「女性が作った映画を見よう、女性の声を聞こうという時機が来た」映画『はちどり』キム・ボラ監督

『パラサイト 半地下の家族』が世界の映画賞を席巻し、注目された韓国映画。そんな『パラサイト』と並び、2019年の韓国映画界を代表するような作品と評されているのが、6月20日に日本公開を迎えた『はちどり』です。長編作品に初挑戦した、キム・ボラ監督にインタビューしました。

『はちどり』は1994年のソウルを舞台に、中学生のウニが見つめる複雑な世界を繊細に描いた作品で、本国では単館系としては異例のヒットを記録しました。ベストセラー小説『82年生まれ、キム・ジヨン』と同世代の少女が主人公のこの映画のヒットは、韓国で盛り上がったフェミニズムの波と無関係ではありません。今、韓国映画に何が起きているのでしょうか? キム・ジヨンとは1歳違いで、本作が長編デビューとなる1981年生まれのキム・ボラ監督にお話を聞きました。

――『はちどり』の主人公ウニは、ちょっと冷めたような目でまわりを見ている女の子。学校になじめず、商売で忙しい両親や、機嫌が悪いと暴力を振るう兄との関係に大きなストレスを抱えています。映画を見ていて、ウニには監督の少女時代が、ウニが心を開いていく漢文塾の講師ヨンジには大人になった監督自身が投影されているように感じました。

キム・ボラ監督(以下、キム・ボラ): この映画を見てくださった多くの方から、ウニとヨンジには私の姿が反映されているのではという感想をいただきました。そのような設定はしていなくても、創作をしていると、どうしても自分の胸に秘めた気持ちや内面が反映されるものです。彼女たちにも当然、私の姿が投影されていると思います。

ウニとヨンジだけではありません。映画が完成したあと、"家父長制度の象徴"のようなウニの父親と兄にも自分の姿が投影されていると気づきました。私自身はフェミニストとして生きているのに、どこかに家父長制的な一面もあるのだと気づき、自分で驚きました。

――女性でも家父長制的な考えを持ち得る、ということでしょうか?

キム・ボラ: 家父長制的というのは、(家庭内における父親に限らず)誰かを抑圧したり、自分だけが正しいと思ったり、凝り固まった考えを持っている人たちのことを指す言葉でもあります。

家父長制的な男性や考え方は嫌いですし、自分の中にそんな部分はないと思っていましたが、人間ならば性別に関係なく、誰しもそういう部分を持っていると気づきました。でも男性のほうが、社会的に家父長制的な面を容認される範囲が広い気がします。

――この映画は、2013年に脚本の初稿が完成し、2019年8月に韓国で公開されました。韓国でフェミニズムの波が盛り上がった同じ時期に、製作、公開へとつながったタイミングをどう感じていますか?

キム・ボラ: 2019年は『はちどり』だけではなく、ユン・ガウン監督(2016年、『わたしたち』が日本公開)、イ・オクソプ監督(2019年大阪アジアン映画祭で『なまず』上映)など、多くの女性監督の新作が公開されました。同じ時期に、あれほどたくさんの女性監督の映画が公開されたのは前例のないことです。

2019年は韓国映画誕生100周年でした。『パラサイト 半地下の家族』が成功し、『はちどり』もベルリン国際映画祭はじめ海外で好評を得ることができました。女性監督の作品もたくさん公開され、「韓国映画史において象徴的な年だった」と振り返る人もいます。美味しいお店がたくさん集まっている通りは、お客さんが集まって繁盛しますよね。それと同じような流れが韓国映画界で起きたのではないかなと思います。

先ほど挙げたユン監督とイ監督、もう1人ユ・ウンジョン監督(2019年、富川国際ファンタスティック映画祭in東京で『夜の扉が開く』上映)の3人とクロストークするイベントを試みたり、女性監督同士が連帯して動いていたことも話題になりました。

――アジアの良作が集まる大阪アジアン映画祭では、今年上映された6本の韓国映画はすべて女性監督の作品でした。韓国映画界で女性監督の活躍が目立ち始めた背景には、何か制度的な理由があるのでしょうか?

キム・ボラ: 残念ながら制度的に変わった部分はありません。日本も韓国と似たところがあると思いますが、女性は今まで抑圧の中で生きてきました。抑圧を経て、韓国では最近になりフェミニズム文学や映画が脚光を浴び始めています。ただ、それには江南(カンナム)通り魔殺人事件(※)というきっかけがあり、起爆剤になったことは確かです。1人の女性の死をきっかけに女性たちが立ち上がり、「自分が被害者だったかもしれない。だけど生き残ったのだ」という主張を掲げてデモをするようになった。抑圧されていた気持ちが一気に吹き出して、フェミニズムの波が起きたと言えると思います。

出版界でもベストセラーになっているのはフェミニズム文学がほとんどで、文学賞も女性作家が席巻しています。「男性作家には飽きた」という声も聞かれます。今までも女性作家は懸命に声を上げていたのですが、男性作家ばかりがもてはやされ、注目されてきたのです。今は流れが変わり、読者も女性作家の作品を探して読むようになりました。

映画に関しても、女性監督が撮ったものを好んで観ようとする動きが出てきています。『はちどり』もフェミニズム映画と言われていますが、そういう流れの中で生まれた評価と言えます。

この10年間に公開された韓国映画を振り返ってみると、ヤクザものやマッチョ自慢をするような作品が多く、ポスターを見てもだいたい男性がセンターです。女性は隅のほうにポツンと写っているだけ。前のパク・クネ政権が非常に保守的で、映画も保守的になっていました。女性たちはそんな映画に飽き飽きしていて、女性が登場する映画を熱望していた。そういう声は、何も急に出てきたわけではありません。もともとそう訴えていたのですが、声を上げても注目されなかった。ようやく無視できなくなってきたということです。女性が作った映画を見よう、女性の声を聞こう。そういう時機が来たのだと思います。

――女性が作った映画を見ようとする観客には、男性も含まれているのですか?

キム・ボラ: 性別に関係なく広がっていると思います。韓国ではここ数年、権威ある映画賞でも女性が数多く受賞するようになりました。釜山映画祭だけを見ても、2018年の受賞結果は女性が約半分を占め、2019年もやはり女性監督がたくさん賞を受けています。賞を取っているということは、評論家の間でも女性監督の作品を観ようとする動きがあるということです。

キム・ボラ監督

「女性がつくる物語も大切だ」という認識が生まれてきたのかなと思います。女性の経験が映画になれば、男性とは異なる視点が見えて、新しい声が聞こえる。そんな考えが広がっているのです。

(※)江南(カンナム)通り魔殺人事件:ソウルでも利用者の多い江南駅近くの男女共用トイレで起きた無差別殺人事件。犯人は男性がやって来ても目をくれず、女性を待って刃物で刺した。

●キム・ボラ監督のプロフィール
1981年11月30日生まれ。東国大学映画映像学科を卒業後、コロンビア大学院で映画を学ぶ。2011年に監督した短編『リコーダーのテスト』が、アメリカ監督協会による最優秀学生作品賞をはじめ、各国の映画祭で映画賞を受賞し注目を集める。 同作品は、2012年の学生アカデミー賞の韓国版ファイナリストにも残った。本作『はちどり』は、ベルリン国際映画祭はじめ国内外の映画祭で50以上の賞を受けている。

ライター、字幕翻訳者。映画、ドラマ(中国語圏が中心)、女性のライフスタイルなどについて取材・執筆している。大学卒業後、北京で経済情報誌の編集部に勤務。帰国後、団体職員を経てフリーに。