特集「へたで、いい」

おいしさの科学「料理べたでも大丈夫」は根拠ある?

「へた」について考えるシリーズ。かつて『聡明な女は料理がうまい』(桐島洋子著)という本がベストセラーになったことがありましたが、聡明な女性は料理がへたでもいいけど、「演出」がうまいのかも。書評サイト「HONZ」の創刊編集長で、ご自身も料理研究家として活躍している土屋敦さんが、話題の書『「おいしさ」の錯覚』を読み解きます。

 おいしさを判断するのは舌だと多くの人は思っている。しかし実際には、舌で感じる味覚は、おいしさを構成する要素の一部でしかないという。

 『「おいしさ」の錯覚』(チャールズ・スペンス著 長谷川圭訳)は、おいしさをめぐる常識をくつがえす本だ。著者は、オックスフォード大学の心理学者・知覚研究者で「ガストロフィジクス」を専門としている。これはガストロノミー(美食)とサイコフィジクス(精神物理学)を合わせた造語。かんたんに言うと、「なぜ人はおいしいと感じるのか」を、最新科学を用いて研究しているのだ。

 著者は、食べるよろこびのほとんどは、口内ではなく脳内で生まれている、という。そして脳がおいしいと感じ、その料理に満足する際に重要なのは、むしろ料理以外の要素なのだ。

 例えば「色」。フローズンストロベリー・ムースを白い皿に入れると、黒い皿に入れたときより10パーセント甘く、15パーセント香り高く感じる(さらに、四角い皿より丸い皿のほうが甘く感じるという)。また、オレンジ色のマグカップに入れたホット・チョコレートは、白いマグに入れた場合よりチョコレートっぽさがより強くなり、好まれる。

 おおむね、コントラストが強くなると料理への満足度が高まるそうだから、それを意識して皿の色が考えるといい。ただし注意したいのは赤い皿。人は赤い色を本能的に回避する。白い皿と赤い皿にプレッツェルを置くと、白い皿のほうが二倍近くも多く消費されるという。

 おいしさには「言葉」もとても重要だ。いくつかのワインを試飲する際、値段を表示すると(うその表示も混ざっている。例えば5ドルのワインに45ドルと表示したり、90ドルにワインに10ドルと表示したり……)、被験者全員が高いワインを好んだ。肉を放牧して育てた肉、有機栽培された野菜と偽って供すると、実際には普通の肉や野菜であってもおいしく感じる。もちろんうそはよくないが、もし何か特別な素材を使ったなら、遠慮せずそれを伝えることで皆が幸せになれる。

 そして「音」。例えばクラシック音楽は料理への満足度をアップする。レストランのBGMをポップスからクラシックに変えると食事客は一人につき平均2ポンド多く払うという実験結果が本書に紹介されている。

 色と音楽を組み合わせればより効果が表れる。赤い照明と「甘い音楽」を組み合わせるとワインのフルーティーさを際立たせるのだ。「甘い音楽」とは、例えばフィギュアスケートでもおなじみのプッチーニのオペラ「トゥーランドット」第三幕の「誰も寝てはならぬ」。この曲は赤ワインの深みを際立たせるという(加えて言えば、イタリア料理の満足度を高める可能性も高い)。

 つまり、料理の腕に自信がなくとも、また高級なワインを用意できなくとも、「おいしい食体験」を演出することは可能、ということだ。食べものの色を際立たせる色合い(ただし赤色には注意!)の丸皿を用い、ふさわしい音楽をかければおいしさは何割か増す。食材やワインについて、生産者のエピソードを話したり、畑の写真などを見せるなどすれば、さらに満足度は高まるだろう。

 他にも、海の音を流すと魚介類がおいしく感じる、カトラリーを重くすると食べ手の満足度が高まるといった本書の知見も役立つはずだ。もしあなたが料理に自信がなくとも、「脳の錯覚」の助けを借りて、ぜひとも誰かに食事を作り、ともにおいしさを体験する時間を作ってほしい。何よりそれが、友情や愛情を深め合うことにつながるからだ。本書によれば、「人間は、食べものを分け与える相手にこそ親近感を持つ」のである。

「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実

「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実

発行:KADOKAWA
チャールズ・スペンス (著), 長谷川 圭 (翻訳)
料理研究家、ライター。1969年東京都生まれ。慶応大学経済学部卒業。著書に『このレシピがすごい!』『男のチャーハン道』他。
へたで、いい