グラデセダイ

【グラデセダイ05 / Hiraku】日本人って誰のこと?

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は、中村キース・ヘリング美術館プログラム&マーケティングディレクターのHirakuさんのコラムをお届けします。

●グラデセダイ05

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日本人っていったい誰を指すの?

私の日本での社交デビューの場は新宿二丁目から始まり、今や北海道、京都、大阪、名古屋、福岡、山梨や長野などと仕事で各地を巡る機会があり、大好きなご当地グルメを通し、多方面からいろんな人たちと交流してきました。

今でもインスタで楽しそうに働いている姿を見ると元気にしてくれる、大阪で出会ったコーヒー屋のみんな。札幌で髪を切ってくれた、自分と同じくらい日本語がペラペラなフィラデルフィア出身のノリくん。5年前、出会い系アプリで会ってみたけどお互いタイプではなく結局友達になって今では家族の様な存在のトモちゃん。まるで20年くらい前から友達なのではないかと思えるほど、似た様な人生を歩んできたジョージー。

さて、この中に「日本人」は何人いるでしょうか?

皆さんは、そもそも「日本人」とは誰を指すのだと思いますか? 日本の国土で生まれた人のこと? 琉球民族やアイヌ民族の人びとは? 在日コリアンや在日中国人、在日ブラジル人は? 日系ディアスポラ*¹やマルチカルチュラル・マルチレイシャル(多文化・多人種やミックス)の日本国民は?

日本国憲法第10条とそれを受けた国籍法によると、日本人とは日本の国籍を持つものを指すのであり、人種や民族は関係ありません。つまり法的には、琉球民族、アイヌ民族、日本へ帰化した外国籍の人、日本国籍を持つ親のいる日系ディアスポラやマルチカルチュラル・マルチレイシャルの人はみんな日本人なのです。いわゆる「日本人」のコーヒー屋のみんな、香港と日本のマルチカルチュラルのトモちゃん、イギリスと日本のマリチカルチュラル・マルチレイシャルのジョージーはみんな日本人なのです。

文化的な視点でも世界中に広がる日系ディアスポラの一部であるノリくんや私は、日本の文化や国土を誇りに思い、アメリカにアイデンティティーを持つと同時に、日本人としても生きています。在日コリアンや在日中国人の人たちも、もちろんコリアンや中国人であることを誇りに思いながら、多くは同時に日本人としての誇りも持ち、生活しているのではないでしょうか。

「ガイジン」という無意識な線引き

そんな私たちを「ガイジン」と呼び捨てるのはやめてほしい。
人種的マジョリティーの日本人からよく聞こえてくる意見や質問があります。

「日本は単一民族国家だから」
「自分は日本人だから」
「日本語うまいね」
「日本人ですか?」
「何人ってこと?」
「日本人かと思った」
「あのガイジンみたいな子は誰?」
「鼻高いね」
「(英語圏ではないバックグラウンドの人に)英語ペラペラ?」

自分自身や友達がこの意見や質問の矛先に立ったとき、仲間外れにされたような、正直悔しくなり、悲しくなります。
自分も含め、友達も家族も、これだけ多様な文化・人種・民族や宗教がミックスされた社会の一部にいるはずなのに、なぜ多くはこの国を単一民族国家だと思っているのでしょうか? あきらかに多民族国家なのに。

これらの意見や質問が提示されたとき、私のバックグラウンドが複雑すぎて、ややこしいから線を引かれている様に感じてしまいます。この複雑さも私たちのプライドであり個性であり、それによって受ける人種差別や偏見と共に生きているわけであって、それを、無知であることを理由に「どうでもいい」とか「よくわからない」「日本は特別だから」で済まされてしまうと、自分たちは厄介な存在であると言われているのも同然。アフリカ系ディアスポラ*²にルーツを持つアスリートや著名人が世界で日本を代表する中、テレビやハロウィンで未だに見るブラックフェイスがどれだけ侮辱的なものかを指摘されたとき、「知らなかった」ではすまされません。

日本の意識の低さや人種差別に、脈のある反論を

オリンピックを目前に、国家をあげてグローバル化やダイバーシティーを唱えている社会なのに、日本の意識の低さや人種差別を指摘する帰国子女、移民や海外にルーツを持つ人たちに対し「そんなに嫌だったら違う国に住めばいいのに」や「権利は当たり前にもらえるものだと思うな」は、もはやミレニアル世代にとって、脈のある反論ではありません。
戦後の日本が、世界で誇る民主主義とは、その国に住むものの、批判や賛同によって創り上げられるもの。ここで、見た目や育ちが日本人ではないからという理由で「よそ者」として、マイノリティーの人びとの声を掻き消すのは、日本が目指す場所に辿り着けない道なのではないでしょうか?
単一民族国家であると頑なに信じ込み、少数派の存在を認めず、多民族国家である事実に気づいていない(それとも否定している?)日本。このまま考えることや知ることを放棄し続けてしまうと、民主主義社会は成り立たずに衰退していく一方なのです。(ちなみに総務省が発表している「衆議院議員総選挙における年代別投票率」によると2017(平成29)年の20、30代の投票率は、それぞれ33.85%と44.75%と、人口の半分以下は参政していないのが事実です。)

参考:http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

じゃあガイジンじゃなくてなんて呼べばいいの?

個人的には、外国籍の人びとは「外国人」、マルチカルチュラル・マルチレイシャルの人びとは「ミックス」と呼んでいますが、このことに関して、未だルールは定められていません。
私たちの中には「ガイジン」や「ハーフ」と呼ばれても気にならない人たちもたくさんいますし、海外のルーツを理由に得している人たちもたくさんいます。ですが、人種差別や偏見を懸念し、ルーツを隠して生活している人も日本を出ていく人もいますし、いじめられている子どもたちも、まだまだたくさん存在します。

ただの名称に聞こえるかもしれませんが、言葉には人を傷つける力と同時に、繋げる力もあります。お互いに適切な言葉を使うことにより、まず相手を侮辱せずにすみます。そしてその相手の視点に近づくことができる。そうすると、お互いの苦悩や観点を学ぶことができ、今以上に知識や思わぬ機会を増やすことができるのです。

今こそ、多民族国家として一度みんなで集まり、何が適切な名称なのか決めていくべきだと思います。

私への質問やご意見は、この記事のコメント欄かこちらからお寄せください。
さい。
https://telling.asahi.com/request

*¹日本以外の国に移住した日本にルーツを持つ人びとまたはその子孫
*²アフリカ大陸以外の国に奴隷制度や移民を通して移住したアフリカ大陸にルーツを持つ人びとまたはその子孫

タイトルイラスト:オザキエミ

ニューヨーク育ち。2014年まで米国人コスチュームデザイナー・スタイリスト、パトリシア・フィールドの元でクリエイティブ・ディレクターを務め、ナイトライフ・パーソナリティーやモデルとしても活動。現在では中村キース・ヘリング美術館でプログラム&マーケティングディレクターとして、自身が人種・性的マイノリティーとして米国で送った人生経験を生かし、LGBTQの可視化や権利獲得活動に積極的に取り組んでいる。
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