編集部コラム

女子アナの後輩にコンプレックスを持っていた私の話

telling,編集部員が日々のあれこれを綴るこのコラム。火曜日は伊藤あかりが担当します。今回は、私が担当しているTBS古谷有美アナのコラム「女子アナの立ち位置。」の誕生秘話(?)をお届けします。

telling,の人気コラム「女子アナの立ち位置。」でおなじみのTBSの古谷有美アナは、実は私の高校の1個下の後輩です。

当時からそれはそれはかわいくて、どこにいても目立っていました。私のクラスに、有美ちゃんと仲良しの友人がいたこともあり、「○○さんを呼んでいただけますか」と声をかけてもらったこともありました。「ひぇー!有美ちゃんに話しかけられちゃった!」と跳びはね、女子トイレで出会った日には「あんな!可愛い!子でも!トイレに!行くんか!」とベタに驚いたりもしました。

チア部のセンターかつ、玄関に張り出されるテストの順位も常に上位。どんだけ神様不平等なんだよ!!と、世の不条理さを教えてくれたのも有美ちゃんでした。

女子アナへのこじれた自意識

そして、高校卒業後、有美ちゃんは大学のミスコンで優勝し、女子アナになりました。

全く接点がないくせに「あの子、私の後輩なんだよ~」と吹聴したことは数知れず。一方で、やっぱり、美人だけでなんでも手に入る(ように見えていた)有美ちゃんがうらやましくて、仕方がありませんでした。

そのねたみが変な方向によじれて、「女子アナなんて顔だけっしょ(煙草ぷっは~)」と悪態をついたことも100億万回くらいありました。

それでもやっぱり気になる、我が校の誇り有美ちゃん。インスタを一方的にフォローし、投稿されるイラストを見て、うっかりファンになってしまいました。

こちらが有美ちゃん、もとい「みんみん画伯」が描いたイラスト! #みんみん画伯 で検索!

「くそ~女子アナに頼るなんて悔しいが、この世界観はステキすぎる。ぜひtelling,にも注入してほしい」とアプローチ。卒業以来13年ぶりの再会……と思っているのは私だけで、有美ちゃんにとっては「はじめまして」が実現しました。

女子アナ、なめてました

一緒に仕事をするようになって1番驚いたことは……誤解を恐れずに言うならば「女子アナまじすげー」っていうこと。

私はいわゆる「女子アナ(笑)」という目で彼女を見ていました。ふわふわ☆きらきら☆難しいことわかんないもん☆みたいな。(私の性格がくそである)。

有美ちゃんのすごいところは、これを真っ正面から否定しないんですよね。「あはは、そういう風に思ってる方、多いですよね(にっこり)」みたいな。仲良くなってから聞くと「女子アナ(笑)と思ってらっしゃる方に対しては、言葉で否定していくんじゃなくって、姿勢で見せていくしかないのかな。『おや?意外にしっかりしてるぞ?』って」と言っていました。

ぜひコラムを読んでくれぃ

私みたいに「女子アナ(笑)」って思っている方こそ、ぜひコラムを読んでいただきたい。

ノリさんがいくら喋りのプロといえど、ずっと一人で話し続けるのは大変ですよね。ひと呼吸ついたり、頭のなかを整理する時間が生まれるように、適度な相づちやコメントも入れるのも、私の仕事です。
(「私、土曜の朝6時から“チーママ”やってます」より)

(地元・北海道での地震を受け)周りの方は「地元が大変なのに、落ち着いて読んでいたね」と声をかけてくださったけれど、それが私の仕事なんですよね。大切な土地がそんな状況だからこそ、冷静に、いまできることをする。
(「報道が、命を救ったそのあとに残るもの」より)

どうですか?女子アナってただニコニコ聞いているだけだと思っていませんでしたか?(私は思っていました。2回死んできます)。

聞き手・伝え手のプロ。思い返してみると、確かに、有美ちゃんと話していると、いつも以上に考えがまとまるんですよ。自分が面白いことを話している気になるんです。でも、それは全部有美ちゃんがコントロールしてくれていたんだなと、気づきました。

黙ってこつこつ、自分のやるべきことをしていけば、見てくださる方はわかってくれると信じています。チャンスを多くいただいているぶん、仕事でしっかりお応えして、“女子アナ”のいいギャップをどんどん伝えていけたらいいですよね。
(「男性の3倍、仕事のチャンスが多い女子アナとして」より)

「女子アナ」の型にも入れるし、「みんみん画伯」のように、はみ出すこともできる。そんな有美ちゃん独自の「女子アナスタイル」は、全てのミレニアル女子たちの救いにもなるのではないでしょうか。「こうあらなきゃ!」も「はみださなきゃ!」もしんどいからね。どっちでもいい、あなたらしく。有美ちゃんの「女子アナ」に向かう姿勢からはそんな思いが伝わってきます。

telling,の妹媒体?「かがみよかがみ」編集長。telling,に立ち上げからかかわる初期メン。2009年朝日新聞入社。「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じで生きていこうと思っています。
フォトグラファー。北海道中標津出身。自身の作品を制作しながら映画スチール、雑誌、書籍、ブランドルックブック、オウンドメディア、広告など幅広く活動中。