【2018傑作選】【ふかわりょう】引き算のできる男
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」03
引き算のできる男
大人の男なんていないと言いましたが、こんな男になりたい、というのならあります。それは、引き算のできる男。もしも、大人の男がいるとしたら、僕の場合それは、このことを指します。
そろばんが得意な男性、ではありません。あらゆる物事において、引き算のできる人。大事な局面において、荷物を軽くすることができる男。
若い頃は足してばかりいました。なんでも吸収できたから、それほど取捨選択せずに済みました。しかし、人生、いつまでも足してばかりいると抱えきれなくなって、パンクしてしまいます。だから、歳を重ねるにつれ、引き算の重要性を感じるのです。
たとえば、海外の映画。編集は、撮影した監督とは別の人がするそうです。その方が、冷静に判断できるから。舞台も、初日から千秋楽にかけて、セリフが削ぎ落とされていくことがあります。私も、曲を作る時は、ついつい尺が伸びたり、音に隙間がなくなってしまったり。そんな時に、思い入れや愛着、情を断ち切って、軽くする力。パンパンになったスーツケース。膨大な情報。いたるところで、引き算が必要となります。
断捨離、ミニマリスト、腹八分目。これらの言葉を頻繁に耳にするのは、それが重要であると同時に、引き算の難しさを物語っています。放っておいたら足し算になるのです。
物事の本質。本当に必要なもの。引き算をすると、それまで見えなかったものが顔を出し始めます。逆に、足しすぎると、何があるのかわからなくなり、もはや、何もないに等しいのです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」
私は、「過ぎたるは、及ばないよりも、ダメ!」だと思っています。
多過ぎより、足りない方がいい。むしろ素晴らしい。震災のとき、足りない世界には愛があふれていました。足りない世界は美しい。もちろん、震災そのものを言っているのではありません。美しい、余白のある世界。ぎちぎちに詰め込まれた世界では、息苦しささえ感じるのです。
私も捨てられない人間だから、偉そうなことは言えませんが、引き算をする機会が増えているのは事実。隙間を作ること。埋めることより削ること。そこから見える景色。そんな、引き算のできる男になりたい。みなさん、引き算、していますか?
タイトル写真:坂脇卓也