熱烈鑑賞Netflix

Netflix「事件現場から:セシルホテル失踪事件」いわくつきのホテルの事件に加熱する推理合戦、ネットが暴走する恐怖のドキュメンタリー

世界最大の動画配信サービス、Netflix。いつでもどこでも好きなときに好きなだけ見られる、毎日の生活に欠かせないサービスになりつつあります。そこで、自他共に認めるNetflix大好きライターが膨大な作品のなかから今すぐみるべき、ドラマ、映画などを厳選。今回ご紹介するのは、Netflixドキュメンタリー「事件現場から:セシルホテル失踪事件」。米ロサンゼルスで忽然と消えた中国系カナダ人旅行者、エリサ・ラム。エリサが滞在していたのは、ロスでも屈指のいわくつきの「呪われたホテル」セシルホテルだったーー。

●熱烈鑑賞Netflix 59

明るい結末を思い描けなかった

以前、telling, の本連載で「猫イジメに断固NO! 虐待動画の犯人を追え」という作品を取り上げた。とある猫虐待動画をきっかけに巻き起こったネット民たちによる犯人探しと、その驚愕&悲劇的な顛末を追ったドキュメンタリーである。同作と似た構造を持ちながらも、また違った形で、無意識のうちに悲劇的な事件を「消費」してしまう私たち一般大衆の心理をあぶり出してみせるのが、今回紹介する「事件現場から:セシルホテル失踪事件」だ。

2013年2月1日、ロサンゼルスで1人の女性が失踪した。エリサ・ラム、21歳。中国系カナダ人の旅行者である。1月28日にロスへ到着。4日間の滞在予定だったが、毎日欠かさずしていたカナダの家族への連絡は31日を最後に途絶え、貴重品を含む荷物は部屋にそのまま残されていた。

自分の意思で姿をくらましたのか? 慣れない土地で迷ったのか? あるいは、何らかの事件に巻き込まれたのか?
いずれにせよ捜査員たちは、明るい結末をまったく思い描けなかった。それは、彼女が姿を消した場所が場所だったからだ。そこはロスでも屈指のいわくつきの場所、「呪われたホテル」として知られる恐怖の巣窟だったのだ。

今はなき恐怖の巣窟、セシルホテル/Netflixオリジナルシリーズ『事件現場から: セシルホテル失踪事件』独占配信中

呪われたホテル

エリサが滞在し、そして姿を消した「セシルホテル」は1924年創業の老舗だ。ロスの中心街に位置し、美しく高級感のあるロビーを擁するその姿は、一見すると良さげな宿に見える。しかし、実態はその真逆なものだった。

偶然、事件当時ホテルに滞在していたイギリス人カップルが取材に応じている。彼らの証言によれば、立派なのはロビーまで。部屋のある階のエレベーターをおりるやいなや、年季の入った廊下が現れ、殺風景な部屋は汚く埃まみれで、絨毯は不快にベタついていたという。

安価ゆえ致し方なし、寝るだけの部屋と諦めた2人は、街へと散歩に出る。初めての場所で迷った彼らは、路上で帰り道を訪ねた。しかしホテル名を告げると、聞く人聞く人皆が怪訝な顔をする。理由は簡単。そのホテルは、地元では知らぬ人のいない悪名高き場所だったからだ。

エリサ・ラム事件が起こった当時、セシルホテルに宿泊していたイギリス人カップル。彼らのトラウマ級の体験については割愛したが、想像しただけでも辛い……/Netflixオリジナルシリーズ『事件現場から: セシルホテル失踪事件』独占配信中

20世紀初頭、新興都市だったロスには、一旗挙げようと目論む人々が大量に雪崩れ込んだ。その受け皿として、セシルホテルは1924年に創業した。しかし1930年代に入り、世界恐慌をきっかけに未曾有の不景気へと突入したロスには、一転して失業者が溢れた。それを契機に、同ホテルは「とにかく、できるだけ安く泊まりたい長期滞在客」御用達へとシフトしていった。当然、客筋も悪化。暴力沙汰、窃盗、薬物、売春などなど何でもアリの無法地帯へと変貌していく。

これには、環境的な問題も大きく影響していた。同ホテルが立っていたのはロスの中心街だが、そこはいわゆる繁華街などではなかった。実に56ブロックにも及ぶ、世界でも有数のスキッドロウ(貧民街)のど真ん中だったのだ。

最低最悪なホテルになぜ若い女性客が?

この背景には、1970年代に行われた市の大規模封じ込め作戦があった。ロスにおける、ほぼすべての支援施設をここに集中させたことで、貧しい人々が集まる。刑務所を出所したばかりの者なども同様だ。いわば、ホームレスや犯罪者など、行政側にとって望ましくない住人を他の場所から隔離しておくために取られた政策だったわけだ。こうした場所は、後ろ暗い者たちにとっては居心地がいい。ホテル周辺が「バットマン」の舞台、ゴッサムシティさながらの犯罪街になったのも当然の結果である。

いずれにせよ、観光地には程遠い場所だ。なんせ、「ナイト・ストーカー」の名で80年代にアメリカを恐怖のどん底に陥れた猟奇殺人鬼リチャード・ラミレスが潜伏していたのもセシルホテルである。そのヤバさは折り紙付きと言っていいだろう(Netflixには、この事件を主題にした犯罪実録モノ「ナイト・ストーカー: シリアルキラー捜査録」もある)。そんな場所に、なぜエリサのような若い女性の観光客が来ることになったのか? これにも驚きのカラクリがあった。

悪評にまみれた現状を改善しようと、ある時、新支配人は一計を案じた。同じホテル内に、2つのホテルを作ることを思いついたのだ。こうして一棟のホテルが、「ステイ・オン・メイン」という外国人観光客向けのユースホテルと、従来の入居者+他の宿泊者用の「セシルホテル」とに分割され、それぞれが独立した宿泊施設として営業されることになる。もちろん旅行予約サイト上では、2つはまったく別のホテルに見える。

要するにエリサは、旅行サイトで手軽な価格帯のホテルを探しているうちに、セシルホテルに辿り着いたのだろう。そこが血塗られた最悪の場所だとは知らずに……。

ユースホテル「ステイ・オン・メイン」、に見せかけたセシルホテル。ホテル側も必死だったのだろうけど、これはねぇだろ、と言いたくはなる/Netflixオリジナルシリーズ『事件現場から: セシルホテル失踪事件』独占配信中

恐怖の防犯カメラ映像にネットが熱狂

捜査の取っ掛かりとなったのは、ホテル内に設置された複数の防犯カメラの映像だった。ロス市警はすべての映像を洗ったが、エリサが外に出たところは確認できなかった。つまりエリサは、まだセシルホテルの中にいる。

警察犬による探索が行われるが、彼女の匂いは5階の西側の通りに面した大きな窓までで途絶えていた。その外には非常階段があったため、屋上も調べるが不発に終わる。失踪から13日後、行き詰まった市警は、彼女が映った防犯カメラの映像を一般に公開、情報を求めた。しかし、そのあまりの異様さが、一般市民たちの想像力に火をつけてしまう。

約4分ほどの映像は、ホテルのエレベーターを映したものだった。

まずドアが開くと、エリサが入ってくる。突然腰をかがめると、階を選ぶボタンの真ん中の列をすべて押す。それから、おもむろに扉から頭を出し、左右を急いで確認するかのように首を振り、再びエレベーターの中へ。まるで、外にいる誰かから身を隠すような動作をする。そして再度ドアから顔を出し、右側を気にする様子を見せる。続いて、エレベーターの外に出ると小さく飛び跳ね、ダンスのステップを踏むような動きで出たり入ったりを繰り返す。再び外に出た彼女は、左側に進んでカメラの視界から消える。この間、エレベーターは開いたままだ。

再び戻ってきたエリザは、ボタンをめちゃめちゃに押し、髪をかき上げながら再び外に出る。すると今度は、まるで何かを手招いているかのような形に手を動かして、体をひねったり回したりといった奇妙な動きを見せる。そして、そのまま左方向に姿を消し、映像は無人になる。ここまで約2分30秒。その後、エリザ不在のまま映像は続き、突如ドアが素早く閉まる。しばらく経つと再び扉が開き、特に何も起こらないまま映像は終わる。

謎すぎるし、何よりかなり不気味だ。ほとんど呪いのビデオの類や、ホラー映画のワンシーンにしか見えない。これがエリサの最後の姿を捉えた映像としてネット上で拡散され、再生回数2500万回超えのバズ案件となる。雨後の筍のごとく、事件の謎に迫ろうとするYouTuberらが現れる。ネット上では推理合戦が加熱する。彼らは、自室で安楽椅子探偵として活動するには飽き足らず、実際にセシルホテルへと赴き撮影を試みる。こうして、さまざまな噂と憶測が飛び交う中、事件はさらに混迷を極めていく。

ロス市警が公表した監視カメラの映像がバズり、ネット上ではYouTuberらの推理合戦が繰り広げられる/Netflixオリジナルシリーズ『事件現場から: セシルホテル失踪事件』独占配信中

期待を裏切る「真実」の苦味

エリサとセシルホテルをめぐる謎が、多くの人たちを惹きつけた理由はよくわかる。彼女がTumblr上に残していた日記は、読む者が「暗い運命へと進んでいく繊細な若き女性」という“物語”を膨らますのに十分な魅力を備えていた。自分探しの真っ最中だった彼女に、己を重ねる者もいた。事件自体も、都市伝説的な引きがあるし、何より映像のインパクトがすごい。また、この事件は、「偶然の一致」と言うにはあまりに出来すぎな、トンデモなネタの宝庫でもあった。

ハリウッド・リメイクもされた、とあるジャパニーズ・ホラー映画との類似点の数々。これは、映画を模そうとした犯罪者の仕業なのか? 極めつけは、彼女の滞在中にスキッドロウで結核の流行が起きていたという事実だ。なんと、結核の診断に使用する検査の名前は「LAM-ELISA法」。これは、言うまでもなくエリサの性と名前を入れ替えたもの。彼女は生物兵器だったのでは? 内部告発を恐れた政府の人間が彼女を消したのでは? そんな説まで飛び出す始末。

こうした陰謀論的思考と、好奇心を原動力とする素人探偵たちの正義感は、時に確たる証拠なしに他者を断罪・攻撃するという、あってはならない一線を軽々と越えてしまう。この事件でも、彼らに疑いの目を向けられたメキシコのブラックメタル・ミュージシャン「モービッド」が、死や暴力をモチーフとしたアートフォーム——そうした音楽ジャンルを知る人間なら、取り立てて珍しいものでもないとわかるはずだが——と、いくつかの偶然の一致から、事件の首謀者として世界中から攻め苛まれ、精神的に追い詰められていくという悲劇を生む。

メキシコ人のメタル・ミュージシャン、パブロ・バーガラ a.k.a モービッドの現在の姿。作中では「デスメタル」と説明されるが、音楽的にもビジュアル的にもブラックメタル。ネット上で「犯人」としてフルボッコにされ、ついには自殺未遂を起こすまでに……/Netflixオリジナルシリーズ『事件現場から: セシルホテル失踪事件』独占配信中

ネット民たちは、確かに失踪したエリサを救うべく、並々ならぬ熱意を事件に注いでいた。しかし、それは本当に彼女のためだったのか? 本作は、人間の持つ善意と見せ物根性との皮肉な関係性を浮き彫りにする。

きっと誰しもが、事件は呪われた場所に潜む悪しき存在の仕業だと信じたかったはずだ。そしてそれは、私たちも視聴者も同様である。下世話な好奇心に突き動かされ、いわば「奇妙な物語(しかも実話)」と「驚きに満ちたネタばらし」を期待して本作を鑑賞していたはずだ。しかし、事件には被害者やその家族が存在するし、必ずしも大衆が望むような結末が用意されているわけでもない。これは、そんな当たり前のことなのに忘れられがちな現実を、客観的かつ論理的に導き出されたアンチ・カタルシスな「真実」を通して、見る者にいやがおうもなく突きつけてくる“苦い”ドキュメンタリーなのだ。

ライター・編集者。「生活と想像力」をめぐる“ある種の”ライフスタイル・マガジン「生活考察」編集人。文芸・カルチャー・ビジネス系の媒体を中心にいろいろと執筆。
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