疲れてささくれだった心を包んでくれる、はちみつみたいに濃厚な言葉たち
●本という贅沢91『今夜 凶暴だから わたし』(高橋久美子・濱愛子/ちいさいミシマ社)
多かれ少なかれみんな、職業病ってあるんじゃないかなって思うんだ。
たとえば知り合いのネイリストさんは、人のネイルを見ると、そのデザインとストーンの数から即座に両手のお値段を計算してしまうそうだ。
わたしはライターという職業がら、言葉の「かたち」や「色」や「温度」みたいなものに、ちょっとだけ敏感め、だと思う。
書籍のライターは、著者さんに数十時間インタビューして聞いた話を、10万字前後にまとめる仕事だ。執筆時期はだいたいずっと、著者さんの取材中の音声を聞いている。移動中も料理しているときも、佳境に入ると寝ている間も音声を流し続けている。で、その人の言葉を自分の体の細胞に記憶させて、身体をその人にあけ渡して使ってもらう、みたいなイメージで書いています。
さて、そんな生活をしていると、何が起こるか。
わたしの場合、マッチョな著者さんの本を書いていると、ヒゲが生えてくる。
セクシーな著者さんの本を書いているときは胸が大きくなったし、政治家さんの国会答弁や所信表明演説ばかり聞いていた時期は生理が止まった。
なんというか、その著者さんが使う言葉の温度や湿度や粒の大きさや、丸みやとがり方に、身体がすごく影響されるのだ。
で、そんななか、今回のコロナであります。
リアルでもSNSでも、めちゃくちゃ怒っている人たちの強い言葉がたくさん飛び交った。言葉がね、赤みを帯びてチカチカ発光してる。槍みたいなのがシャワーのように降ってきてざくざく刺さる。
いや、こんな非常事態だから無理はない。どこかに怒りの矛先を向けないとやっていけないだろうと思う。吐き出すことは大事だ。誰が悪いわけでもない。
でもこれは、日頃なかなか図太いわたしでも、結構まいった。まいったなー。まず、赤く点滅する言葉たちを見ているだけで、視力ががくんと落ちた。
私はそれでもメンタルが強い方なので大丈夫だけれど、友人のライターさんたちはモロにくらってた。人の悪意ある言葉に触れるだけで、満身創痍になる人種なのだ。もちろんライターに限らず、ささくれだった言葉たちに心が痛んだり疲労した人も多かっただろう。
わたし自身はここしばらく、「言葉を五感で受け取るセンサー」みたいなものをオフって、乗り切ろうとしていた。でも、このスイッチを完全にオフると、結構、心が硬くなる。
まずいなあ、これ以上硬くなってくると、文章書きにくくなるなあ、どこかでほぐさないとなあ、と思っていたときにですね。この本に出会いました。
心がゆっくりほどけていくのがわかりました。
ページをめくるのがもったいないような、何度も何度もそこに並ぶ言葉を撫でながら味わいたいような気持ちになったな。
ちなみに、詩集です。
舌の上で言葉をゆっくり転がしながら読んでいたら、スカートにぽつぽつ水滴が落ちているのが見えて、え、なに雨漏り? って思ったけど、まさかの自分がぽろぽろ泣いてた。想像以上に疲れていたみたいだ。
この詩集は
お月さまや、
お月さま。
三十五の女は
どんなことを
考えていたら
普通なのだろうか
ではじまる。
あったかいはちみつのようにゆっくりねっとり、言葉にちょうどいい粘度があって、心のひだとひだの間に流れてくる。あー、心って、こんな形にひだひだしてるんだってわかるくらい、無抵抗の体に満ちていく。
そして、過去のどこかで一瞬ひっかかったまま、でもそのまま手離してしまった言葉にならなかった感情を、ここに並ぶ詩が思い出させてくれる。
たとえば夜。見慣れた街を一人で歩いているときのこと。
→知っている人とすれ違ったけど、声かけない 今夜 凶暴だから わたし(夜中の散歩」より)
たとえばお酒。酔いに落ちるその一瞬前に。
→右の私は わたし 左の私は 女の人(「五年ぶりに」より)
たとえば恋。終わりのはじまりを感じたとき。
→眼の裏に コンタクト忘れてきた気がする 最近 見えないのよ 大切にしていたもの ぼやけていくの(「水」より)
たとえば離別。それはきっとゆるやかな死であると。
→今日は二人の命日ね 二人の歴史はもう 別々の鍵穴(「命日」より)
2回、ゆっくり、ゆっくり読んで、髪の毛から足の爪の先までとっぷり、豊潤な言葉に浸かる。腕のいいセラピストのオイルマッサージにいったときのように、心がほぐれたのを感じたなあ。
痛んだ心を、硬くなった心を、いたわってあげたくなったときに、いかがでしょうか。
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高橋久美子さんはチャットモンチーのドラマー・作詞家を経て作家になった方。彼女がさまざまなアーティストに提供した歌詞もまた、いいです。
そして、濱愛子さんのイラストが、普段あまり開かない扉をノックしてくれるタイプの官能的なイラストで、重ねて良かったのでした。
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それではまた来週水曜日に。
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著:佐藤友美
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