「頑張っても報われない」と思うあなたへ―telling, Diary
●telling, Diary ―私たちの心の中。
「言われたことを頑張っているのに、認めてもらえない」
「笑顔で接しているのに、あの人はつれない」
「いつも人に振り回されてしまって、もう疲れた」
しばしば、そんな相談をされる。
勝手に「報われない」はもうおしまい
たしかに、頑張っているのに報われないのはしんどい。頑張ったら、一生懸命やったら、少しでも結果が出ると思いたい。なんなら、目に見える成果がなくても、人に認められたり、褒められたりするだけでうれしい。私だってそうだ。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみると、思うのだ。
「他者からの評価に依存してない?」と。
必要だと言われたから頑張っているのに、認めてくれないのはおかしい。
笑顔で接していれば、コミュニケーションが円滑になるはずだ。
相手が求めることをすれば、相手は自分を必要とし、愛してくれるはずだ。
そう思っていないだろうか。
他者から振り回されることを受け入れてはいないか
自分の評価を他者に委ねるのは、他者から振り回されることを受け入れるのと同じことだ。
他者は、相手の一部の発言を切り取ったり、勝手に抱いた印象で、“適当に”判断する。ちゃんと見て、ちゃんと考え、正確に評価してくれるわけではない。
家族や恋人ならまだしも、と言いたいところだが、正直、家族や恋人だって他者だ。自分ではない。自分のすべての頑張りや本意は、結局、自分にしかわからない。
私だって、他者からの評価を気にしないわけじゃない。文章を書く仕事をしているので、読者からの評価や声は気になるし、その文章を書くようオファーがあったときは、依頼主からの評価も気になる。その後新たに仕事の依頼がなければ、「ああ、何が悪かったのかなあ」と落ち込むことだってしょっちゅうだ。
ただ、それはあくまで“参考程度にするもの”だ。他者からの評価で自分のすべてを判断して、私には存在価値がないだとか、必要としたのは相手なのにおかしいだとか、言うのは、正直、意味がないのだ。
だって、他者はいつだって無責任なのだから。これを読んでいるあなたもそうだろうけど、人は常に、自分のことで手いっぱいなものだ。
なんだか厳しい口調になってしまったけど、責めているわけじゃない。私だって他者のことばや評価でいちいち「私のこと嫌いなのかな」などと落ち込んでいる。
(そのたびに、「どうして君のネガティヴは治らないんだ」と家族や友人に叱られる)
つまり何が言いたいかというと、自分の価値は自分で決めるものだ、ということ。他者のことばや態度だけで、自分を評価するのは間違ってるってこと。自分で自分に責任をもって、他者からの評価は参考程度に聞く。使えそうだったら使う、くらいのものにする。
自分は何をしたいのか、何を伝えたいのか、何を大切にしたいのか……。自分を振り回すのは自分だけにしておいたほうが、生きるのは楽しいはずだ。
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