【グラデセダイ15 / 小原ブラス】フォロワーの数で人を評価する時代に
●グラデセダイ15
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「またあの芸能人もYouTubeを始めたらしいよ」
2019年は平成から令和に変わり、様々なことが目まぐるしく変化した1年だったが、そんな1年で僕の周りで最も話題になった噂話は間違いなくこれだと思う。僕もYouTubeで動画を配信しているので、このような話題には敏感だ。
これまでも芸能人がYouTubeを始めたというのはよく聞く話だったが、2019年は特にそれが顕著で爆発的に増えたと感じる。しかも芸能人に留まらず、これまでYouTubeに関心のなかった一般の方でもYouTubeを始めてみようという話もよく聞くようになった。
このタイミングでYouTubeを始める理由は様々だろうが、芸能人であればメディアの表舞台に出られなくなった時に発信する場が欲しい、というのが1番の理由だろう。これまでの芸能人はメディアでの露出が減ると芸の道を退かざるを得ないことが多かったが、個人として発信する力があれば芸の道を続けることが出来る。YouTubeは芸能人にとっての保険のようなものなのかもしれない。
ちなみに僕も「ピロシキーズ」という YouTubeチャンネルをやっているが、仕事が少ない時期はYouTubeに取り組めるので心安らかだ。僕がYouTubeを始めたのは、タレントとしての資料用に動画をアップしておきたかったからだ。というのも、TV番組の担当者に「関西弁を喋るロシア人」と売り込んでもいまいちピンとこない。だから、どんなものか実際の動画を是非みて判断してほしいという思いで動画をアップしてみたのがきっかけだ。だから、トークをカットするような編集をしないというのが当初の拘りだった。その意味があったかどうかは分からないが、TV局ではよく「ピロシキーズみましたよ」と、ニヤニヤしながら言われることが多い。今では楽しくなってしまい当初の目的とは離れ、すっかりYouTuberだ。
個人の発信力が大事になっていく時代に
一般の方がYouTubeを始める理由も、芸能人とそれほど変わらないのかもしれない。個人の発信力を高め、社会に評価されたい、そしてそれがお金に繋がれば社会から弾き出された時に生きていけるようにしたい、そんな理由が多いのではないか。
少し前までは、YouTuberやネットの世界でお金を稼ぐ人に対して、世間は「ちょっと怪しい人」というレッテルを貼り、ちゃんとしていない人として扱っていたので、興味はあっても社会人であれば手を出しにくかったと思う。会社で「変なことやってる人」と思われたくないという考えが、歯止めとなっていたのだ。それがここ最近、急に世間にYouTuberがチヤホヤされるようになったので、俺も俺もとやっと手を出せるようになったのが2019年なのだろう。
この流れが加速していくことを考えると、今後は個人が発信力で評価される時代になっていくはずだ。これまで、発信力が必要なかったような仕事にも、いずれその波は押し寄せてくるだろう。いや、もうすでにきている。
僕の周りでその波に飲まれていると感じるのはモデル業界だ。僕と同じタレント事務所には多数のモデルが所属しているが、誰もが口を揃えて、「昔と変わった」と言う。
これまでモデルはウォーキング技術や、体型維持、立ち振る舞いなど、モデルとしての技術で評価をされる時代だった。しかし、現在はInstagramのフォロワーの数が、他の何よりも大きな評価基準となっているのだ。昔はファンが居るか居ないかは関係のない業界だったのに、今は最低でもInstagramのフォロワーが1万人いないと、まともなギャラでランウェイを歩かせてもらえないこともあると言う。
これまでファッションショーは格好良いモデルが着る服をみて、その美しさに憧れを持つファッション好きへのアピールの場として開催されていた。しかし、現在は多数のフォロワーを持つインフルエンサーに憧れているファンへのアピールの場へと変わってきているのだ。開催する側としてはその方が手っ取り早い宣伝力になるから当然のことだろう。それに伴って、モデルのギャラは一昔前と比べると10分の1以下にまで下がっているとも言われている。
もちろんモデルだけで食べていけない彼女(彼)らは、他の仕事をすることになる為、自身を磨く時間の確保も難しく、さらにフォロワー1万人の壁を突破するためにも、日々SNSの活動に精力を注ぐのだ。フォロワーやイイネを購入したくなる気持ちも分からなくもない。
フォロワーの数が指標になってしまう現状
モデル業界に限らず、近年は会社の面接でSNSのフォロワーの数を聞く企業は増えているという。SNSのフォロワー数や、チャンネル登録者数の多い人、つまりソーシャルメディアでの影響力の大きな人ほど活躍しやすい社会構造になってきているのではないか。
考えてもみれば、誰かのSNSを教えてもらった時、どうしてもふとフォロワー数に目がいってしまう。フォロワーが自分よりも多いと「フォロワーが多いですね。すごいですね。」とちょっとかしこまってしまう。無意識に自分よりもフォロワーが多いのか、少ないのか、友達よりも多いのか少ないのかで、多少なりともその人の価値を評価してしまっているのだ。人は数字を比べるのがとても好きな生き物だと痛感させられる。
よく中国では個人の信用度をスコア化するシステムがあるというニュースに対して、「恐ろしい」と言う人がいるけど、実はもう既に私たちも似たようなことに巻き込まれているのかもしれない。
発信する力のある人が評価されるのは、時代の流れなので仕方のないことかもしれない。でも、物作りと向き合う人や、裏方として必死に汗水流して働いている人が評価を受けにくい社会構造ができるのは悲しいことだ。人前に立つことが得意ではない人に、やれ会社を立ち上げるべきだとか、やれSNSをするべきだとか、それこそが立派な人間なのだと押し付けるような社会にはなって欲しくないと思う。そのような人達が居ないと日本という国の社会は成立しないからだ。
見かけの数字に踊らされないこと
以前出演した、とあるTV番組のキャスティングの担当に「僕よりもフォロワーやファンが多い人は他に幾らでもいるのに、どうして僕を起用したのですか?」と聞いたことがある。それに対して彼は「ファンやフォロワーが多いのは良いことですが、そのような人達は発言できる幅が狭いですからね。」と言っていた。
それを聞いて僕は少しはっとさせられた。確かにファンが多いということは、それだけ発言や行動で裏切れない人を多く抱えている証拠。縛りも多いということだ。そのような人だけでは当たり障りのないことしか言えない番組になってしまう。ファンが少ないということは、発言にそれだけ縛りも少ないということ。ファンがいない人にも大事な役割と需要があり、それが強みでもあるのだ。
これは番組に限らず、会社や日本の社会においても同じなのではないか。表に出ない人、見えないところで頑張る人、目立たない人、このような人にも大事な役割と需要があってそれが強みにもなり得るはずだ。彼らがいないと社会は成立しないことを忘れてはならないと思う。そして今こそ、そのような人達をも評価する仕組みが何か必要なのかもしれない。
見かけの数字に踊らされず、自分の芯を持つこと、そして他人の中身に興味を示そうとすることを僕は心掛けていきたい。フォロワーがなんだ。
タイトルイラスト:オザキエミ
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