下着は総レース、そのわけは
●MY LIFE, MY CLOSET 04ファッション×師匠・弟子
スタイリストの仕事は、会社勤めの方々とは全く異なるように思われがち。確かに、日々いろいろな撮影場所に出向いたり新しい人と仕事をする機会も多く、「会社」という場を持たないのでそれぞれに大変な部分は違うのかもしれない。
ただ、会社勤め、特に、部下を持つ機会も増えて来た同年代の人たちと話していると、アシスタントを育てる立場の自分と重なる部分が意外にも多いと感じます。
そんな話をする度に、21歳で上京し、師匠・大田由香梨さんのアシスタントとして過ごした日々のことも思い出すのです。
師匠との出会いは「スタイリングシート」
働く先も決めずに沖縄から出て来た21歳で、雑誌「ViVi」などの媒体で活躍するスタイリスト大田由香梨さんのアシスタント求人を見つけ、応募しました。本当は履歴書だけ送ればよかったんですが、どうしても師匠の目にとまってほしくて、自分で組んだコーディネートとスタイリングのポイントを雑誌のようにまとめた資料も送りました。それが好評だったようで、採用になりました。
「2年で独立するように」
アシスタント時代はほとんど家には帰れませんでした。撮影前は何日も衣装のリース(貸し出し)に師匠の後ろをついてまわり、借りてきた衣装の整理などの雑務、編集部とのコーディネートチェックに同行し、撮影当日、そして返却作業……。
そんな状況だったから、撮影前は1週間の半分は編集部に宿泊していました。シャワー室とベッドがある出版社での仕事が中心だったので、下着とタオルを持ち込んで。下着は速乾性の高い総レースが増えていく。オシャレじゃなくて、生活の知恵での、総レース(笑)。私服なんか、最終的には家と出版社に半々くらいの量になってましたね。
師匠からは、「2年で独立するように」とはじめから言われていました。仕事を覚えたから卒業ではなく、必ず2年で卒業。なので、焦りは常にありました。
1年くらい経って、だんだんと仕事に慣れてくると、忙しい師匠の代わりに私がリースに行くこともありました。「師匠なら何を選ぶだろう?」と考えながらの仕事は、緊張感や責任感を伴いましたが、経験を積むごとに自分に自信をくれました。
服を選ぶだけが「スタイリスト」ではない
その頃から師匠にはしきりに「自分をスタイリストだと思って動いて」と言われるようになりました。師匠がコーディネートを組む服は、私が選んで借りてきたもの。でもそれは、「スタイリストになれた」ということではないんです。
スタイリストの仕事は服を借りてきて組みあわせることだけではなく、企画の意図を読み、コーディネートを提案すること。私がアシスタント作業をしている時に、師匠は打ち合わせをして、時には編集部やクライアントとモメながら、決断をしている。自分ですべてをやることになってはじめて「師匠が楽をするためにアシスタントがいるわけじゃないんだ」とわかりました。
その仕事は誰のためのもの?
アシスタント時代は、「師匠だったらどうするだろう?」を軸に仕事をしていたのが、独立後は「どうしたら読者に喜んでもらえるだろう?」に変わりました。
会社員の人でも「上司のための仕事」なのか、「クライアント、消費者のための仕事」なのか、に置き換えられるかと思います。上司に認められるためにするのか、これを良いプロジェクトにするためにやるのか。大きな違いがありますよね。
師匠の側になってからも、アシスタントの経験が生きています。アシスタントが何かトラブルを起こした時には、理不尽に怒るのではなく、どうしてそう動いてしまったのだろうと考えるようにしています。優しく、甘くする必要は必ずしもないと思うんです。自分も、厳しくしてもらってよかったと思っているので。弟子に愛情を注げるのは、師匠だけですから。