【グラデセダイ23 / 小原ブラス】Netflixドラマ「Followers」が描くステレオタイプな「女の幸せ」について
●グラデセダイ23
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2月末に公開されたNetflixオリジナルドラマ「Followers」が話題だ。渋谷の駅前の広告で大々的に宣伝をされているのを見たが、このドラマのキャッチコピーはこの通りだ。
「女を理由に、諦めなかった女たちがいる。」
「様々なライフスタイルの女性たち。SNS社会において直接的、あるいは間接的に影響し合っている人々を、現在のTOKYOのリアルを交えながら描く。」
男社会と言われるこの日本で性別にとらわれずに、リアルに生きる女性達の現代の新しい生き様を描く、まさに今熱い内容だ。Netflixが莫大なお金をかけ、全世界190か国に配信したこのドラマ、新しい価値観を見せてくれることを期待したが、まさか見終わった時にこんなにイライラするとは思わなかった。
このドラマは主に2パターンの女性が登場する。成功を夢見て社会の底でもがく女性と、既に成功し女としての幸せを掴むことを夢見る女性。この2パターンの女性が男社会に抵抗しながらも、それぞれの夢を追いかけるストーリーだ。
「女としての成功ってなんだろう?」
「女としての幸せってなんだろう?」
これを考えていくことがこのドラマの目的のようだ。
成功を夢見てもがく女性の代表的な人物は、池田エライザさん演じる百田なつめ。
彼女は、成功することを夢見る売れない女優だ。一応芸能事務所に所属をして活動をするも、オーディションに落とされ続ける日々。オーディションは大手芸能事務所に所属する女の子ばかりが採用され、自分には残り物の仕事しか回ってこない。そんな彼女は言う。
「自分は単なる丸。」
悪いところはないけど、格別良いところもない。むしろ自分が本来持っているトゲを隠し、社会に合わせて丸くなっているのに、社会は評価をしてくれない。
そんな彼女がある日、とある広告撮影の代理役として選ばれる。代理なので基本的には撮影時の立ち位置チェック等の仕事をするだけなのだが、「どーせ君は映らないから」とスタッフに言われたことをきっかけに、丸くあることに限界を迎える。
怒りに涙する百田が壊れてトゲのある姿を晒した瞬間にカメラのシャッターを切った人物がいる。中谷美紀さん演じる、超売れっ子カメラマンの奈良リミだ。百田のトゲのある姿を映した写真を奈良は自身のインスタに投稿、それをきっかけに百田は有名になり成功の道を歩む。
トゲのある姿を隠すことをやめ、単なる丸でなくなった時に成功の道を駆け上がっていく百田の姿を描くことで、「女性は自分のありのままの姿を思い切って晒していいんだよ」ということを伝えたかったのだろう。でも冷静になると、百田のこのサクセスストーリー、何もサクセスをしていないのだ。
たまたま代理として選ばれ、たまたま有名人に写真をアップされただけ、たまたまの成り上がりストーリーなのだ。「ショーガール」というストリップ業界で成り上がっていく女性の話の映画を思い出した。主人公がストリップ業界である男性社会で、下品でガサツな自分を全然曲げないのだ。そのようなサクセスストーリーと比べ、百田は何もかもがたまたま、そして受け身。誰も真似が出来ない、この超幸運ラッキーストーリーを見せつけておいて、キャッチコピーでは「女性のリアルを描いている」というのだ。成功した女性はみな運が良かっただけだと言いたいのか?
ある時、成り上がった百田がモデルの仕事で問題を起こし、芸能の仕事がなくなる。その時に百田は、自分達の力だけで自主制作映画を作る決意をする。ようやく幸運ではなく、百田が自分の力で何かを成し遂げようとする姿が描かれるのかと思って観ていても、その映画を作る時の苦労や葛藤が何一つ描かれない。資金集めをどうするとか、ロケをどうするかとか、さらっと簡単に描かれすぎている。何もかもが簡単で華麗に流れていくのだ。
そして驚くことにこの自主制作映画、日本にタランティーノ監督が来ているから、それを彼に見せようとするのだ。あれ?結局、有名人に目をつけてもらうのかよ。
百田の物語は終始、「権力に認められたら成功するよね」という「権威主義」なのだ。男性社会と戦って成功するシーンは1つも見当たらない。権力者に気に入られることばかりを考えるこんな女性を応援しようとは正直思えない。これで女性って素敵、女性も自分の力で成功できると言われても……選ばれるのはそりゃあいいよ。これだったら苦労しても幸運がないと報われないことを思い知らされるドラマを作った方がマシ。
そんな百田が描かれる一方で、既に成功して女としての幸せを追い求める奈良。彼女はこう言う。
「男性を通じてしか社会とは繋がれない女性にはならないでください。」
「私は仕事も女の幸せも諦めない人生を歩んできました。」
いかにも強い芯のある女性が言いそうな素晴らしい言葉だ。
そしてそんな彼女が考えに考えた、女としての幸せ。なんとそれは子どもを産むこと。新しい女性の幸せの形を示すのかと思いきや、なんの捻りも、なんの提案もない、昔ながらの女性の幸せ像を追い求めるのだ。いや、子どもを産むのはもちろん、一つの幸せの形ではある。でも、子どもを育てる環境に恵まれないこの時代に、現代の女性の幸せの理想像として提示するのにふさわしいのか疑問だ。
男性を通じてしか社会に繋がれない女性にならないことを目標としている彼女は、子育ても男性は不必要だと言い、男性に頼らず子どもを産もうとするのだ。そこまで男性を敵視しなくてもと思う。奈良は子どもを作る相手の男性を探すが、その男性は結婚しなくていいし、養育費を払わなくてもいいし、認知もしなくてもいいというのだ。男性はただの遺伝子なのだ。「この男はハゲだ〜」と色んな男性の写真をめくり、まさに遺伝子を探すシーンがコミカルに描かれている。これ、男女逆転して考えたら「あの女はブスだからな~」と男性が会話しているのを聞くのと同じくらい不快だ。男性をなんだと思っているんだ?男社会に抵抗するというより、男社会で女性が馬鹿にされてきたことと同じことを男性に仕返しをしているだけではないか。
なんとか遺伝子をゲットして子どもを産むと、今度は子育てと仕事の両立を目指す。子育てと仕事の両立は素晴らしい。でも、その方法が謎すぎる。
彼女にとって、子育てと仕事の両立は「子どもを職場に連れていくこと」らしいのだ。少しでも子どもと離れる時間が惜しいという彼女は、海外の撮影現場にも子どもを連れ回す。そして海外で病気になった子どもの看病のために、仕事を放り出す。お金のない女性で仕方なく職場に子どもを連れて来ているのなら分かる。お金が有り余るほどある彼女が、ベビーシッターを雇わない理由は一体何?子育てそんなに甘くないぞと思う。
世の中、お金がない中で苦労して子育てをしている女性が彼女を見たら、本当にイライラするだろう。とにかくこの奈良というキャラクターも応援しようという気持ちになれないのだ。
世間では女性の仕事と子育ての両立が大変だと言われるけど、それはけしてこのような幸運で甘い世界の話ではない。両立が大変だと言う女性のほとんどは、生活費を切り詰め、仕事と両立しながら限界ギリギリで生きているのだ。そのようなことを描かずに「女性のリアル」と謳うことが一番イライラするポイントだ。
このドラマが伝えたかったこと、それは何だったのだろう。
女としての成功が、幸運を持つこと、もしくは権力者に認められることで、女としての幸せが、子どもを1人で産み職場に連れて行くこと?
リアルな女性の苦労とその生き様を見せると言われながら、そこには何のリアルもなかったし、殆どの女性が真似できないような生き様だった。
このドラマにはゲイが主に2人出てくるが、どちらもデキル女をサポートする役。ゲイの男性をデキル女の金魚のフンのように描く手法も古すぎる。
キャッチコピーである「女を理由に、諦めなかった女たちがいる。」に嘘はないが、
「(超幸運だったから)女を理由に、諦めなかった女たちがいる。」が正しい表現になるのかな。
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