失った恋にも亡くなった人にももう一度出会える。悲しみを味わい尽くす方法
●本という贅沢85『悲しみの秘義』(若松英輔/文藝春秋)
大学時代に学んだことのひとつは「時期がこないと受け取れない文章もある」だ。
あれは古今集だったか新古今集だったか。
ひとつの床にあるのに、背中合わせに寝ることの切なさを詠んだ歌があった。恋人同士の話だったか、長年連れ添った夫婦の話であったか。いずれにしても事後の歌だったのではないかと思う。
もうすぐ還暦を迎えようという温和な教授は、「こういう歌は、まだあなたたちには味わい尽くせないかもしれないですねえ」と、静かに言った。
教授の予言のとおり、私がこの歌のことを思い出したのは、それから何年も経ってからのことだ。
眠りに落ちる時、いつも後ろから抱きとめてくれていたはずの腕の不在に気づいたとき。いつしか背中合わせに眠る日が増えてきたと気づいた日の夜、この歌のことを思い出した。
そうか、あれは砂時計がひっくり返った合図であったか。その砂が落ちていく音だったのか。
さらさらさらさら。
その速度はどれくらいかわからないけれど、あれは、もう少しで終わる恋をひとりカウントダウンする歌だったのだな。
女が閨(ねや)に放ったかなしみが、1000年の時を超えて私の心に満ちていく。
私はその女の心に語りかける。そうか。あなたが感じたのはこういうやつか、これはつらかったね。かなしかったね。女に話しかけているようで、その言葉は自分に向けられている。
はじめて読んだときから、何年もかかって、女の言葉が私の心の中に着地する。いま私ははじめて、この歌を味わっているのだなあ。教授はあの時なんて言っていたっけ。時差がありすぎて受け取りきれなかった教授の解釈も、聞きたかったなと思う。
読むというのは、書くことと同じくらい、クリエイティブな営みだ。
いつでも読めるとは限らない。
前に読めなかったからといって、ずっと読めないわけでもない。
そしてもうひとつ気づいたことがある。
以前は読めなかった文章が、読めるようになったとき。それはたいてい何かを失ったときであるということ。欠如したその凹みに、言葉がしんしんと満ちていく、と感じる。
欠如を経ないと、受け取れないタイプの文章がある。
『悲しみの秘義』には実は、2度出会っている。
2年前、誰かに勧められて単行本を手にとったとき、そこに並んでいる言葉は、ただの言葉でしかなくて、目は文字を追っていたけれど、体は別のことを考えていた。
昨年の年末、2度目にこの本に出会ったとき、私はずっと「不在の存在感」について考えていた。
昔は、「そこにあなたがいない」ことを、くっきりと手でなぞることができたけれど、いまはその不在がちゃんと立ち上がってこない。不在に鈍感になっている。
それは、心を守るためかもしれないし、病まないためなのかもしれない。悲しみすぎると壊れてしまう。鈍感さは防衛本能の一種なのかもしれない。
悲しみを避けようとする。
できるだけ遠ざけようとする。
なるべく目を向けず、なるべく記憶の奥底に沈める。
でも、なんかそれだけじゃきっとダメなんじゃないかと、本能的に思ったんだろう。
2年前に単行本で読んだときはまったくもって響かなかったこの本を、空港の書店で見かけて、もう一度持ち帰ってきた。
私が2年前に読んだ本は本当にこれだったっけ?と思ったほど、言葉が細胞のすみずみにしみわたっていく。
年末年始、同じ文章を何十回も読み返した。
悲しみは別離に伴う現象ではなく、亡き者の訪れを告げる出来事だと感じることはないだろうか。 愛しき者がそばにいる。どうしてそれを消し去る必要があるだろう。どうして乗り越える必要があるだろう。
ここに書かれていたのは、悲しみを尽くす方法だった。
悲しみを味わい尽くす。
そうしてもう一度、その人に出会う。
会えなくなってからしかできないこの喪の作業を、やり尽くすこと。
この本では、愛する人を失った人たちが放った慟哭のような言葉を、祈りのような言葉を、著者の若松さんがその両手にもう一度乗せ、悲しみを尽くしていっしょに味わってくれる。
昨年、失ったとても大事な人の顔を思い浮かべる。
思い浮かべようとするだけで、肩甲骨のあたりがきしむ。
でも、この本に手を差し伸べられて、悲しみに体をあずける。
そして、悲しみを尽くす。
本を読んでいた空港で、実家の書斎で、帰りの飛行機の中で、カフェの中で、見慣れた街の交差点で。その人の姿をもういちど見ることができた。
1月のテーマは「整える」。
この本に出会って私の心は整っただろうか。
一時的には、前よりざらついた気もする。
でもひとつ言えるのは、見ないふりをしていた不在の場所に、この本の言葉を送り込んでみたら、やはりそこには大きくえぐれた欠落があった。
その凹みに言葉がしんしんと満ちていく。ひだとひだの間にたぷたぷと言葉が浸潤していく。
満ち満ちたとき、かなしみが、愛しみ(かなしみ)に生まれ変わったらいいなとおもう。
それまで繰り返し読みたい。
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文庫版に収録されている俵万智さんの短い解説がまたしみる。
〈もしあなたが今、このうえなく大切な何かを失って、暗闇のなかにいるとしたら、この本をおすすめしたい。
あるいは、目の前のことに追われすぎて、ささいなことでイラついたり、何が大事かということさえ考える余裕がなかったりするなら、やはりこの本をおすすめしたい〉(解説より)
加えて言うなら、
この本が響かなかった人には、良かったねと言いたい。きっといまあなたの心はとても安定していると思う。
この本が響きすぎてしまった人にもやっぱり、良かったねと言いたい。この本に出会えて良かったね。私は、すごく良かったよ。
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それではまた来週水曜日に。
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