【グラデセダイ16 / でこ彦】グラデーションな関係 #4「大嫌いな関係」
●グラデセダイ16
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大林宣彦監督の映画『転校生』を初めて見たのは中学二年の春だった。男女の肉体が入れ替わる設定について、ゲイであることに悩んでいた当時の僕は何かを思ってもよさそうなものだが、惹きつけられたのはそこではなかった。
主人公・一夫の幼い頃の回想シーンがもっとも印象に残った。寝ているお婆さんの顔に止まったハエ目がけて殺虫剤を吹き付けると、狙いが外れて口の中に噴射してしまう。薬剤を飲み込んだお婆さんはそのまま目を覚ますことなく亡くなった。実際の死因は殺虫剤ではなかったと物語の中で明らかにされるものの、そんなことは僕にはどうでもよく、見終わったビデオテープを巻き戻しながら「真似をしよう」とひらめいた。
僕はその日から毎晩、父が眠る前に寝室に忍び込んで枕に殺虫スプレーを吹きかけるようになった。映画のように父の口に直接かけないのは優しさではなく度胸がないせいだ。
当たり前ながらそんなことでは父は死なず、代わりに尿道結石を患って秋に入院した。日課はなし崩しに消滅してしまった。
置き時計や手鏡や箱ティッシュなど必要な日用品を病室に持っていってあげつつも、このまま死にやしないだろうかと僕は期待を寄せた。
父親を嫌う僕は最低の人間なのだろう。
「誰のおかげで大きくなったと思っとるんだ」
偉そうな態度を見せると父はよくそう怒鳴った。確かに父のおかげで教育を受けることができた。贅沢な生活ではないにせよ、お金で困ることはなかった。それを幸せだと思わないといけないと思うことはできるが、幸せだと思うことはできなかった。
彼をひと言で表すと何だろうか。
「厳格な人」と形容されたことがある。先日友人に父親の話をしたときだ。入浴後に風呂場の窓を開けなかったとか、消しゴムのカスが床に落ちたままになっていたとか、サラダにごまドレッシングをかけすぎたりすると、家中を追いかけ回され、怒鳴られ、腕を引っ張られ、頭を殴られた。姉はさらに口答えをするので髪を掴まれ家から閉め出された。
「厳格」を手元の辞書で引くと、規律正しいさまと出てくる。ならば違う。父が何かしらのルールを守らせようとしていたとは思えない。それらは彼の機嫌が良ければすべて見逃されるものだった。
中学生になった姉は陰で父のことを「暴君」と呼んでいた。「横暴」。わがままで乱暴なさま。これが一番しっくりくる。
その横暴な父と会ったことのある小・中の同級生たちは信じられないことに「面白くて優しい人」と表現した。「うちのお父さんもあんな風だったらいいのに」とさえ言われたことがある。家に友人が遊びに来ていると、父はスナック菓子を差し入れたり、車でドライブに連れ出したり冗談を言ってもてなした。下の名前で呼びかけ、「好きな子おるん?」とまるで自分も友だちの一員であるかのように親しく話しかけてきた。
「食べるときお菓子をボロボロこぼしていた」とか「車のシートに髪の毛が落ちていた」とか「ドアノブを閉める音が大きいガサツな人間だ」などと文句を僕にぶつけるのは、友人が帰ったあとである。
難しいもので、だからといって他人から「最悪の父親だったんだね」と言われたとしても僕は反論するだろう。父は僕や姉や母を全く愛してくれなかったわけでもない。
たとえば、日曜日になると父は朝食を作ってくれた。たいていはフレンチトーストだった。食卓のホットプレートを母と姉と僕の三人で囲み、土曜日の夜のうちから卵液に浸した食パンを父がヘラを使って器用にひっくり返し、目の前の皿に配給してくれるのを待った。
まだらに焼き目のついたトーストにメープルシロップをかけるが、かけすぎると怒鳴られてせっかくの楽しい朝が台無しになる。スプーンに乗せた生卵を落とさず運ぶような気持ちで慎重にメープルシロップの瓶を傾けた。
しかし、僕は甘いものもパンも好きだが、フレンチトーストが好きではなかった。オニオンスープの上のトーストやパンプディングなどぐじゅぐじゅになったパンの食感が濡れたティッシュを食べているようで大嫌いなのだ。そんなことを言おうものならまた機嫌を損ねるので言ったことはないが。
「こんなものいらない」と残して髪を掴まれていた姉はわざと卵と落として割れるのを楽しんでいたのだろうか。
好きな食べ物というのは難しい。例えば卵焼きひとつとってみても、甘い・しょっぱい、硬い・柔らかい、できたての温かいもの・お弁当に入った冷たいものと様々ある。好きであればあるほどこだわりが生まれ、その条件から外れたものすなわち「嫌いな卵焼き」が増えていく。それはもはや「おいしいものなら可」という条件付きの嫌いな食べ物とイコールではないだろうか。好きな食べ物は難しい。
僕は父親というものが好きだ。
本でもテレビでも道を歩いていても父子のペアに自然と目が吸い寄せられる。
たとえばスーパーの食品売り場で、父親が子どもの頭を撫でながらお菓子を選んでいると、僕は凝視したままキュッと胸が痛んで動けなくなる。その輪に僕も混ぜ入れてほしい。しかし息子でも父親でもない僕はそこに立ち位置が用意されていない。彼らの姿はありえなかった過去であり、ゲイの僕にはありえない未来なのである。
「こんな父親になりたい」という願望は出来損ないの蝶々結びのようにすぐにほどけ、何度も結び直した「あんな父親がよかった」という後悔は複雑に絡まって締め付けてくる。
子どもを愛していなくてもいいので怒鳴ったり頭をはたかない父親がよかった。怒鳴っても殴ってもいいのでぎゅうと抱きしめられたかった。
父親という存在が好きなあまり、条件から外れた自分の父が嫌いになる。「こんなものいらない」と払いのけてしまいたい。
しかしそうしないのはやはりそんな度胸がないからだ。僕の手は父とも子ともつながれずに、生卵を乗せたスプーンを持ってどうしたものかと突き出したままである。
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