【グラデセダイ03 / 小原ブラス】弱者しかいない世界のままでいい
●グラデセダイ03
- 前回はこちら: 【グラデセダイ02/ かずえちゃん】僕の人生を変えたカナダ生活
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ソ連崩壊後のロシアと、日本のギャップの中で育った
今から27年前、日本の隣にあった世界最大国土の国・ソ連が崩壊し、経済的混乱と貧困の最中にある中で、僕は生まれた。母のお腹の中にいた時にはソ連、生まれた時にはロシアという状況だ。
ソ連は社会主義国で、経済活動のほぼ全てを国が管理・運営していた。経済的な格差を国民が感じることの少ない社会だったといえる。
日本のように「○○ちゃんの家はお金持ちでずるい!」というようなこともない。隣の老夫婦も、その隣の新婚家庭も、さらにその隣の親子世帯も、街ですれ違う人もみな、だいたい同じ!
友だちもみな自分と同じような環境で育ち、同じような待遇を受けている。なんとなくだけど、自分と違う育ち方や考え方を持つ人なんていないように感じるし、それぞれの個性や「色」の違いには気づきにくい社会だったとも思う。
ビジネスについて知識を持つ国民もほとんどいないし、お金の運用の仕方に疎い国民ばかり。そのような知識が必要になるとは夢にも思わずに生活していたのだから当然だ。
そんな中でソ連が崩壊、一夜にして真反対に方針転換し、「今日から資本主義だ」ということになったわけだ。どれだけの混乱があったか想像に難くないだろう。不況のレベルではない。「国民総貧乏」というような状況だ。猫の餌を買って食べた人もいるという逸話も残るほどの貧乏だ。
崩壊前は、貧乏でも国からの配給で最低限の生活は保証された。その頼みの綱は崩壊している。お金もなければ知識もない、頼れるどこかのお金持ちもいない。そんな無秩序な国がつい20数年前に日本の隣に存在していたのだ。そんな状態をどう脱したのだろうか?
みんなが貧乏だったなんてかわいそう、と思うかも知れないが、実はみなが平等に貧乏であったことは不幸中の幸いだったといえる。隣の家に泥棒に入っても何もない訳だから、治安だけは何とか守られた。
ロシアには広大な土地があり、各家庭でダーチャと呼ばれる個人の畑を所有している。みなその畑で必死に作物を育て、物々交換をしてこの危機を乗り越えたのだ。
じゃがいもがよく採れる畑を持つ家庭もあれば、トマトがよく採れる畑を持つ家庭もあった。仕事ができない高齢者は働き手の子どもを預かり育てるなど、できることは積極的に手伝った。貧乏同士みんながそれぞれの得意分野で支え合い、なんとか新ロシア経済を発展させていったのだ。
僕はまさにそのロシア経済再建の時期、5歳の時に母に連れられ日本に移住した。日本で生活し、日本の教育を受け、定期的にロシアに帰り、経済的に成長しつくした日本と、崩壊した経済を立て直そうとするロシアのギャップを目にしながら育った。
「小さな声」の大きさ
経済の立て直しにもがく国と、経済成長がひと段落した国のいちばんの違いは「小さな声」の大きさだった。
例えば日本の公衆トイレはたいてい障がい者向けのトイレが設けられているが、ロシアではそのようなトイレはめったに見かけることがない。「障がいのある人向けに利用しやすいトイレを作ってくれ」と声をあげても「その前に健常者用のトイレも間に合ってないんだからワガママを言うな」と言われる。このように、経済的に余裕がない時は、少数派の「小さな声」に耳を傾ける余裕がないのだ。
だからロシアでは、自分が弱者であると声をあげてアピールすることは少なかった。今でもあの国で弱者の声はまだまだ世間に届かない。
一方で日本のように経済的に安定した国では、社会的弱者の存在に目を向ける余裕があるように思う。経済成長の波に飲まれ、かき消されてきた弱者の「小さな声」がしっかり社会全体に届くようになり、日本も女性の権利、障がい者の権利、LGBTの権利が叫ばれ、支援の輪が広まっている。それは素晴らしいことだ。
ただ一方で、経済的に余裕がある国では、「支援をすることは立派なことだ」という価値観から、「支援をするのは当然だ」という価値観へと変わってしまう一面がある。あれもこれもと耳を傾けなければならない「小さな声」が多すぎて、それがある意味での生きづらさに繋がってしまうのだ。
日本も気づけば、強者と弱者をハッキリ分けるようになったと感じる。自分は弱者だから強者に支えてもらうべきだと主張する人も増えているのではないだろうか。
もちろん社会的ハンデを抱える人には、そのハンデを克服できるよう支援するべきだし、弱者を切り捨てることはあってはならない。
ではそもそも「強者」と呼ばれる人たちは誰なのか? 女性は弱者、高齢者や子どもは弱者、障がい者は弱者、セクシャルマイノリティは弱者、外国人は弱者、金銭に余裕のない人は弱者……?じゃあ強者っていったい誰?
誰がどう見ても健康で裕福な日本人男性?その男性ですら、ストレスや痛みに弱かったり、コミュニケーションが苦手だったり、色んな弱点があるはず。本当の意味での強者なんて、そうそういないのではないか。
弱者イコール全てがダメで弱い人というわけではないのだ。各々が自分の強みと弱みを理解して、互いの強みを認め合えれば、互いの弱点を補えるはず。
強者は弱者を支えなければならない、弱者は立場をわきまえなければならない、そんな固定観念はいらない。それぞれが自分の畑で得意な作物を育て、それを寄せ集めてみんなで食べればいいと僕は思う。
人は危機的な状況に陥ると驚くほど助け合い、補い合う動物である。日本のように裕福な国に生きていると、そのことを忘れそうになることがある。強がる必要はない。みんなが弱者で、それぞれが持つ強みで補い合うという意識で生きればいいのだ。
皆が自分の弱点と強みを声に出せる世の中へ
「僕は日本に住む外国人で同性愛者だ。好きな人と子どもを作ることができない。自分が老後いざという時に頼れる人がいないことを心配して生きている。そこが弱点だ。」
「小さな声」をあげることができないロシアでは、僕はこうした言葉を口にすることができない。
小学生の頃、ロシアの親戚の家に泊まった時に、たまたま観ていたテレビでゲイカップルの映像が流れた。その時、おじさんの口から聞いたひと言が今でも忘れられない。
「こういう人たちは捕まえてでも治療を受けさせるべきだ」
もしも僕が同性愛者だとこの人の前で言ったらどうなるのか、恐怖すら覚えた。
「小さな声」が挙がらない国では、その声に気づけないばかりか、間違って解釈してしまう。おじさんは同性愛者に関する知識がないから、同性愛は治せる病気で、同性愛者をその病気を治そうとしない自分勝手な人たちだと誤った解釈をしているのだ。
こんな誤解があるからますます「小さな声」は挙がらないし、誤解も解けないという悪循環。ロシアは今まさにこの誤解を解くために、「小さな声」を挙げようとする人たちが闘っている段階だ。
日本はこの段階は越えたと思う。僕は日本では周りの友人やメディアに対し、なんの躊躇もなく自分が同性愛者だと言っている。それで身に危険を感じるようなことは一度も起きていない。
誰もが堂々と助けを求めることが許されるようになった日本は、次の段階へ踏み出せる時期にあるのだ。それは強者とされる誰かに助けを求めるのではなく、自分の強みをさらけ出し、お互いに補い合おうとする段階だ。
これからは、自分の弱みや、誰かに助けて欲しいことを言った後には「僕の強みはこの元気な身体と、誰の懐にも入っていけるコミュニケーション能力。この強みが生かせることがあれば、ぜひ手伝わせてください」と付け加えようと決めている。僕は弱者であり強者だ。特定の誰かに強くあることを強いる必要はない。
タイトルイラスト:オザキエミ
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