セックスレスに向き合う【おおたとしまささんインタビュー前編】

「セクシーな下着は逆効果」セックスレスから考える夫婦のかたち

愛を誓い合って夫婦になったはずなのに、いつの間にかセックスレスに悩まされている…そんな声をよく聞きます。今回は、育児・教育ジャーナリストであり、『喧嘩とセックス 夫婦のお作法』という著書もあるおおたとしまささんに、セックスレス問題についてじっくりとお話を聞いてきました。

セクシーな下着は逆効果!?

――著書の中で、「セックスレスになったときに、セクシーな下着は逆効果」と書いていらっしゃったのが印象的でした。

おおた よくいろいろな記事でありますよね、「いつもと違う刺激を与えて誘う」みたいなやつ。でもそれって、大間違いだと思うんです。そもそも、セックスレスになっているときって、異性としてセクシーさを感じていない状態。お互いに慣れきってしまって、何も知らない「赤の他人」よりも心の距離が遠くなっている……いわば空気のようになってしまっている。何も思っていない人にいきなり露出度高い服装で迫られても「ゲッ、なにこいつ」ってなりますよね。

――言えてますね……。

おおた セックスをしたい、触れたい、と思うのはベースに好意があるのが大前提です。セクシーさを感じられないぐらい心が離れてしまったら、1からやり直すのが大事。手も握ったことがない人だと思って、出会った頃からの気持ちに戻ってみてください。例えば、一緒にお茶を飲むのでも、映画を見るのでもいい。波長が合えば、だんだんスキンシップに進んでいきます。それが1日でセックスにたどり着くか、1週間、あるいは1カ月かかるかは人それぞれですが、焦らずに丁寧に距離を縮めていきましょう。

 セックスレスになっている夫婦って、2人の時間すら持っていない、お互いを見ていないことが多いんじゃないかな? と思います。お互いを見て、思いやれていないのに「セックスがない」とその部分だけ騒ぐのはおかしな話です。

セックスには「日常のセックス」と「非日常のセックス」がある

――なんとなく「マンネリ」からセックスレスになる場合もあるかと思うんですが。

おおた 僕はセックスには、「日常のセックス」と「非日常のセックス」があると考えています。「日常のセックス」とは、まさにお互いのパートナーとするもの。これは、食事や入浴と同じように、人の営みを健やかに回していく上で必要不可欠なものだと考えています。対して、「非日常のセックス」というのは、例えばシチュエーションが違う場所でしたり、違う人としたり、刺激を求めるようなもの。若いうちは毎回が「非日常のセックス」かもしれませんね。

 夫婦間にセクシーな下着を持ち込むのは、「日常のセックス」を無理やり「非日常のセックス」にしようとしているようなもの。親密な関係があって、遊び心でサプライズをするのはたまにはいいかもしれませんが、だいたいはすぐ飽きられてしまうので、どんどんエスカレートしていくしかなくなってしまいます。

 それに、ぶっちゃけた話、刺激を求めるんだったらいつもの相手じゃなくて別の女性としたほうが、よっぽどいいっていう話になっちゃうんです。目新しいもののほうが刺激がありますからね。

――2人だからこその「日常のセックス」や思いやりを大事にしていくべきだと。

おおた 書類上入籍したから「夫婦」というかたちになるだけで、まだまだお互いのことをわかっていないはずなんです。もともとは他人ですし、何もしなくたって夫婦でいられると思ったら大間違い。日本人は、結婚するとその状態にあぐらをかいてしまって、お互いのことを思いやる時間すらなくしてしまったりする人たちが多いのではないでしょうか。

夫婦は「維持」するのではなく「成長」するもの

おおた ときには喧嘩をしてぶつかりあって、そしてセックスで心と体を通い合わせる。そうして2人の波長を合わせていって、常に夫婦として成長しようと意識的に努力していくべきなんです。「夫婦関係を維持する」のではなく、メンテナンスしていかないと親密さはいずれ死んでしまいます。

――「親密さが死ぬ」ってすごい言葉ですね……。

おおた でも、その通りなんですよ。夫婦って、だんだんと夫婦らしくなっていくものだと思います。夫婦でいることは「あたりまえ」。でもそのあたりまえの状態を「ありがたいもの」と思えるかどうか。今あるものに感謝して、どれだけ人生を味わえるか、人間として楽しめるかという「人間力」を育てていくことこそ大切だと思います。

 たしかに夫婦や長くつきあった恋人同士だと、毎回一緒の部屋、ベッド、そして相手の体だと思ってしまいがちです。でも、「今日こんなにうれしいことがあった」とか、「今日はこんなことを伝えたい」とか、お互いの考えることは毎日変わっているはず。昨日と今日は違う、そして時間の積み重ねが今日につながっている、ということに気づくことができれば、今ここにお互いでいることがとても素晴らしいことに思えてくるはずです。

――毎回同じのように見えて、そうではないということですね。

おおた 「マンネリだ」「飽きた」と思うのは、それこそお互いの心のことを考えていない、行為だけを見ているという状態だと思います。セックスは体の触れ合いなのはもちろんですが、最終的には心の触れ合いだと思います。日々お互いのことを考えて、少しずついいものに「深化」させていく、そういった努力が必要だと思います。 

  • ●おおたとしまささんプロフィール
    育児・教育ジャーナリスト。リクルートから独立後、育児・教育をテーマに執筆・講演活動を行う。男性の育児・教育、子育て夫婦のパートナーシップ、無駄に叱らないしつけ方などについて、新聞・雑誌へのコメント掲載など多数。心理カウンセラーの資格、中高教員免許をもち、私立小学校での教員経験もある。著書は『ルポ塾歴社会』『パパのトリセツ』など50冊以上。
朝日新聞バーティカルメディアの編集者。撮影、分析などにも携わるなんでも屋。横浜DeNAベイスターズファン。旅行が大好物で、日本縦断2回、世界一周2回経験あり。特に好きな場所は横浜、沖縄、ハワイ、軽井沢。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。
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