本という贅沢46『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(小野美由紀/幻冬舎文庫)

傷ついて得るか。傷つかずに失うか。それが問題だ。

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。3月のテーマは、別れの季節に「生きるか死ぬか」。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢46『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(小野美由紀/幻冬舎文庫)

『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(小野美由紀/幻冬舎文庫)

私は視力が0.01なので、コンタクトレンズを外すと、世の中は光の残像でしか見えないのだけれど、ある頃から、徐々に視力を矯正しなくなった。
いまは免許更新の日以外は、街の看板がぼんやりと見えるくらいの解像度で生きている。

リアル世界で見える解像度と同じくらいに、人生に対する解像度も落とした。
いや、違うな。
どっちかというと、人生に対する解像度を落とそうと思ったから、視力を矯正するのをやめたんだった。

だいたい、この世のなか、見えなくてもいいことが多すぎる。

Twitterに並ぶ、イデオロギーに満ちた言葉の数々とか
付き合って半年たったときの彼氏の言葉ににじむ怠惰の匂いとか
自分が、ほとんど何者でもないことに気づいてしまった時の絶望的な世界の色あせ方とか……

そういったかすり傷から瀕死の重症まで、その傷口に目を凝らさず、視力0.1くらいのボケボケの解像度で接すれば、たとえ豆腐のメンタルでも、何食わぬ顔して生きてゆける。

31歳の時、私は、7年連れ添った夫と離婚をしたのだけれど、
「ゆみちゃんは7年間、1日も機嫌が悪い日がなかったね」と言われたことを、当時は、勲章のように思っていた。
それは、ただただ、不感症になっていただけなのに。

このエッセイに描かれているのは、
毒親との対峙、リストカット、食べ吐き、パニック障害、就活全滅、自分探しの旅……。
私がこれまで見なかったことにしていたいろんなことが、ページをめくるたびに喉元に押し寄せてきた。

どうして自分は悲しかったのか。
どうして自分は苦しかったのか。
心のひだとひだの間の深いところにある傷にまでちゃんと手を伸ばしてひっくり返して、その傷を白日のもとにさらしている文章は、血がほとばしっているように鮮やかで、そしてその怒りや悲しみを越えたときの、「生きている喜び」、みたいなものが、まるで自分の中から湧き上がった感情のように、ぱんっと爆発した。

ああ、私が見ないことにしてしまったほうの人生に、ほんとうはとても大事なことが残っていたんだなあと思ったら、涙がこぼれた。
苦しいことも悲しいことも、ちゃんとつまびらかにしたら、こんなに世界は色鮮やかなんだなあ。

なんで私、自分を信じることを諦めちゃったんだろう。一喜一憂喜怒哀楽、全部の経験から、自分を醸成することを諦めちゃったんだろう。そりゃ、それをやってきた人にかなうわけないよな、って、そんなことも思った。

よく、本を読んだあとに「心が洗われる」という表現をすることがあるけれど、まさにそれ。薄くベールがかかっている視界から布が取り払われて、世界が急にビビッドに見えた。

小野さんが紡ぐ言葉は、いつも「私だったらどう思うかな」と考えた言葉の、一歩先にある。
だから、本を読んでいる間じゅう、その「一歩先」をキャッチするために、ずっと手を伸ばして、ストレッチしている気分だった。
多分、この本を読んだあとは、これまで拾えなかった言葉も、拾えるようになるだろうと思う。

この本のラストで小野さんは、こう語っている。

社会はうつくしい。そのままでも、醜くても、不完全でも。
動くことはそれ自体がうつくしい。揺らぐからうつくしい。だから安心して、そこに出てきてほしい。世界の見方は自分自身が更新するのだ。
あまねく、他人とともに。

こんなにも「この人がそう言うなら、信じられる」と思ったことはなかったな。
この人が言うんだから、本当にそうなんだろうと思う。

もっと目を凝らして、いろんなものを見ていこうと思う。
もっと安心して、ちゃんと、傷ついていこうと思った。

  

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実は、この本の前に、同じく小野美由紀さんの『メゾン刻の湯』(ポプラ社)を読んだのだけれど、ここまで感動した小説は久しぶりでした。『傷口から人生』にあるエピソードが、切なく美しく昇華されています。

それではまた来週水曜日に。

続きの記事<人によって態度を変えていいのはなぜ?「分人主義」のススメ>はこちら

年間10冊以上を担当する書籍のライターとして活動。ビジネス書から実用書まで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『道を継ぐ』など。