熱烈鑑賞Netflix

自己中男、男女の性役割が逆転した世界へ!「軽い男じゃないのよ」で価値観をアップデートせよ【熱烈鑑賞Netflix】

世界最大の動画配信サービス、Netflix。いつでもどこでも好きなときに好きなだけ見られる、毎日の生活に欠かせないサービスになりつつあります。そこで、自他共に認めるNetflix大好きライターが膨大な作品のなかから今すぐみるべき、ドラマ、映画、リアリティショーを厳選。今回取り上げるのは、男女の性役割が逆転した世界を容赦なく表現した映画「軽い男じゃないのよ」。最悪な現実に待っていたオチとは?

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今回妻から勧められた映画は「軽い男じゃないのよ」である。フランス映画だが、ネットフリックスオリジナル作品という扱いの作品だ。これがまあなんというか、男の自分としては大変居心地の悪い映画だった。

身勝手な独身男、性役割が逆転した世界へ!

主人公ダミアンはアプリ開発者の独身男である。それなりにモテる彼は、女と見れば全員とりあえず口説き、セクハラまがい(本人には自覚がなく、ちょっとからかっているだけのつもり)の言動も日常茶飯事。おまけに作っているアプリは「セックスした回数をカウントし、数が増えると男の写真の股間から生えている矢印がぐんぐん伸びる」というなかなか最悪なやつである。

ある日ダミアンは歩いている最中に道路標識のポールに頭をぶつけてぶっ倒れ、救急車の中で目を覚ます。しかし救急隊員は全員女性。ゴミ収集車でゴミを片付けているのもバーテンもスーツ着て歩いてるのも全員女性。男友達の作家も家で家事をやっており、その妻はテレビでラグビーを見ながらビールを飲んでいる。どうやらダミアンが目覚めたのは、男女の性役割が完全に逆になった世界のようである。

女性がすね毛をボーボーに生やし、反対に男は毛深いと「キモい! 生理的に無理!」と言われ、街中には半裸の男性のセクシーなポスターがペタペタ貼られており、そのへんを歩いているだけで女性から「可愛いね!」とナンパともからかいともつかない声をかけられる……。「女にウケないから」という理由で企画を潰され、セクハラに怒ったらクビにされるという事態に混乱するダミアン。彼は、元の世界では友人の作家のアシスタントであり、こちらの世界では自身が作家として奔放に活動しているアレクサンドラのアシスタントになる。次第に惹かれあっていくダミアンとアレクサンドラだが……。

作家のアレクサンドラとデキてしまうダミアン。こっちの世界でも恋愛は楽勝と思いきや……/Netflix映画『軽い男じゃないのよ』独占配信中

とにかく、「このテーマを扱うならここまでやらないとダメだろ!」という作り手の気合が充満した映画である。子どもを産むのは女性ながら、その後の育児や家事は全部男性がやり、彼らが外でやる仕事は全部サブ的なポジションのものばかり。文学賞を受賞した男は圧倒的に少なく、ポーカーではキングよりクイーンの方が強い。徹底して全部がひっくり返っており、容赦がない。

特に踏み込みが深いのが、フェミニズムとセックスの扱いである。この内容の映画では避けて通れないテーマだが、どちらに関しても容赦ない。ダミアンが迷い込んだ世界では男性の権利を主張する思想は「マスキュリニズム」と呼ばれており、男が何か文句を言うと「あ~、またマスキュリニストがなんか言ってるわ……」と煙たがられる。さらに同じ立場のはずの男からもマスキュリニストに対して「この男の面汚しどもめ!」と罵詈雑言を浴びせられ、権利運動は大変厳しい状態にある。つらい。

セックスに関しても、あちらの世界ではとにかく女性の行動は身勝手だ。嫌だと言っても止めず、自分が満足したらとっとと寝てしまう。加えて浮気はするわ飲み屋のトイレで一発やろうとするわのむちゃくちゃぶりで、それでも男たちは「女性はああいう感じの、子どもみたいな生き物だから仕方ないんだよ~」と諦めている。このへんの描写からは「ここまでやらねえと伝わらないんだよ!!」という気迫を感じた。

ダミアンの適応、そして練られたラストへ

この映画がちょっと面白いのは、ダミアンが特に反省したりしないところである。毛が生えてるのがキモいと言われれば「仕方ないか……」と脱毛し、この世界での男の服装も受け入れ、なんとなく適応していく。そのくせ「俺は間違っていた!」と大きく反省して女性に対する行動を改めたりしない。

「男がズボンやスーツを着て、女がスカートを履いたりするクラブ」に行くダミアンとアレクサンドラ。こちらの世界では普通だが、あちらでは変態の集まりのような扱いの場所だ/Netflix映画『軽い男じゃないのよ』独占配信中

この「そういうものだと言われると、なんとなく適応しちゃう」というダミアンの行動が、この映画のキモだと思う。そして、「軽い男じゃないのよ」の居心地の悪さは、このダミアンのぼんやりとした適応から発生しているところも大きい。つまるところ、彼の行動は現在のこの世界の女性たちがやっていることとほとんど同じだ。なんとなく納得はいってないところもあるけど、とにかく世の中の仕組みがそういうふうにできているから、好き好んでだろうが嫌々だろうが体毛は処理しないといけないし、身勝手な男の行動も受け入れる。

ダミアンが特に反省することなく「あちらの世界での男性」の振る舞いを身につけ、そしてアレクサンドラと恋に落ちていく様は、見ていてなんとも気持ちが落ち着かない。男の目線からこの映画を見て「おいおいおいダミアン、それでいいのかよ~」と思ってしまうということは、ひっくり返せばこの現実世界では多くの女性が「これでいいのかよ~」と思っているということに他ならないのだ。この居心地の悪さを世の女性は味わっているのか……ヘルじゃん……。

さらに難しいのは、「軽い男じゃないのよ」では「元の世界に無事戻ってきて、よかったねダミアン!」というオチにはならないところである。元の世界というのはとどのつまりダミアンのような身勝手な男性がやりたい放題やっている世界なわけで、そこに特に反省してない主人公が戻ってきてハッピーエンドというのは、ちょっと通らない。途中からは「この映画、どうやって終わらせんの……」というのが気になって仕方なかった。

という内容のこの映画が迎えたオチは、「なるほど……」と唸ってしまうようなものだった。確かにこれしかないというか、よくもまあこの着地点を探し出したものである。ちっともハッピーエンドではないけれど、でもひょっとしたら希望はあるかもねという、絶妙な終わり方だったように思う。妻に勧められてこの映画を見るというのはちょっと居心地の悪い体験だったけど、我が身を省みるのにはちょうどよかったかも。

「なんか最近男女平等とかよく言われるけど、なんのこっちゃ」と思っている人は男女問わず必見、価値観の現代的アップデートを図るには効果がある内容だろう。「男も女も関係なく、人間は人間として扱うべき」という話を性別問わず理解させるには、最適の映画である。

「軽い男じゃないのよ」
監督:エレオノール・プリア
出演:ヴァンサン・エルバズ マリー=ソフィー・フェルダン ピエール・ベネジット ブランシュ・ガールディン ほか

ライター。岐阜県出身。元模型誌編集部勤務で現在フリー。月刊「ホビージャパン」にて「しげるのアメトイブームの話聞かせてよ!」、「ホビージャパンエクストラ」にて「しげるの代々木二丁目シネマ」連載中。プラモデル、ミリタリー、オモチャ、映画、アメコミ、鉄砲がたくさん出てくる小説などを愛好。
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