「アンという名の少女」がすごい。アンもダイアナも原作通りだ!と観てたら、現代的解釈に不意打ちされた【熱烈鑑賞Netflix】
●熱烈鑑賞Netflix30
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どんなところが傑作なのか、ポイントを3つ
「アンという名の少女」は、カナダCBCとNetflixの共同制作で、Netflixで配信中。2020年9月6日からNHKでシーズン1が全8回に編集されて放送予定。L・M・モンゴメリの1908年の小説「赤毛のアン」を原作としたドラマだ。
「赤毛のアン」は、プリンスエドワード島のアヴォンリー村のグリーンゲーブルズ屋敷に住むカスバート家のマシューとマリラが男の子の孤児を養子に迎えようとするが、手違いで少女のアンがやってきてしまうところから始まる物語。
長いあいだ読み継がれ、幾度も映像化された少女文学。
傑作だ。「赤毛のアン」好きはもちろん、読んだことのない人も、ぜひ観てもしい。
今まで「赤毛のアン」の映像化で最高峰は高畑勲監督のTVアニメシリーズ「赤毛のアン」だと思っていたが、「アンという名の少女」を観てしまうと同率1位、どちらが1位だと問われても「無理、比べられない」。なにしろ高畑アンと「アンという名の少女」は原作を映像化するときにまったく違う方向を選んでいるからだ。
以下、どんなところが傑作なのか、ポイントを3つあげよう。
決定版アンといってもいいぐらいの魅力
【1】アンがアン!
「アンという名の少女」の主人公アンがアンなのだ。いや、そりゃアンはアンだろうと言うかもしれないが、これがなかなか難しく、実現してないことだったのである。
「赤毛のアン」は何度も映像化されている。たとえば、2017年に日本公開された「赤毛のアン」(監督ジョン・ケント・ハリソン)でアン・シャーリーを演じたのはエラ・バレンタイン。めちゃくちゃ上手い。ミュージカル「レ・ミゼラブル」でコゼット役を演じ、「白い沈黙」「スタンドオフ」などの映画作品にも出演する若手にしてベテランが、見事に演じきった。でも、原作のアンの印象とは違うのだ。
「赤毛のアン」の主人公アン、原作ではこう描写される。
“小さな顔は青白くて、肉が薄く、そばかすが散っている。口は大きいが、目も大きく、その瞳は、光線や気分によって、緑色にも灰色にも見える。普通の人が見ればこの程度だが、洞察力がある人なら、こんなこともわかるだろう。あごはとがっていて凛々しいこと。大きな瞳は生き生きとして明るいこと、唇は愛らしく、口もとは表情に富んでいること。額が広く豊かなこと。つまり、見る人が見れば、この寄るべのない女の子の体には、並々ならぬ魂が宿っている、という結論に達するだろう。”(「赤毛のアン」松本侑子訳/文春文庫)
アン本人が作中で何度も語るように一見しただけでは「器量が悪い」。映像化するときに、ここが変えられてしまう。ドラマやマンガあるあるだが、設定上は「器量が悪い」主人公を、「器量が良い」女優さんが演技力でねじ伏せるパターンだ。
だが、「アンという名の少女」のアンは、ちゃんと痩せていて、目も口も大きくて、そばかすが散っている顔だ。原作を読んだ人が想像した顔と姿が、脳内から抜け出して現実化したようなアンなのだ。
さらに重要なのは、アン本人は「器量が悪い」と自分の外見を気にするが、「洞察力がある人なら」魅力的なキャラクターだと分かるということだ。この点も、申し分なし。観ているうちに我々はアンに夢中になる。おしゃべりすぎるし、失敗もする、やりすぎのところもある。ちゃんと欠点のある少女としてアンを描きながら、その魅力で我々を虜にするのだ。
シーズン2で髪染めに失敗してしょうがなくショートカットにしたときも、アン本人は落ち込むが、いや、めっちゃかわいいのだ(佐藤栞里さん似!)。
アンを演じるのは、エイミーベス・マクナルティ。1,800人以上の中から選ばれた。決定版アンといってもいいぐらいの実在感と魅力を兼ね備えたアンなのだ。
超絶アンを好きな人の二次創作のような
【2】アンじゃないけどアン!
1話の前半、ほぼ原作通りに進み「いやー、すごい!」とその一致度に驚愕させるのだが、じょじょにアレンジが効いてきて、1話のラスト、マシューが馬で疾走するシーンが出てくると「ひゃー!」となる。さらに話数が進むにつれて、「アンという名の少女」が大胆にアンの世界を現代的にリニューアルした作品だと分かってくる。
原作にはなかったエピソードを入れてくる。無口であまり行動しないマシューが凄い冒険したり、原作ではチラっとしか登場していないキャラクターのエピソードが描かれたり、初潮を迎えるシーンがあったり、ルビーの家が火事になったり。
原作にないエピソードが描かれると「なんか違う……」ってなりがちなのだが、「アンという名の少女」は、そこも絶妙に上手い。アンが大好きでアンを研究しつくした人が作ってるに違いなくて、アン的世界を崩さないのだ。
挿入されてエピソードが、原作の本筋にすっと融合し、原作通りのセリフへ着地する。「あ、この新エピソードは、アンのあのシーンに接続し、強化するためだったんだ」と驚かされる。
原作では描かれてなかったけど、その背後でこういうことが本当にあったのかもしれないと思わせる。超絶アンを好きな人が誠実に作った二次創作のような大胆さだ。
もちろん、紫水晶、いちご水、石板割り、花だらけの帽子、ふくらんだ袖への憧れ、お化けの森、物語クラブ、スペリング対決、マリラの初恋など、原作好きなら映像で観たいと思うシーンは、ガッチリ押さえられている。
製作総指揮はモイラ・ウォリー=ベケット。「ブレイキング・バッド」のプロデューサー脚本家だ。メインスタッフの多くが女性である。
アンがまっすぐに語る
【3】ジェンダー、人種、格差、アイデンティティなど現代的な問題が描かれる
大胆なアレンジによって、「アンという名の少女」は、現代的な問題がストレートに描かれた作品になった。孤児院でいじめられたフラッシュバックに悩まされるアン、アヴォンリー村に来ても偏見によって苦しめられる。ジェンダーの多様性も大胆かつ直接的に描かれて、「あのキャラクターが!」と驚くこともあり、コールという自分のジェンダーで悩む新キャラも登場する。ギルバートは蒸気船で働き、そこで親友になった黒人バッシュとともにアヴォンリー村に帰ってくる。
アンという世界観に沿った形で描かれるため、複雑な問題に真正面から立ち向かう姿が描けた。直接的な主張も、アンがまっすぐに語ることで、自然に気持ちに入ってくる。
現代的な視点が入ったアンとして存分に楽しめる作品になった。
3つに絞ったが、ほんとうはもっといっぱいある。アン以外のキャラクターもイメージにぴったり! プリンスエドワード島やオンタリオ州南部で撮影された景色の美しさ! 原作では描かれなかったキャラクターがどんどん掘り下げられる面白さ。どんどんアンの世界が好きになって、それぞれのキャラクターに感情移入して、観ているだけで幸せな気持ちになれる作品だ。
「アンという名の少女」
原題:Anne with an “E”
原作:L・M・モンゴメリ
製作総指揮:モイラ・ウォリー=ベケット
アン・シャーリー(エイミーベス・マクナルティ)
マリラ・カスバート(ジェラルディン・ジェームズ)
マシュー・カスバート(R・H・トムソン)
ダイアナ・バリー(ダリラ・ベラ)
ギルバート・ブライス(ルーカス・ジェイド・ズマン)
レイチェル・リンド(コリーン・コスロ)
ジェリー・ベイナード(エイメリック・ジェット・モンタズ)
Netflixシーズン1から3まで配信中
NHK総合1で2020年09月06日午後11:00から全8回
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