「愛されたければ、よその家に行けばいい」Netflix『ウィロビー家の子どもたち』の一筋縄ではいかないネグレクト問題
●熱烈鑑賞Netflix 58
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「困難を乗り越えてハッピーエンドをむかえる、そんな映画じゃないぜ」
こんなナレーションから始まるNetflixアニメ映画「ウィロビー家の子どもたち」。語るのは、物語の一部始終を見ていた一匹の猫だ。
ご覧の通りキャラクターのビジュアルは、かなりファンシー。緩急がありつつヌルヌルしたアニメーションは、コミカルで愛らしい。それだけで飽きずに観ていられるほどのクオリティなのだが、物語のテーマはネグレクト。超ネグレクトだ。
ネグレクトをファンシーなアニメーションが中和
「愛されたければ、よその家に行けばいい」
落ちぶれた元名家「ウィロビー家」の主が、自分の赤ちゃんを足蹴にしながら言ったセリフ。長男のティム、妹のジェーン、双子のバーナビー(2人とも名前が同じ)は、愛情も食事も与えられずに育った。
お互いを愛しすぎるウィロビー夫婦にとって、子どもたちはどうでもいい存在だった。「だったら4人も子ども作るんじゃないよ」と思うが、意外とネグレクトってそうなのかもしれない。どうでもいい存在だからこそ、深く考えずに作ってしまう。ネグレクトあるある、嫌なあるあるだ。
そんなある日、ウィロビー家の前に赤ん坊が捨てられていた。子どもたちは保護するものの、両親は当然のごとく「捨ててこい!」と激怒。だけでなく、これがチャンスとばかりに子どもたち全員を勘当する。
ティムは「ウィロビー一族の誇り」に後ろ髪を引かれるが、ジェーンは「理想の家はどこかにある」とポジティブだ。虹の麓にあるお菓子工場に憧れた子どもたちは、「親を消して、こっちから孤児になる」と目論み、両親を危険いっぱいの冒険の旅に招待する。ウィロビー夫婦には、火山の爆発、酸の海、凶暴な猛獣などなど、幾多の死のピンチが訪れるが、無自覚で乗り越えてしまう。
「子どもたちは何歳なのか?」「学校は?」「旅行のお金は?」「親の仕事は?」などなど、そこら辺の設定や整合性はぶっ飛ばして物語は進んでいく。ノリと勢いとクレイジーなどほどに明るいアニメーションが、気が滅入るようなネグレクト成分を中和している。
しかし、本当にこれでいいのだろうか。気分よくアニメーションを楽しめるのだが、メインテーマの意義が揺らいでいるようにも見える。
皮肉と偏見にまみれたキャラデザイン
ストーリー展開だけでなく、キャラデザインもノリと勢いが大事にされている。「双子の名前が同じ」なんて、冷静に考えたら意味がわからない。しかし、それがネグレクト感を表現していたりする。言葉の説明は足りないが、ビジュアル、歩き方、音、アニメ内で描かれる事実そのものが「このキャラはこういう風に見てくださいね!」というガイドラインになっているのだ。
例えば、児童相談所の面々がわかりやすい。本来、児童相談所なんて圧倒的に正義の立場だ。だがこの作品では、子どもたちと子守のリンダを引き離す役として登場するため、「悪」として描かれる。
軍隊のように一糸乱れぬ足並み、同じ黒服に同じサングラス、どこからか照らされる青白い光、斜め下からのカメラアングル、おどろおどろしいBGM。全く悪いことをしていないのに、これらの一方的な目線の演出が、「児童相談所の奴らは悪として認識してください」と見方を教えてくれる。
他にも、「マニーマニー♪と歌う金に汚い不動産屋」「幸せすぎて電流にも気づかない鈍感な男」「現代的すぎてネットに脳が侵されている(ように見える)家」「音楽好きの薄っぺらい(ように見える)家族」、悪に見えるキャラクターたちは多数登場する。どいつもこいつもウィロビー家の子どもたちにとって不快な存在なのだが、ふと冷静になると何にも悪いことはしていない。製作者の皮肉と偏見にまみれたキャラ設定が楽しい。
突然噴き出すネグレクトの不快成分
幾多の困難を憎らしくも愛の力で乗り越えたウィロビー夫婦だったが、スイスの雪山で遭難してしまう。ティムたちは両親を迎えにいくため、お菓子の飛行船に乗って雪山へ。やっとの思いで氷漬けになった両親を発見し、救出する。
「愛してくれなくてもいいよ。でも僕らの親でいて」
全てを水に流し、本音を語って和解を求めるティム。初めて見せる穏やかな表情の両親に、子どもたちは笑顔だ。大団円、感動のクライマックスだ。しかし、この時点でまだ残り時間はあと20分もある。冒頭の「困難を乗り越えてハッピーエンドをむかえる、そんな映画じゃないぜ」という猫のナレーションが脳裏をよぎる。
感動シーンからの、全くブレないウィロビー夫婦の行動で、ノリと勢いとファンシーさで抑えつけられていたネグレクトの不快成分が一気に噴き出した。「どういう映画!?」と1人で声を出してしまったほどだ。ナレーション猫の言う通りだった。
この物語は、ネグレクト問題を考えるとかそういった類のものではない。ウィロビー夫婦の行動が常軌を逸しているため、参考になんてならないからだ。
「こんな終わり方は許されない。そうだろ?」
ナレーション猫がこう言ったのは残り13分。ここからが、この物語の本質だ。形にこだわらない幸せ、それをどう手に入れるのかを楽しむお話だ。
『ウィロビー家の子どもたち』
監督:クリス・パーン
脚本:クリス・パーン、マーク・スタンリー
原作:ロイス・ローリー
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