この本で「春樹デビュー」する人をちょっと羨ましく思う、古参からは以上です
●本という贅沢116 『一人称単数』(村上春樹/文藝春秋)
元カレとの付き合い方については、人それぞれ、かなり個性や信条が出るよね。
二度と会わないという人も多いし、「別れた瞬間、死んだものだと考える」という人もまあまあいる。
その一方で、いまも時々会うよと言う人は、わりに親密な関係を再構築しているケースが多い。むしろ、シタくなったときに呼び出すのが元カレと言う人も少なくない。
もちろん、元カレが一律、絶縁orセフレというわけではなくて、相手によって前者だったり後者だったりするのだろうけれど、
①二度と会わない
②2人で会うとまあまあ男女関係
の2つの場合が多くて
③2人でよく会うけど100%しない
は、少数派な気がする。(さとゆみ調べ/2001-2020)
で、なんでそんなことを考えていたかというと、村上春樹さんの新作『一人称単数』を読んでいる間じゅう「なんかこの感覚、既視感あるなあ」と思ってたんですよ。
半分くらい読んだところで、あっそうか! と、思い当たった。
そうか、コレ。元カレと会っているときの感覚に近いんだ。
例えば……
あー、懐かしい。その言い回し。ずいぶん時間が経ったのに、あなた、いまもそんな感じなのね。
そうそう。あなたといると、虚構と現実のあわいが溶けちゃって、そんな、時空を超える感じが好きだった。
そういえばあなたって、無邪気に、女性の若く瑞々しかった時代を美化して、私をイラッとさせるところあったよね。そういうところ、全然変わってない。
一方で、男性については青年時代ではなくて、年を重ねた大人の男を評価する感じあるよね。当時は気づかなかったけど、それってずるくない?
うん、でも、わかる。そんなあなただから、今でも若い子のファンが増えるんだよね。きっと今でも、20代や30代にモテてることでしょうね。
いくつになったの? え? 71歳? まあ……それはそれは。
みたいな、感じです。
昔、好きだった男の人の、
だから好きだったはずの色気を、え、今でもそんな感じ? と、なんかちょっとからかってみたくなったり。
だから嫉妬して苦しい思いもした、人たらしの部分を、ふふふ、相変わらずね、とツンツンしてみたり。
そこにもう、現在進行形のドキドキは存在しないのだけれど、
「やっぱり、憎いほど上手ですよね」
「でも、私はあなたの手の内、わかっちゃってますけどね」
みたいな、親近感と優越感。
本を読んでいる間、そんな気分を、ずっと味わっていた。
天下の村上春樹さまをつかまえて、お前、ナニサマだよ発言だけど、でも、それくらい、昔、いっぱい愛したんだよなあ。
あー、好きだったなあ、この文体。
昔はドキドキしたなあ、この展開。
この本ではじめて村上作品に出会う人たちは、幸せだろうなあ、って。
村上作品は8割以上読んでいるし、卒論も村上春樹さんで書いた私なのだけれど、この本は、村上さんの、もっとも村上さんらしいテーマと文体が結実している、と思う。
実際、この本で初めて村上さんに出会ってファンになったという若い世代の声を、SNS上によく見かける。
この本をいま、20代や30代で読み、ここから村上さんの過去の作品を読み漁る人がいたとしたら、羨ましいな、とも思う。
これまでなんとなく、村上作品に触れてこなかった人にはおすすめです。
これが好きなら、他の本も好きだと思うし、これが合わなければ、ほかも合わないと思う。それくらいザ・ハルキ・ワールドです。
かつて村上さんが好きだったけれど、最近の長編はしんどくてという②タイプの人にもおすすめです。もういちど、恋できるかも。
わたしと同じ③タイプの皆さまにおかれましては、かつてはたしかにそこにあった青春を思い出して、あー、遠くになりにけり、と一緒に切なくなりましょう。
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この本の直前に刊行された『猫を棄てる』が、「村上さんもついに70代になられたかあ」という、いい意味での枯れた感があって安心して読めたのだけれど、
それを読んでからの、この『一人称単数』は、あらあらまだ全然現役なんですね感満載で、なんとういか、そのギラつきというか性欲というか、そういうものにあてられました。
やはり、親の死がからむと(『猫を棄てる』)性はなりをひそめるのかな。
対照的な2冊でしたよ。
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それではまた来週水曜日に。
●佐藤友美さんの新刊『女は、髪と、生きていく』が発売中です!
『女は、髪と、生きていく』
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佐藤友美さんのコラム「本という贅沢」のバックナンバーはこちらです。
・病むことと病まないことの差。ほんの1ミリくらいだったりする(村上春樹/講談社/『ノルウェイの森』)・デブには幸せデブと不幸デブがある。不幸なデブはここに全員集合整列敬礼!(テキーラ村上/KADOKAWA/『痩せない豚は幻想を捨てろ』)
・人と比べないから楽になれる。自己肯定感クライシスに「髪型」でひとつの解を(佐藤友美/幻冬舎/『女は、髪と、生きていく』)