本という贅沢47 『私とは何か「個人」から「分人」へ』(平野啓一郎/講談社現代新書)

人によって態度を変えていいのはなぜ?「分人主義」のススメ

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。3月のテーマは、別れの季節に「生きるか死ぬか」。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢47『私とは何か「個人」から「分人」へ』(平野啓一郎/講談社現代新書)

『私とは何か「個人」から「分人」へ』(平野啓一郎/講談社現代新書)

今日は、「文学史における21世紀最大の発見」は、この本に書かれていることじゃないかと思っている件について語りたいと思う。
まあ、聞いてほしい。

かれこれ数年前、取材の帰りに、天気が良いから歩いて帰ろうかと、30分くらいの道のりを編集さんとおしゃべりしながら帰ったときのこと。
最近読んだ本の話や、お互いの家族の話など、他愛もない会話はとても楽しくて、春の陽気のせいもあって、私たちは少し高揚してた。

私が彼に「こんな風に◯◯さんと話すの、めっちゃ楽しい。○○さんて、すごく面白い人ですよね」と伝えると、
その編集さんは「俺が、さとゆみさんのことを好きなのは、さとゆみさんといるときの自分が好きだからだと思うんだ」と、言われた。

え、なにこれ、ここにきて、愛の告白?いやうちら、そういう関係じゃないですよね、まいったな、いや困るな、だけどわりとまんざらでもないなって一瞬思ったけど

なんのことはない。

平野啓一郎さんの、この本に書かれた「分人主義」のことだった。
彼は、まだこの本を読んでいなかった私に、「分人」とは何かを説明してくれた。

一人の人間、つまり「個人」は、実はもっと小さな単位の「分人」の集合体でできている。

彼の中にも、
会社の仲間用の自分(分人A)
友人用の自分(分人B)
奥さん用の自分(分人C)
子ども用の自分(分人D)……がある。

それらは、全部「自分」で、相手によって態度が変わるのは、自分の中のどの「分人」で接するかが違うからだ、という話だった。
さっきの話に戻ると、「さとゆみと一緒にいる時間が楽しい」と思うのは、「さとゆみ用の分人」が、自分でも気に入っているということと同義なんだ、という。

とても興味を惹かれたので、早速、本を読んでみたんだけれど、ぐわーーーん。(頭を殴られた音)

この「分人」って、21世紀最大の発見といっていいんじゃない?
iPS細胞の発見や準惑星エリスの発見に匹敵する発見じゃない?
これまで悩んだり、モヤったりしてたことって、だいたいこの「分人」の考えかたを適用すれば、綺麗に解決するんじゃない?

私たちは今まで、自分の歩く道はひとつだと教わってきた。
誰かが敷いたレールに乗るのか、自分で切り拓くのかは別として、いずれにせよ、自分の歩く道は「ひとつ」だと教わってきた。
だけど、本当にそうだろうか。自分が歩く道は本当に「ひとつ」しかないんだろうか。そんなことをモヤっていた時、この「分人主義」を知ったおかげで、これまでの違和感が全部解消された。

私たちには、「分人」の数だけ歩いてきた道がある。太い道も細い道もあるけれど、誰かと会うたび、その人と歩いてきた道にワープして、「その続き」の道を刻む。
それら全てが、私たちが生きてきた証であって、下手をすると、その道は私たちの死後も更新し続ける。

これを知ると、結構救われると思うのです。

「どの道を選ぶか」、と言われると、決死の覚悟で決断しなきゃいけない気持ちになるけれど、
「どの分人の割合を大きくしていくのか」、と言われると、いつだってどこからだって人生を自由に行き来することができるとわかる。
これから妻になったり母になったりする人も、副業したり独立したりする人も、平日バリキャリで深夜と週末はツンデレしてる人も。どれも全部「自分」だから大丈夫って思えるはず。

老若男女、誰にでもおすすめしたい本って、あまりないけれど、この本は100人中100人におすすめです。

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平野啓一郎さんのすごいところは、過去の小説でずっと、この「個人」と「分人」について考え書き続けてきた結果、この結論に至ったということ。つまり、小説の執筆が、平野さんにとっての実証実験の場なのですね。

「分人」と同じく、平野さんのもうひとつの発見といえば「過去は変えられる」ということを、小説を通して証明したことでしょう。
その時のことは、以前このコラム『変えられるのは未来だけではない。過去も変えられる』で書いたので、よかったらご覧ください。

また、この「分人主義」を使って失恋を分析したこちらのコラム『彼と共に過ごした私が死ぬ。失恋ってそういうこと』も、よろしければ。

それではまた来週水曜日に。

続きの記事<捨てるか、残すか、その夫。1ミリでも離婚が頭をよぎったらこの本>はこちら

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。

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