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【グラデセダイ11 / 小原ブラス】女性が自分のつらさを伝えるには?

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は「5時に夢中!」や「アウトデラックス」などに出演中のタレント・コラムニストの小原ブラスさんが考える「女性のつらさを誤解なく伝える方法」。

●グラデセダイ11

日本の社会はまだまだ女性に優しくはないと言われる。それでも、SNSの発達とともに社会に向けて発信をして、共感を得る機会はかなり増えたと思う。
今年はSNSでセクハラや性被害を告発する「#Metoo」運動が世界中で爆発的に広がったり、日本ではMetooをもじって「靴」と「苦痛」をかけ合わせた「#Kutoo」運動も新語・流行語大賞トップ10に選ばれるほど知られるようになった。これは女性が職場でハイヒールやパンプスの着用を義務付けられていることに抗議する運動だ。

我慢が美徳とされてきた日本では、これまで堂々と自分の苦しみを発信するのは難しかったかもしれないが、SNSの発達はそのような面で日本の社会にはとても良い影響を与えているように感じる。

自分が抱えていない他人の苦しみは、当事者のリアルな話を聞くまでは、イマイチ想像できないだろう。さらに、そのような苦しみがある事実を知らなければ、考えることすらないのだ。
だから女性には是非今後も、何が苦しいのか、何がつらいのか、声を上げてほしいし、男性としても積極的にその苦しみを少しでも和らげるために、何か出来ないか考えていきたいと思う。

「女性は苦しい」のその先を

SNSの発達で、自分の苦しみを他人に伝えやすくなったことは素晴らしいことだとは思うが、その一方で、簡単に誰もが発信できるが故に、自分の苦痛を伝える目的を見失っている人が増えているようにも感じる。「理解してほしい」「配慮してほしい」という主張の目的はどこにあるのだろう。

「女性は苦しい」「女性はつらい」と言うだけでは、ただのグチになってしまう。それが同じ境遇の女性しかいない女子会での発言ならただのグチで構わない。でも設定条件や環境が違う人たち(ここでいえば男性)に理解してもらうのが目的なら、グチにとどまってはもったいない。「女性は辛い。だからこうしてほしい」という「(発言の)目的」までしっかりと意見を持って発信をしないと、男性としてもその発言をどう受け止めれば良いか分からないからだ。「男は理解してくれない」といわれても、「何を?」「じゃあどうすればいいの?」と思ってしまう。

今年話題になった#Kutoo運動は、「職場でヒールを強制しないでほしい」という目的がハッキリとしていたからこそ、ここまで広がったのではないだろうか。試しに僕もヒールを履いてみたし、男女兼用の職場用スニーカーみたいなものが流行ればいいのにと思った。

最近、「理解してほしい」という目的が見えにくいと感じた一例が「生理はつらい。男性は生理がないから楽でいいなあ」というSNSでよく見られる発言だ。生理の苦痛を伝えようとすることは素晴らしいのに、最後の一言が余計だ。

この発言の良くないところは相手の苦しみをはなから否定している点だ。案の定、それを聞いた男性からは「つらいのは大変かもしれないけど、男にだってつらいことはあるぞ!」といったな返信がたくさんついていて、本来伝えたいことが何も伝わっていないと感じる。
これでは、“どっちの方がつらいか選手権”が繰り広げられるだけだ。生産性がないだけではなく、それぞれへの憎悪を生んでしまっている。偏見をなくせと言いながら偏見を押し付けているようなものだと思う。

「理解をしてほしい」という目的は、理解してくれる相手がいないと達成しないことを忘れてはならない。理解してもらうには、自分も相手の痛みを理解しようとしなければ。

「男性もいろいろ大変だとは思うけど、女性の生理は本当につらい。だから、生理中は○○してくれるとありがたいな。」

こんな言い方できれば共感できる男性はぐっと増えると思う。

今回は女性の発言を取り上げたが、男女逆のパターンでも同じこと。
男性は女性の敵だ、女性は男性の敵だと勘違いしている人もいるけれど、それはその人の伝え方、コミュニケーションの取り方に問題があることが多い。伝え方上手は幸せなことだとつくづく思う。

「私って男っぽい性格なんだよね」のワナ

女性を苦しめるのは男性、男性を苦しめているのは女性と、一括りに敵を決めつけるのは簡単なことだけど、本当はそんな単純ではない。意外と同性同士で苦しめ合っている事実もあることを忘れてはならない。

例えば、女性とご飯を食べに行くと、それぞれの性格について話題になることがある。最近の女性は「私って男っぽい性格なんだよね」と言う人がものすごく多いことに気がついた。逆に「私って女っぽい性格なんだよね」と言う女性には今まで1度も出会ったことがない。ほとんどの女性が自分のことを「男っぽい性格だ」と思っているようだ。

普段ならそれほど気にならない内容だが、ふと「男っぽい性格」「女っぽい性格」ってなんだ?と気になってしまうことがある。
聞くところによると、「男っぽい性格」はサバサバした感じを指すらしい。ハッキリと物事を言える、細かいことを気にしない、グチグチ過去のことを言わない、長文のLINEを書かない、1人の時間を大切にする……などとハッキリとした定義もなく、各々のなんとなくのイメージのようだが、共通してそれほど悪いイメージはないようだ。

そして「女っぽい性格」は、その逆でネチネチした性格らしい。優柔不断で、細かいことをいつまでもグチグチ言う、集団で行動し、裏で噂話や陰口を言うのが大好き。おおよそあまり良くない性格のことを「女っぽい性格」だと言うらしいのだ。これこそ偏見ではないだろうか。女性をなんだと思っているんだ。これほどメディアでは「女らしさ」「男らしさ」を押し付けてはいけないと騒がれる中で、このような偏見はなぜか見落とされているように感じる。

ほとんどの女性が自分のことを「男っぽい性格」だと思っているのであれば、その「女っぽい性格」というのははたして本当の意味で、女性に多い性格なのだろうか。男性は本当にそんなにサバサバした性格の人が多いのだろうか。これこそ新たな男らしさ、女らしさの押し付けなのではないだろうか。このさりげない会話から植え付けられる女性像、男性像で苦しめられる人が出てくるのではないだろうか。そして苦しむきっかけとなる発言をした人は同性であることもあるのだ。

ランウェイを歩く僕

そこまで深く考えて発言しているわけじゃないから、そんなに言わなくてもと思うかもしれない。だが、偏見や差別というものは、実はこのように些細なことの積み重ねで、誰もが気づかない間に自分の中にできあがっていくものなのだ。
「自分は偏見を持っていない」と思い込んで生きることは愚かなことだと僕は思う。誰もが「自分も偏見を持っているかもしれない、誰かを苦しめているかもしれない」と思って生きていくべきだ。

僕は女性も男性も幸せに生きることができる日本であってほしいと思う。誰かを敵だと決めつけたり、自分だけが被害者だと決めつけることなく、上手に自分の苦しみを相手に伝えるコミュニケーション力を身につけることが、この社会を幸せに生きるコツなんじゃないかと思っている。

タイトルイラスト:オザキエミ

1992年生まれ、ロシアのハバロフスク出身、兵庫県姫路育ち(5歳から)。見た目はロシア人、中身は関西人のロシア系関西人タレント・コラムニストとして活動中。TOKYO MX「5時に夢中」(水曜レギュラー)、フジテレビ「アウトデラックス」(アウト軍団)、フジテレビ「とくダネ」(不定期出演)など、バラエティーから情報番組まで幅広く出演している。
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