本という贅沢90『あとかた』(千早 茜/新潮社)

丑三つ時に読んでがっつり傷口えぐられたい。血の味がする、いまどきの恋の物語

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。2月のテーマは「愛について」。あなたには、恋人にだけ見せる「顔」って、ありますか。今回は、恋愛の持つ「アンダーグラウンド」な一面に目を向けてみます。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢90『あとかた』(千早 茜/新潮社)

『あとかた』(千早 茜/新潮社)

先日、20年来の友人(♂)と飲んでいたら、ほんのちょっとした発見があった。彼の元カノと私の元カレが、実の兄妹だということが、わかったのだ。

長いこと定期的に会っている友人なのに、そういえば彼氏彼女の話って一度もしたことがなかった。知っているのは、お互いの結婚相手だけだ。
とまあ、どうでもいいといえばどうでもいい話で、世の中狭いねーなんて言いながら別れたんだけれど、ふと。帰りの電車の中で思ったんだ。

そういえば、恋愛って、まあまあアンダーグラウンドな存在だなって。

私は女性メディアの人間なので、人の恋愛話を聞くことが多い。
で、驚くのが、そこで聞く話の多くが「初めて話すんですけれど……」から始まることだ。友人にも家族にも話さない、そこで初めて語られる恋愛の形が、ある。今日私が取材しなければ、誰にも聞かれなかったかもしれない、その人の幸せや哀しみや、あらがえない業(ごう)のようなものが、そこにはある。

これだけ「ばえ」な写真が量産されたり、趣味の世界がアップされたり、仕事での成果が拡散されたりしているから、なおのこと。そこに存在するはずの、恋愛話の「表に出てこなさ」と「シェアされなさ」が際立つ。
かつて表に出てこなかったヲタ活動以上に、誰とも共有されない極めて個人的な行為。それが「現代の恋愛」の特徴かもしれないな、って思った。

今、私は「恋愛が極めて“個人的”な行為になっている」と書いたけれど、もっと正確にいうと、極めて“分人的”な行為になっている、と思う。

「分人」については以前書いた。簡単に説明すると、人は、「恋人Aさん用の自分」、「友人Bさん用の自分」、「同僚Cさん用の自分」……と、それぞれの相手用の顔を持っている、という考え方だ。

20年間女性誌で書いてきた体感で言うと、この「恋人Aさん用の自分」を、恋人以外と一切共有しない人がずいぶん増えているように、思う。

多分、そこには、いろんな理由があるんだろう。
不倫の恋が増えているからかもしれない。友人の彼がセフレですみたいなややこしい事情もあるのかもしれない。
だけどそういうイレギュラー(レギュラー?)なケースだけではなく、「お天道様の下でも問題ない案件」だとしても、友人家族を巻き込まず、2人だけで恋を育んでいるケースが多いなと、感じる。

恋人用の自分の顔を、他の誰とも共有していないと、どんなことが起こるか。
まず、恋人用の自分が他の自分と切り別れ、その相手にアジャストした自分になりやすくなる。
つまり、どこかの方向性に尖って育ちやすくなる。
そして、その恋人と別れると、その人用の自分が100パーセント、死ぬ。
2人で共有した現実も夢も、その相手の存在も、その相手に愛された自分の存在も、誰にも知られないまま、死ぬ。
それって自分の一部が、たとえば手足が壊死してもぎ取られるようなものだろう。

だから「初めて話すんですけれど……」といって語られる恋の話は、いつも、血の匂いがする。
みんな、結構な命の分量を一点にかけて恋愛しているな、と感じる。
その恋愛用の分人割合が大きければ大きいほど、そして、他と連携せず独立していればいるほど、そこには、ある種の危うさと血の匂いが漂う。

そんな私たちに、普通の可愛い切ない恋愛小説ってもう、あまり響かないんじゃないか。そんなことを思ってた。

で、そんな時に、この本なんですよね。

この本に通底する匂い。これこそまさに、血の匂いだ。
そして、この本に登場する男女の「真夜中は別の顔」感。
もうこれが本当に、今っぽい。
読み終わるまで知らなかったけれど、直木賞候補作だったという。なるほど、時代を切るとはこういうことか。

1話めの登場人物が2話めの主人公になり、2話めの登場人物が3話めの主人公になり……。リレーのように渡されるバトンの行く末が、最後、いびつな円を描いて循環することにぞくっとする。

結婚式を待つ女性の顔と、素性のわからない男と抜き差しならない関係になる女の顔。
エリート夫との子どもを育てる母の顔と、汚いアパートで抱かれる女の顔。
従順な彼女を演じる女の顔と、自由を演奏するアーティストの顔。

1話めの登場人物にはまったく明かされない別の顔が、2話めの主人公の顔として表出する。

アンダーグラウンドにもぐってしまった私達の恋愛は、たしかにいま、こんな感じで自分自身を刺しながら傷つけながら進行している。そしてそれは誰にも知られることなく葬られていく。
もう自分の力ではどうしようもない、こういうあらがえない生身の感情が、恋愛なんだろうな、って思わされる。

久しぶりにこれ子宮にきたな、って感じの、どくどくとしたたる恋愛本です。
私はものすっごく好きだった。
昼間に読む本じゃない。ぜひ、丑三つ時に読んでほしい。

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この本、感想をシェアするタイプの本じゃない。だから消化不良になったら、わたしに連絡くださいね。一緒にその恋、弔おう。

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それではまた来週水曜日に。

佐藤友美さんのコラム「本という贅沢」のバックナンバーはこちらです。

恋愛で自分を見失うタイプの皆さん。救世の書がココにありましたよ!アミール・レイバン、レイチェル・ヘラー/プレジデント社/『異性の心を上手に透視する方法』
・人と比べないから楽になれる。自己肯定感クライシスに「髪型」でひとつの解を(佐藤友美/幻冬舎/『女は、髪と、生きていく』)

・「どうせ私なんか」と決別する。SNS時代の自己肯定感の高め方(中島輝/SBクリエイティブ/『何があっても「大丈夫。」と思えるようになる 自己肯定感の教科書』)

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。