産めなかったけど母になったよ!~よしもとタレント、養子縁組で母になる 09

【養子縁組コラム09】4人家族になったよ!二人目の養子、入籍の報告

待望のわが子を特別養子縁組で迎えた吉本興業所属のタレント・女優の武内由紀子さん。初めての男の子を迎え入れてから2年3年が経ち、昨年4月には新たに二人目となる女の子がやって来ました。先日、正式に二児の母となった武内さん。審判が確定した時、そして初めて娘と会った時の率直な気持ちをテリング世代につづります。

telling,読者のみなさん、こんにちは!昨年春にこのコラムを書いてから、1年以上経ちました。まだコロナ禍が続いていますが、おかげさまで一家全員元気に過ごしています。まずはご報告で、昨年4月に2人目の養子縁組となる生後9日目の女の子を迎えました。そして試験養育期間などを経て、6月中旬に戸籍の上でも親子となりました!

夫と静かによろこび合った

「正式な親子として認めてほしい」と、家庭裁判所に審判申し立てをしてから1年3カ月。新型コロナウイルスの流行などで裁判所の進行が遅れ、息子の時よりも審判の確定に時間がかかりましたが、無事に入籍できました。

娘の名字が私たちと同じになった戸籍謄本を見た時は、率直にうれしかったです。ようやく入籍できたんだなって。何かが変わるわけではないですが、私も夫も「これで離れられない家族になったね」と、静かによろこび合いました。

でも、よろこび一色だったかというと、実はそうでもなく。そこには「切なさ」もありました。それは、「娘と実母さんとの親子のつながりは切れてしまったんだ」という感情。それまで、娘の検診で病院へ行く際、保険証などで娘の名字を見る度に、なんとなく実母さんとの “つながり”を感じていました。籍が変わることで、そのつながりが切れてしまうように思ったんです。実母さんが生みの親という事実は変わりませんが、複雑な気持ちも混ざっていました。

息子の入籍の時は、お祝いに寿司の出前を頼んだのですが、今回はそんな余裕はなく(笑)2人の子どもたちにご飯を食べさせるので精一杯!いつも通り、にぎやかで慌ただしい、私たちらしい「日常」を過ごしました。

娘との対面、第一印象は「ちっちゃい!!」

娘に初めて会ったのは、昨年の春。コロナ禍のため、私と夫が病院に迎えに行くのではなく、団体職員さんと助産師さんが我が家に連れてきてくれる形での顔合わせとなりました。

夫と息子と3人で「今か今か」と待っていたのですが、家だとなかなか心の準備ができなくて。バタバタしている中、ピンポーンとインターフォンが鳴り、「あ、入ってください…!」と3人を招き入れました。

助産師さんに抱っこされている娘を見たとき、「ちっちゃい!!」と思いましたね。予定日より早めに生まれてきたため、2600グラムほどしかなく、壊れちゃうのではと思うほど。3000グラム以上あった息子とは、印象が全然違いました。
助産師さんが「小さくて脂肪も少ない分、あったかくしてあげて下さいね!」と教えてくれたので、着る物や室温、布団など、息子の時より気を配っていたように思います(笑)。

性別は受け入れ直前までわからなかった

特別養子縁組を申し込む時、養子の性別は選べません。私が登録している団体では、養子となる赤ちゃんが生まれた後、実母さんに「本当に養子に出していいか」と最終確認をしてから、養父母に連絡がいきます。なので、受け入れ日時や性別などの詳細は、直前にならないとわかりません。

私は昔から、「子どもを授かるなら、女の子がいいな」と考えていました。自分が女ですし、姉もいるので、同性の方が育てやすいかなと思っていたんです。

でも、妊活中は「もう男でも女でも、ほんまにどんな子でも全力で育てるから授かってー!」と思っていたし、特別養子縁組でも性別が選べないのも納得していました。
息子の受け入れについて連絡をもらった時には、嬉しい反面、男の子の育て方が未知すぎて、少し戸惑ってしまったのも正直なところ。
夫は男の子が良かったようで大喜びでした(笑)。

そして2人目。
息子が可愛すぎるのと、今となっては男の子の育て方しか分からなくなっていたので「2人目も男の子だったらいいなぁ」と思うようになっていました。
…今度は女の子でした。
どちらの時も、私の希望とは逆の結果だったという(笑)

結局、男の子でも女の子でも、可愛くてしょうがないです!

起きたことが事実であり、それが運命

試験養育期間を経て、4人家族になった私たち。正式な親子になれるかどうか分からない、この期間については、特別養子縁組をした他の家族から「落ち着かない」という声も聞きます。
私たち夫婦はというと、今回の娘の時も以前の息子の時も、そこまで不安に思っていませんでした。

それは決して物事を楽観視しているわけではなく、起きたことがすべてであり、それが運命だと思っているからです。

息子の「頭が大きい問題」の時もそうでしたが、子どもの病気やケガや事故など気にし出したら止まりません。どれだけ注意しても病気になってしまうことがあるように、どれだけ祈っても特別養子縁組が認められないケースはあると思います。

それも含めて運命なのだと考えているので、どういった結果になっても、その現実をありのまま受け入れようと思っていました。

ただ、息子の時にはなかった心配はありました。息子はハイハイができるようになった生後8カ月の頃に入籍しましたが、娘は歩き出すのが早く、入籍前に迎えた1歳で走り回るほど活発。「もし怪我をしたら」「もし事故にあったら」――その責任は誰が取るのだろう。育てられなくなることはあるのだろうか?という不安がありました。それは入籍まで時間がかかったからこその気持ちでしたね。

「籍を入れること」について

結果的に娘は私たちの戸籍に入り、法律上も親子になりました。それはとてもうれしいことです。一方で、「籍を入れる」以上に大切なこともあると思っていて。
夫とは結婚する際に籍を入れましたが、正直なところ、そこには強い希望はありませんでした。戸籍上の家族ではなくても、家族と同じような関係性を築くことはできると思っているからです。それは夫も同じ価値観でした。
日々の生活を一緒に過ごすことで、家族になっていくという実感があります。娘の審判の確定時期は、コロナの影響で通常よりも遅れましたが、時間がかかってもあまり気になりませんでした。

今は、いろいろな家族の在り方がある時代です。制度に捉われず、本人の意思が尊重される世の中になったらいいなと思っています。

タレント、女優。1993年に「大阪パフォーマンスドール」としてデビュー。現在は読売テレビ『大阪ほんわかテレビ』や劇場『ルミネtheよしもと』などで活躍。2013年に7歳年下のパン職人の夫と結婚。
同志社大学文学部英文学科卒業。自動車メーカで生産管理、アパレルメーカーで店舗マネジメントを経験後、2015年にライターに転身。現在、週刊誌やウェブメディアなどで取材・執筆中。
熊本県出身。カメラマン土井武のアシスタントを経て2008年フリーランスに。 カタログ、雑誌、webなど様々な媒体で活動中。二児の母でお酒が大好き。
産まずに母になったよ!