昔も今も、日本の女の子は戦っている。

日本の昔話をミレニアル女性目線で読み解いた本『日本のヤバい女の子』が話題です。昔話に登場するかぐや姫も織姫も、四方八方から飛んでくる理不尽と闘い、一人の女の子として泣いたり笑ったり、怒ったりしていたはずだよね。そんな視点でイラストと文章をつづった、作者のはらだ有彩さんに、本に込めた思いを聞きました。

昔々、マジで信じられないことがあったんだけど聞いてくれる?

 こんな前書きで始まる本には、昔話が20編収められています。現代風のあらすじの後に、はらださんの感想が続きます。

 たとえば、「おかめ」。大工の夫の失敗を切り抜ける方法を編み出し、夫が高い評価を受けると、おかめは女の自分にピンチを救われたことが世間に知れたら夫の名誉に傷がつくと心配して、自殺してしまった――。

 この展開に、はらださんは「死ぬ!? 死ぬ必要ある!?」とすかさずツッコミ。おかめの仕事がきちんと評価され、夫と一緒に建築家として成功するという、まったく別の結末を思い描きます。

はらださんが描く挿絵。おかめが現代に生きていたらこんな姿だったのかも

 年に1回、七夕の夜にだけ会うことを許された織姫と彦星には、「そもそも、離ればなれにならないことは、愛の必要条件になるのだろうか」と問いかけます。

こんなポップな織姫も新鮮

 何度も聞かされてきた話のはずなのに、この新鮮な感覚はなんだろう。そして、見た目や結婚、年をとること、女はこうあれという呪縛。昔話に出てくる女性を取り巻く理不尽が、あまりに今と同じことに驚きます。

就職して爆発した理不尽が、昔話への入り口だった

 そもそも、はらださんが昔話に興味をもったきっかけは、何だったのでしょうか。

「芸大を出て、広告会社で働き始めたら、不可解なことが爆発的に増えました。泊まりがけの出張先で、同行した関係会社のおじさんに『部屋くる?』と言われたり、社内で『あいつは枕営業して仕事をもらった』と噂されたり。理不尽なことがごく身近に起きていて、理由の説明がほしいのに誰もしない。現代でこれなら、昔はもっとやばかったんじゃないかと思って、昔話を調べ始めました」

著者のはらだ有彩さん

 図書館などで集めた文献を読み比べると、書き手や地方によって、強調するところや解釈が違うことに、はらださんは気づきます。「微妙なニュアンスの違いに書き手の意図を感じました。本当はそうじゃないかもしれないのに、と思う扱われ方が多かった」。昔話の女の子たちの「なかったことにされているであろう気持ち」を書いた連載を、ウェブサイト「アパートメント」で2015年からスタート。その一部を書籍化したのが今回の本です。くだらぬ固定観念を、テンポよく一刀両断していくのが痛快。「もう好きなように、自由に生きてくれ!」という思いがちりばめられています。

物語も日常も変えられないけど、好きなように生きてほしい

 書籍を執筆するはらださんは、テキスタイルブランド
mon.you.moyo
を主宰しています。オリジナルスカーフに描く図柄も、日本の昔話に登場する女の子をモチーフにしているそう。昔話を通して見つめる先には、今を生きる女の子たちがいます。

「自分のあずかり知らぬところで決まったルールによって、生き方を制限されてほしくない。この本では物語も日常も変えられないけれど、好きなように生きようかな、と思う人が増えたらいいなと思います」

 ちなみに、私が一番好きになったのは「鉢かづき姫」でした。頭に鉢をかぶせられた少女が、母を亡くし、継母に冷たくされ、家出して風呂焚きの仕事を覚え、引かれ合った男性との結婚を決める。しかし男性の家族に反対され、二人で家出するときに鉢が割れる。するとなかから大量の金品と美しい顔が出てきて結婚を許されたというストーリーです。少女が苦難を耐えて幸せに生きようとした経験の全てが、彼女を美しくした。鉢は、自分の価値基準を見えやすくするものだと、はらださんは本のなかで言います。

『どの武器で戦うかその心に決めたときに鉢は割れる。それが開戦の合図だ。隠し持った獲物で思いきり殴れ。(中略)何で殴ってもいい。その手に持っているものなら、何だっていいから』(本文より)

 もうすぐ32歳。会社という組織のなかで、命じられるままに担当の仕事を一生懸命やってきたけど、ところで自分の強みって何だっけ……と悶々としていた私は、この部分を読んでハッとしました。私の武器は、周囲の評価で与えられるのではなく、自分の心が決めるもの。鉢かづき姫に「ほら! しっかり!」と背中を押されたような気がしたのです。

日本のヤバい女の子

『日本のヤバい女の子』
はらだ 有彩 (著)
出版社: 柏書房 (2018/5/28)

2011年に朝日新聞社入社。記者として大阪、鳥取、東京経済部を経験。最近ウェブメディアの部署に異動し、右往左往する日々。