本という贅沢139 『まとまらない言葉を生きる』

さとゆみ#139 誰の人生も要約させない。あなたのも、わたしのも。『まとまらない言葉を生きる』

コラム「本という贅沢」。“ていねいに生きる”とは、どういうことなのでしょうか。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが、今回出会った本を読みながら考えていたことを綴ります。

●本という贅沢139 『まとまらない言葉を生きる』(荒井裕樹/柏書房)

「さとゆみさんは、人を殺すのがうまいね」
と、言われたことがある。

もちろん比喩である。
人が亡くなるシーンを書くのが上手いと褒められたのだ。普段あまり文章を褒められないけれど、こと、このことについては同じようなことをいろんな人に言われた。

私の場合、誰かが亡くなったことについて書いているときは、だいたい泣きながら書いている。
自分自身の知り合いではなく、誰かが誰かの死を悼む場面を書く時もだいたい泣いている。その人から聞いた情景を立ち上げ、目の前で流れる映像を見ながら、追体験するように書く。そんな感覚だ。

それが、ある日、突然、できなくなった。

そのときも私は、ある人の死について書いていた。
とても身近な人だった。その人が余命宣告されてから亡くなるまでの5ヶ月間に20回くらい会った。なぜそんなに会っていたかというと、取材相手だったからだ。彼が人生の最後に残したいと願った言葉を、私は、最初は彼の自宅で、最後は病室で書き取っていた。

遺族の方の許可を得て、私は、その日のうちに彼の訃報を伝える文章を書いた。
彼の生前の功績を書き、私が彼から学んだことを書いた。闘病がどんな様子だったかについても触れた。
私が書いた文章は多くの人に読まれ、その文章に貼ったリンクから彼の生前最後の著作がずいぶん売れた。お葬式の日に重版がかかったと聞いた。

あれ? っと思ったのは、その文章を書いて数日たったころだろうか。

なるべく早く彼の遺稿を出版したいと、パソコンを開いた。が、キーボードを叩いても叩いても、文字が並ばない。がちゃがちゃとぶつかりあう音がして、言葉が指の間をすり抜けていった。耳鳴りのような不快な音が続いて、私の中の言葉がぱたりと死んだ。パソコンの画面が真っ暗に見えた。そこからは、何をどうしても文章が書けなくなった。
当時よく読んでいた『ちはやふる』という漫画に、「百人一首の札が、全部真っ黒に見える」というシーンがあったのだけど、あれみたいだ、と思った。

そんなふうになった原因を、多分私は、自分でもわかっていた。
私は、彼の死を、早急にまとめすぎたのだ。

彼が命をかけて仕上げようとした本を、私は、生きている間に出版できなかった。間に合わなかった罪悪感を、エモくまとめたいい感じの美談で埋め合わせしようとした。
大切なことをぼろぼろこぼしたまま、拙速にまとめた文章を書いたあと、私は文章に書いた以外の彼とのやりとりを、ぼんやりとしか思い出せなくなった。

「書くことで、記憶に残すことができる」
と人はいう。でも、私はこのとき知った。
「書くことで、書かなかった方の記憶が、急速に失われていく」

私は、命と同じくらい大切なものを、拙速に書くことで喪失したのだと気づいた。
大切なもののほとんどは、美談じゃないほうにあった。

暗闇はしばらく続いた。
彼のことだけではない。あらゆる文章が書けなくなった。何かを書こうとすると、言葉がすーっと消えていく。罰を受けているのかな。
書くことは私にとって呼吸するようなものだったから、書けないことは怖かった。もうライターは続けられないかもしれない、とも思った。

這うような日々が続いたあと、少し浮上したのは、ある書き手の文章を読んだのがきっかけだった。

一字一句、ちゃんと体の芯を通したその方の文章を読んでいるうちに、言葉が少しだけ戻ってきたのだ。暗いところに少しずつ光がさして、ぼんやりと景色が見えるようになってきた。いつもの5倍くらい時間はかかったけれど、私は、10日ぶりに文章を書いた。

もう一度、ここからはじめよう。
もう一度、きちんと、言葉を体に通して書くことから始めようと思った。

急げばすぐ嘘をつこうとする指先をなだめて、ひとつずつちゃんと体を通す。
強い言葉を使えば、簡単に伝わるけれど、でもちゃんとふさわしい距離感の言葉を使おうとあがくこと。大げさに書かない。卑小であることに拗ねない。自分の体が“ほんとうに”知っている言葉だけを使う。
すべてを書き尽くすことなんてできない。でも、言葉を、あきらめない。

そんなリハビリのような月日を、私は、いまも過ごしている。

だから、
『まとまらない言葉を生きる』の帯に書かれた文章を見たときに、喉元をえぐられた。

「誰の人生も要約させない。あなたのも、わたしのも。」

ひょっとしたら、この文章を書いているこの人も、同じようにリハビリをしているのかもしれないと思った。
言葉に絶望しながら、言葉をあきらめず、誠実に書くことは苦しいけれど、でもときどきそれができる瞬間もあって、それを探し続けて書いている人の本だと思った。

ページをめくると、そうやって絞り出すように紡がれた市井の人たちの言葉が並んでいる。
いわゆる名言集といったような、わかりやすいものではない。でも、真摯な行動から絞り出された言葉は、大きな声で語られなくても、強い。

たとえば、この気持ちをあらわすのにふさわしい言葉が見つからないのであれば、見つけるまで考え続けること。安易に既存のわかりやすい言葉に逃げないこと。簡単にまとめてしまわないこと。それは、自分の人生を雑に扱わないことと近いのかもしれない。

ていねいに生きるというのは、お花を飾ったり、お部屋を整えたりすることだけではない。自分をとりまく言葉たちを、あるべき場所に置くことなのかもしれない。そんなことを思った。

本当は、この本の内容をもっと詳しく書きたかったのだけれど、それこそ、簡単にまとめることができなかった。だからかわりに、この本を読んでいる間じゅう考えていたことを書きました。

拙くてごめんなさい。

それではまた、水曜日に。

 

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・病むことと病まないことの差。ほんの1ミリくらいだったりする(村上春樹/講談社/『ノルウェイの森』)
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年間10冊以上を担当する書籍のライターとして活動。ビジネス書から実用書まで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『道を継ぐ』など。