「プライベート・ライフ」延々と待ち人を待つ、不妊治療のもどかしさとリアル【熱烈鑑賞Netflix】
●熱烈鑑賞Netflix32
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- 前回はこちら:テイラー・スウィフトのドキュメンタリー「ミス・アメリカーナ」日本社会に窮屈さを感じている人に観てほしい
今回妻から勧められたのは、「プライベート・ライフ」という映画だ。タイトルだけではなんだか内容がよくわからないが、題材としているのは不妊治療。地味で落ち着いた映画ながら、キツくて予想のつかない不妊治療の「空気」や状況そのものを見せてくれる作品である。
姪っ子の卵子で、不妊治療に活路を開け
ニューヨークに住む劇作家のリチャードと出版業界に勤めるレイチェルの夫婦は、40代半ばに差し掛かるも子どもに恵まれず、必死で不妊治療に取り組んでいた。しかしその効果は一向に現れず、2人の疲労と経済的負担は増すばかり。夫婦仲も悪くはないものの、不妊治療が原因のギスギスしたやりとりも多い。
一向に成果の上がらない不妊治療の打開策として、2人は医師から「他人に卵子を提供してもらい、リチャードの精子で受精させてレイチェルの子宮で育て、出産する」という治療法を提案される。しかしレイチェルは「他人の卵子を自分の体内で育てる」という方法にどうしても納得がいかない。だが、自分の卵子で自然に出産するにはすでに年齢的にも限界が近い。2人は焦りを感じつつ、ホリデーシーズンを迎えようとしていた。
そんな中で、リチャードとレイチェルにとって姪っ子に当たるセイディを、しばらく預かってほしいという申し出が2人に舞い込む。セイディは大学を落第、どうせならとニューヨークに居候にやってきたのだ。若く健康ながら、作家志望でちょっとエキセントリックなセイディを目の前にして、リチャードとレイチェルは卵子の提供を頼めないか思い悩む。散々迷った末セイディに相談を持ち込んだ2人だが、セイディは拍子抜けするほどあっさりとOKを出す。しかし、3人にとって本当に大変なのはこの先だった。
リアルで生々しい治療シーン
保険が適用されるとかされないとか、適用するにしても妊娠する確率が低そうな人に適用するのはどうなんだとか、他にもケアが行き届いていないところがあるだろうとか、昨今なにかと話題になりやすい不妊治療。人によって効果に差があり、おまけに個人の考え方や社会の状況も絡む、とてもセンシティブな題材である。
半年ほど前に結婚したということもあり、実際に自分も不妊治療を行なっている病院に行ったことがある。それまでさっぱりわかっていなかったのだが、普通の病院と違って不妊治療に来る人は基本的には健康である。咳こんでいたり、見るからに苦しそうにしている人はいない。なのに建物の中の作りや雰囲気は完全に病院で、ベンチに座っている人たちは全員真顔でじっと黙っている。「健康な人たちが並んで座っているだけ」ということなら役所とかと同じはずなのに、なんだか空気が重い。正直な話、最初に行った時は内心「帰りたい……」と思った。
「プライベート・ライフ」でびっくりしたのは、あの独特の重い空気が見事に再現されていることである。この映画は、リチャードとレイチェルの報われるかどうかわからない治療シーンをしっかり描く。待合室では他の夫婦や女性に混じってじ~っと座り、ノリを軽くしようとする医師のジョークに付き合い、見ようによっては滑稽な治療にも辛抱強く耐える。そのプロセスには「健康な人が集まっているのに空気が重い」「身体的にはクリティカルな病気はないのに、1日ごとに希望が薄れる」という、真綿で首を絞めるような息苦しさがいちいちつきまとう。しかもこの息苦しさからは、いつ解放されるのかさっぱりわからない。
「プライベート・ライフ」は、そんな「イヤな空気」としか形容できないものを見事にキャッチしている。セイディの言動はけっこうコメディっぽいところもあるし、開放感のあるシーンもあるのでずっと息苦しいだけの映画ではないが、前半でおれの印象に残ったのはこの嫌な感じだ。特定の場ややりとりに漂う間を捉えて、それを観客に体験させるのは映画の持つ重要な機能のひとつだ。その意味で、「プライベート・ライフ」は映画の強みを生かした作品だと言える。不妊治療に縁がないという人も、一回は見てみてほしい。この映画の待合室のシーンはものすごくリアルだ。
それでも待ち続けるしかない
もうひとつ映画の中で印象的だったのが、ラストである。そもそも不妊治療の最大のキツさは、「何が原因でいつ妊娠するかがよくわからない」という点にある。ひたすら効果があるであろう治療法を試し続け、とにかく待ち続けるしかない。ず~っと待機を続けるうちにも、治療費はかさみ続ける。しかし、ここで撤退したら今までの取り組みが無駄になるかもしれない……。そんな、ある意味ギャンブルのような引き際の難しさがどうしてもつきまとう。
そういうものなので、不妊治療を行う夫婦は「子どもができるのを手を尽くして待つ」という状況を強いられる。リチャードとレイチェルにとって、自分たちの子どもとは到着をずっと待っている待ち人なのだ。「プライベート・ライフ」のラストは、その2人の状況を見事に表現したものとなっている。
加えて言えば、この映画は省略が抜群にうまい。例えばリチャードとレイチェルの仕事はものすごく詳しく説明されることはないのだが、見ているだけで「なるほどこの2人は都会でクリエイティブな仕事に就いていて、妊娠について取り組むのが遅くなったのかな」ということは読み取れるようになっている。映画の中の全てはそういった語り口で統一されており、それらを全部見せられた後に、前述のラストシーンが待っているのだ。
とは書いたものの、おれも正直最初は「え!?」という感じだった。だがしかし今になって、あのラストは不妊治療というもののよくわからなさ、つらさ、切なさ、それでも割と傍目には普通っぽく見えるということなどなどを全部盛り込んだものだったというのがなんとなく理解できたように思う(決して難解というわけではない)。そんなラストシーンを見るためにも、是非とも通して見てほしい作品である。不妊治療とは一体どういう行為なのか、理解するためのとば口として十分資格を満たした一本だと思う。
「プライベート・ライフ」
監督:タマラ・ジェンキンス
出演:ポール・ジアマッティ キャスリン・ハーン ケイリー・カーター モリー・シャノン ジョン・キャロル・リンチ ほか
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