本という贅沢98『自分の感受性くらい』(茨木のり子/花神社)

自分の言葉を、乾いていく心を、感受性を、どう守っていけばいいのだろう

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。今月のテーマは「転換」。 相次ぐ新型コロナウイルスの感染確認。明るい未来が語れなくなり、つい心はささくれがちです。今回取り上げるのは、そんな我々に響く言葉を紡いだ1冊。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢98『自分の感受性くらい』(茨木のり子/花神社)

『自分の感受性くらい』(茨木のり子/花神社)

コロナ問題がそこまで深刻ではなく、まだ仲間と集まり食事することもできていた頃、私はイラつきはじめた報道とSNSに疲れきっていた。telling,でこのコラムを書いた頃だ。

ちょうどその時期、女優を生業としている友人の、こんな投稿を見た。

私は戦争を経験していないから、どこまでいっても戦争を知っている役者さんには敵わないと思っていた。 そんな私が、コロナの時代を経験することになったのだから、どんなに辛くても、世界や人の気持ちがどのように動いていくかをちゃんと見届けたい。そして身体に取り込みたい。いつかまた表現する日のために。 

原文が見当たらないので、細かな言葉遣いは違うかもしれないけれど、こんなニュアンスだった。
当時の私がもやっと考えていたことを、明確に言語化してくれたような気がした。
私も、この時代にとっぷり身を浸して感じつくしたい。この先、書いて生きていくためにも。いや、書かなくてもいい。この先の人生をどう生きていくか考えるためにも、と、思いはじめた時だったからだ。
彼女にそれを伝えると、「私とさとゆみさんは、別々の山を同じ方法で登っているのだと思う」と言われた。

こんな時代だからこそ生まれた、優しさや愛情や静かな情熱だけではなく、不安や不寛容や思考停止や攻撃も。自分の感情の変化はもちろん、なるべくいろんな人の感情を受け取ろう。髪の毛の先っぽから、足の爪先まで、一度身体に通してみよう。 

そう決めた私が、真っ先に思い立ったのは、自分の言葉と心を守る手段をちゃんと確保しておかなきゃ、ということだった。
それで、本棚から取り出したのが、この詩集『自分の感受性くらい』だ。

タイトルにもなったこの詩「自分の感受性くらい」は、5年前に亡くなった茨木のり子さんの代表作でもある。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

で始まるこの短い詩は

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ 

で、終わる。

正直言って、常時であればまだしも、非常事態に「ばかものよ」と言われるのはちょっとキツイ。「ひとのせいにはするな」「時代のせいにはするな」だって、今読むと刺さりすぎる。それじゃなくても弱っている心に送るエールとしては、サディスティックがすぎる。
だけどこの詩が、戦争で生活から芸術や娯楽が消えていったときのことを詠んだものであると教えてもらって、少し響き方が変わってきた。

人が救われるのは、愛する人にいたわりの言葉をかけられた時だけではない。闘うものが発する怒りの言葉もまた、人を救う。しかも、この詩は誰かに対して怒っているわけではないのだな。彼女が鼓舞しているのは、ほかならぬ、自分自身の魂だったのか。

それに気付いてから、数日に一度は取り出して読み返している。

こんな時代になって気づいたことがある。
自分にたくさんの友人がいて、良かったなということだ。

それまで、友達なんて少数でいい。友達100人できるかなという歌詞をむしろバカにしていた私だけれど、いまは、日本の、世界の、いろんな場所で同じ時代を生きている友人の存在を信じていることで、保たれる自分がいることに気づく。

救命救急に携わる友人の発信を見て、自分がすべきことを迷わずにいられる。

官邸で働く友人を思い浮かべることで、さまざまな政策方針が、ベストを尽くそうとしている人たちの途中経過だと理解しようと思える。

マスコミで働く友人たちが持っている個々の矜恃を知っているから、少しずつ変わりはじめた報道のあり方を、今はまだ焦らずに、待っていられる。

飲食業に勤める先輩、観光業で働く後輩、保育園に勤務する身内。休業を決める地獄と営業を継続する地獄。何を選択しても苦渋の決断だろう。
立場の違う人を糾弾している知り合いの投稿も見る。この人の心をここまで追い詰めている現実の酷を、なるべくリアルに想像する。

子どもを産む友人がいる。親を看取った友人がいる。看取れなかった友人がいる。入院した友人がいる。手術が延期になった友人がいる。愛する人との道を裂かれた友達もいる。

感染が急増する国に住んでいた友人は、ご主人の勤務先から避難命令を受け、子ども2人と急遽帰国することになったという。地雷だらけの国に赴任した時でさえ、家族が離れて暮らすことは考えられないと帯同した彼女が、夫を残して帰国する悲嘆はいかばかりか。

いろんな場所に生きる友人たちの顔を思い浮かべ、そして私は、彼/彼女らを好きだし、信じていると感じることで、保てる冷静があるな、と思う。そんな友人たちが各所で奮闘している世界は、いつかきっと良い方向に向かうという信頼だ。

自分の内側を信頼する人たちの愛情で満たしながら、そして、ときどき外界の荒波にさらしながら、この時代のざらつきやひりつきを忘れずにいようと心に刻む。
自分の心をどばっと開いてザクザク弓矢を受け止めて、少し気が狂いそうになりながら、それでも、そうやってこの時代を能動的に感じたいと勝手に自分で決めたのだから、自分の感受性くらい自分で守れよと、言い聞かせる。

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

何度読み返しても、やっぱり痛いなあ、厳しい言葉だなあと思う。
でも、時代を超えて残っている言葉は、いつだって結局は「刺される」ものだと思う。その鋭利が、時代を超える理由なのだろう。

いまの時代を、茨木さんが生きてらしたらどう表現するのだろうか?
それを知りたいと思うのだけれど、きっと

自分の気持ちくらい
自分で表現するのだ
ばかものよ

と言われるんだろうな。

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それではまた来週水曜日に。

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ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。