くなってるなと、気づく。

朝井さんの本は、
『桐島、部活やめるってよ』
とか
『何者』
とか、ヒリヒリするものばかり読んできた。だから、この本も多分、こんな時じゃなければきっと読まなかった。

たしかに暇潰しの本、と言われるジャンルかもしれない。忙しさを蹴倒している毎日だったら、きっと読まなかっただろうと思う。得るものは特にないし、むしろ時間が奪われていくだけの本だったけれど。
だけど、役に立たないかというと決してそんなことはなく。

あー、死にたい。
って思った重い重い身体を引きずっている時間を、1時間前に進めてくれただけでも、すごい価値だなあって思う。

死ぬのを1時間先延ばしにしよう。
1時間読んだら、もう少し読みたくなって、もう1時間先延ばしにしよう。
気づけば数時間、時間が過ぎている。
こんな、哀しみつぶしの本、最高じゃないか。

ひょっとしたら、
太宰とか、カフカとか、そういうのだけじゃなくて、こういう本が、人の命を延命してるのかもしれないなあ。なんて、思った。
気づけば、頭痛もだいぶおさまってきた。

編集さんのメッセージには
「朝井リョウ天才だし、こんな文章を書けるようになりたい」
と、書かれていた。
たしかに、朝井リョウさん天才だし、こんな文章を書けるようになりたい。

ところで、このコラム用の書影を撮るために、文庫本を買いました。
単行本→電子書籍→文庫本と、この本を3回も買った女は、私くらいかもしれない。
でも、3冊分のモトは、とりました。

・・・・・・
ちなみにこの『風とともにゆとりぬ』には、このコラムで以前ご紹介した柚木麻子さんが、朝井さんの友人として登場します。
読んでいると、朝井さん以上に、柚木さんのファンになってしまいます。

それではまた、水曜日に。

●佐藤友美さんの新刊『女は、髪と、生きていく』が発売中です!

佐藤友美さんのコラム「本という贅沢」のバックナンバーはこちらです。

・病むことと病まないことの差。ほんの1ミリくらいだったりする(村上春樹/講談社/『ノルウェイの森』)
・デブには幸せデブと不幸デブがある。不幸なデブはここに全員集合整列敬礼!(テキーラ村上/KADOKAWA/『痩せない豚は幻想を捨てろ』)

・人と比べないから楽になれる。自己肯定感クライシスに「髪型」でひとつの解を(佐藤友美/幻冬舎/『女は、髪と、生きていく』)

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。