翻訳・通訳・英語講師、パーソナルスタイリスト(33)

帰郷して1、2年は後悔してた。「都会に出た方がよかった」って。

大都市と地方の距離や感覚の違いを、時にマイナスに感じることがある。『どうやって情報や刺激を求めるのですか』。アンテナを張り巡らせ、好奇心と行動力にあふれる彼女に聞いてみたいと思った。前向きで強い言葉を聞ける気がした――

 企業や個人からの依頼に応えて翻訳・通訳・講師など、英語に関するさまざまな仕事をしています。昔からファッションが好きで、服をコーディネートすることが得意なので、パーソナルスタイリストとしても活動しています。英語とか、ファッション・コーディネートとか、自分が好きで、得意なことを生かして働けたらいいと思います。

 愛知県内にある大学で英語を専攻し、大学院の在学中には1年休学してシドニーに留学しました。卒業してから大手自動車部品メーカーの海外統括部で5年間働きました。災害や世界情勢の影響をもろに受けるので、やることが多くてとても忙しい毎日でした。念願の部署でしたが、殺伐とした雰囲気に、いつも息苦しさを感じていました。

 30代も、40代も、ずっとこんな感じかー。

 漠然とそう思ったら、嫌だなって。私は総合職2期生でした。会社は基本、男社会で、女性が働き続けてどうなっていくか、っていうモデルが先輩にいませんでした。かといって「私が、会社を変えよう!」という熱意はなく……。

 もともと何かを長く、コツコツと続け、努力することは苦手です。いつもアンテナが外向きで、楽しいことを探してしまうから。毎日同じ場所に出勤し、同じ人と顔を合わせ、同じことだけをする毎日に嫌気がさしていました。そこで、29歳で会社を辞めました。5年はちょうど切りがいい。「5年以上同じところにいても意味がない」と思いました。

どうして、楽しく生きちゃ、ダメなんだろう

 故郷に戻って、1、2年は後悔していました。「都会に出た方がよかった」って。富山の閉鎖的な感じが、どうも合わなかった。パッとしない街、お店に入ってもワクワクしない、非オシャレな人、保守的な考え方、ゴリゴリの方言……。「自分は、ここにいるべきではない」と思いました。富山が嫌いだったので、名古屋へ理由をつけてしょっちゅう行っていました。

 実家で親と同居していると、自分たちの意見を押し付けてくるので「私は自由に生きられない」と考え、独り暮らしを始めました。「どうして、楽しく生きちゃ、ダメなんだろう」といつも思っていました。成人が親と一緒に住んでいるのはよくないとも感じていたので……。

 私の一番のスキルは英語だと思っているから、そこが基本なんですけれど、1年半前からSNSでパーソナルスタイリストの活動を発信しています。お昼の番組で、「ファッションスタイリングのコーナー」がありますよね。「こういうことを、私もやりたい」とずっと思っていました。学生時代、名古屋市内のデパートでアパレル店員のアルバイトをしていて、売り上げアップに貢献したこともあったんですよ。

 宮本佳実さんって知っています? ワークライフスタイリストの。著書を読み、衝撃を受けました。「同じ考えの人がいる」と、心から安心したのを覚えています。「ゆったりとしたワークスタイルで、好きなことを生かして、豊かになっていいんだ」と。

 結婚ですか。したいと思っています。子どもも欲しい。でも、出会いも、子どもも「何とかしよう」として得られるものじゃないし、執着すると、かえってうまくいかないものです。これは実体験を通じて学びました。

いつも「面白いこと、どんどんしたい」と思っています

 いつも「面白いこと、どんどんしたい」と思っています。この前も選挙に出た知り合いを応援するのにウグイス嬢をやったんです。その時、候補者と私で日本語と英語のバイリンガル演説を行いました。あえて、国際コースのある高校の近くで。18歳から選挙に行くことになったから、有効だと思ったのです。そしたら地元紙に取り上げられて、すごく面白がってもらえました。

 故郷へ帰ってきて4年、今も富山をそんなに好きではないのですが、「面白いことをやっている人」と注目されるのは、富山だからではないかと思っています。これが都会だったら、逆に目立たないかも。

 富山市にて

北陸に拠点を置く新聞社でスポーツ、教育・研究・医療などの分野を担当し2012年に退社。現在はフリーランスの記者として雑誌・書籍などに執筆。
街頭インタビュー