さとゆみ#130 誰もが推しと生き、推しと死んでいる。芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』の刺さり方
- 【画像】芥川賞に決まった宇佐見りんさん【受賞当日】
- デビュー作『かか』の書評コラムはこちらです。
- 前回はこちら:さとゆみ#129 みなさん、お金は好きですか? お金持ちになりたいですか?『職業、お金持ち。』
●本という贅沢130 『推し、燃ゆ』(宇佐見りん/河出書房新社)
これは大人になってから知ったことだけれど、1日が24時間で、1時間は60分で、その長さは常に変わらないというのは、嘘だ。
いや、相対性理論がどうこうといった難しい話じゃなくて。
時間は、決して均一に流れていないということをね、大人になると知るよね。
たとえば、たった数分の記憶を何度も何度も脳内で転がすことって、ある。そのとき私たちは、その時間を文字通り糧にして生きているし、何度もその時間を体験し直して生きている。そんな時間は、数分でも、長い。長く人生を支配する。
一方で。
異変がなければ、その部分の映像は消去される警備用カメラのように、“なかったことになる”タイプの時間もある。とどまらなかった記憶は、さらさらと空気に溶けて、蒸発してく。
私が、「ていねいな生活」という言葉に、いつも抱くちょっとした違和感。
それは多分、全部の時間をていねいに過ごしたいなんて、思ってもいないからだ。もっと偏愛的に、一瞬に一ヶ月分を燃やすような時間があれば、それでいい。その記憶だけで、残りの29日は食っていける。
「忘れられない時間を過ごした」なんて、人はよく吐くけれど(私もよく書くけれど)、本当に忘れられない時間なんて、そう多くはない。
『推し、燃ゆ』を読んでいる間、そんなことをずっと考えていた。
以前、このコラムで紹介した『かか』もそうなのだけれど、宇佐見さんの文章は、「その瞬間」が爆発的に増幅されて、重みと厚みでつぶされそうなくらいの圧でせまってくる。
たとえば、
推しを“発見”した瞬間。
推しと“重なろう”とした瞬間。
そして、推しを“解釈できたかもしれない”と思った瞬間。
それぞれの瞬間が、呼吸もできないくらいの濃度でせまってきて、それ以外の日常をなぎ倒す。人生が推しに染まっていく。
逆に、推しに関係しない時間は、どんどん希薄になっていく。あってもなくてもいい時間になっていく。
そのコントラストが残酷なくらい、くっきりとしている。
推しに生活を侵食されていく描写を、私は、どこか憧れを感じながら読んでいた。
推しが見ている景色を見たい。
推しと思考を重ねたい。
そして、掛け値なしに無防備に、推しを愛し尽くしたい。
ああ、私も、そう願ってずっと生きてきたなあ。
そう思ったのだ。
“推し”を、恋人や、好きな人、尊敬する人などと置き換えたら。私だけではなく、多くの人がそうなのではないだろうか。
自分ではない誰かを知りたくて、理解したくて、ときどき核心に手を触れることができた気がして、その瞬間が欲しくて生きている。
正直、自分をわかってもらうことよりも、誰かの理解者でいられるかもしれないと感じることの方が、快感の度合いが強い。幸せの密度が濃い。
ただし。
そんな推しを愛し尽くす人生には、大きなリスクがある。
そう。
推しの消失だ。
推しを推す生活は、
つまり、愛する人を掛け値なく推す生活は、
多くの場合、終わりがくる。
自分都合で終えられるときはいいけれど、もしくは推しを乗り換えられるときはいいけれど。相手都合で、ある日突然推しが消失すると、それはもう自分の死とニアリーイコールだ。
この小説でいうところの、“自分の背骨”を明け渡してしまうと、推しが消えると自分も消える。
世の中には、こういった「透明な死」があふれている。そして、「透明な血」で染まっている。
宇佐見さんの小説は、そんな透明な死の現場に流れた透明な血を、ルミノールで炙り出したような感じだったよ。
各所で言われているように、『推し、燃ゆ』は、とても今っぽい小説だと思う。
21歳の作家さんならではの筆致で、今どきの若者を取り巻く世界が、今どきの装置と言葉でビビッドに描かれていると思う。
だけど『推し、燃ゆ』が、私にもここまで刺さってしまうのは、「推しのある生活」の豊かさと、「推しのある生活の消失」の絶望を、みんな知っているからだ。
人は、一人で生まれてきて、一人で死んでいくと言われるけれど。
それは嘘だと、みんな直感的に知っている。
私たちは、死ぬまでにちょっとずつ、誰かと一緒に死んでいく。
私たちの死も、ちょっとずつ誰かを、殺していく。
『推し、燃ゆ』は、推しの話のようでいて、推しだけの話じゃないんだよ。
若者の話のようでいて、若者だけの話じゃないんだよ。
これって、誰と生きて誰と死んでいくかの話なんじゃないかなあ。
そんなことを、思ったよ。
それではまた、水曜日に。
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