グラデセダイ

【グラデセダイ07 / 小原ブラス】カミングアウトをしなくてもいい世界

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は、タレントの小原ブラスさんが考える、カミングアウトについて。

●グラデセダイ07

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僕のアイデンティティは「少数派」の寄せ集め

「関西弁を喋る面倒臭い性格のロシア人。そしてゲイ」
これは1度だけ見せてもらった、僕のタレント紹介資料に書いてある一文だ。この資料をみたTV局の関係者によく「最近はタレントもキャラ設定が大変ですね」と言われる。初めての番組の打ち合わせで「アイデンティティの玉手箱や」と言われ、スタッフ皆で笑ったのは今でもよく覚えている。

「5時に夢中!」黒船特派員の僕

兵庫県の小中学校に通っていた少年時代、僕は学校で唯一の外国人。何をしても目立ってしまうのが嫌で、外国人という部分以外はなるべく目立たないように過ごした。得意な徒競走も2位や3位ぐらいを目指したし、音楽会では進んで1番人数の多いリコーダーをやった。

当然自分がゲイだと周りに話すこともなかったし、「どんな女の子がタイプ?」という話題にも、ちゃんと答えを準備していた。僕にとっては当たり前だが、友達と街を歩いていると「お前が関西弁ペラペラで喋ってるとなんか視線感じるな」と言われた。子供ながらに僕のアイデンティティは「少数派」を寄せ集めたようなものだと感じ、今思うとそれがコンプレックスだったのかもしれない。

「ゲイ」は自分の一部分でしかない

東京に出てきて、初めてできた友達に、初めて誘われて行ったのが新宿2丁目。ここでは、日本語ペラペラの外国人もゲイも珍しくない。僕と同じような人がいくらでもいる。女装や派手な格好をしていても、聴き慣れないオネエの喋り口調で喋っていても、誰も驚かない。それどころか、僕が聞いたことのないような性を持つ人がたくさんいる。
生まれた時の身体は女性だっだけど、今はゲイの男性として生きている人。結局女性が男性を好きだという事だけど、そんなパターンもあるのかと驚いた。新宿2丁目にいたら僕なんか、全アイデンティティをさらけ出したとしても、ただの地味っこ田舎者なのだ。

新宿2丁目にいる人たちと話すと不思議と落ち着いた。落ち着いたのはそこで自分が目立たないからではない。誰も「どんな女の子がタイプ?」などと決めつけた聞き方をしないからだ。

初めて会った人とちょっとした会話をするときに、いちいち「実は僕はゲイでして」とカミングアウトなんかしてられない。その後に「えーそうなんだ!みえなーい。」とか「女の子にモテそうなのにもったいない〜!」と、よく考えたらちょっと失礼なことを言われるのも面倒だ。

そもそも自分のことをゲイだと思っていない人に初めてカミングアウトをすると、自分の全てがゲイ基準で見られるようになる。本当はゲイだというのは自分の一部でしかないのに、自分の全てがゲイで構成されているかのように話が進むのだ。それが面倒だから、普段の会話では嘘を重ねることが多かった。2丁目で落ち着くのは自分をさらけ出せるからではなくて、この嘘をつかなくていいからなのだ。嘘は無意識に人の心の重りになるのだということを僕は学んだ。

カミングアウトができる世界=寛容な世界、なのか

LGBTQについて話題になるとよく「誰でもカミングアウトができる寛容な世界になるといいね」という人がいるが、僕はそう思わない。誰かに「僕はゲイなんです」と断りを入れるようなカミングアウトは面倒だ。いちいちカミングアウトしたり、嘘をつかないで済むようになるのが僕の思う”寛容な世界“だ。

確かに「僕はゲイです」と自己紹介をした方が、多数派の人にとっては分かりやすくて親切かもしれない。でも、そんなことを説明しなくても「好きなタイプは?」と聞かれた時に「短髪の男性です」と答え、それが自然に受け入れられるような世界になったら、どれほど楽だろうか。

「男性らしい見た目や仕草をしている人は、普通は女性を好きになるものだ」この認識は僕も間違っているとは思わない。でも「女性を好きになって当たり前だ」は違う。そうではない可能性もあって、それは少数派かもしれないけど決しておかしなことではないのだ。そのことを誰もが“当たり前に”認識できるようになれば、自然と「どんな女の子がタイプ?」という聞き方にはならないだろうし、わざわざカミングアウトをしていなくても嘘をつかないですむだろう。

正直これを求めるのは、多数派であるストレートの人達にとって紛らわしいし、面倒くさい、負担だということも分かる。そこは少数派が我慢してくれよと言いたくなる気持ちも分かる。でもいずれは少数派と多数派に分けて考えることが難しくなるはずだ。

今はLGBTQと、実はそれぞれ全く違う性質の少数派の性が一括りになって、そんな中で誰がLで、誰がGでと、性を型にはめて振り分けようとすることが多い。しかし、性はそのようにカテゴライズできるほど簡単ではない。しかも流動的だ。あらゆる性が世界に存在することが当たり前になった時、誰がどんな性かをカテゴライズすることすら面倒になるのだ。だからこそ、僕は「いちいちカミングアウトをしない」というワガママにこだわっている。

これまで出演したTV番組「アウト×デラックス」「5時に夢中!」でも、「僕はゲイです」とは言わなかった。 どちらの番組も話の中で「どんな人がタイプ?」と聞かれた時に、有名な男性俳優の名前をあげた。どちらの番組でも少し沈黙の間があり、「え、そっち系の方ということですか。」「はい。」という流れになった。今の時代には、このやり方は早すぎたのかもしれない。それは分かりにくいかもしれないが、僕の小さな抵抗だった。

僕の抵抗はそれだけではない。よく芸能関係者に「もう少しオネエっぽく歩いたほうがインパクトありますよ!」とか「もっともっとクネクネした方がいいんじゃないですか?」と、アドバイスをいただくことがある。TVの世界では派手な格好をした女性らしい、いわゆるオネエタレントがウケているのは分かるし、僕も大好きだ。でも、彼女らがウケているのがそのビジュアルのせいだと考えるのはむしろ失礼だ。

確かに派手なオネエタレントで今売れに売れている方達は、最初はその派手さがとっかかりになったかもしれない。でも、中身があるからこそ、今も生き残っているのだ。
そしてその派手さでとっかかりがあったのは、出てきた当初は珍しい存在だったからであって、今その派手さを真似して売れていこうだなんて、浅はかすぎやしないか。

オネエらしくない同性愛者がいたっていい

同性愛者の芸能人、有名人の存在はLGBTQの歴史において、とても大きな存在だ。美輪明宏さんや、カルーセル麻紀さんの世代の芸能人のお陰で、同性愛者の存在を「知ってもらえた」と思う。
今ではマツコ・デラックスさんや、ミッツマングローブさんなど、華やかで面白いタレントが活躍することで、「知ってもらう」段階から次の段階へ進めたと思う。同性愛者への興味関心を持ってもらう段階だ。
そして次は一般にも「受け入れてもらう」段階に進むべきではないか。必ずしもオネエらしくない同性愛者で面白い人が出てきてもいいのではないか。同性愛者であることがオプションのひとつでしかないようなそんな人が出てきてもいいのではないかと思う。

自分の周りの誰が同性愛者であっても、誰にどんなアイデンティティがあってもおかしくないのだと多くの人が気づけば、さらに生きやすい世の中になるのではないか。

僕は同性愛者だ。でも同性愛者であるということは、僕のアイデンティティを構成するほんの一部で、その全てじゃない。その他にも、僕はロシア人だし、関西弁も喋る。性格だってかなり面倒臭い。誰だって、ありとあらゆる要素が自分を作っているのだ。そんな一つ一つの自分の要素を誰でも誇りに思い、面倒を避けるために嘘をつかなくても済むような世界を僕は作りたい。

タイトルイラスト:オザキエミ

1992年生まれ、ロシアのハバロフスク出身、兵庫県姫路育ち(5歳から)。見た目はロシア人、中身は関西人のロシア系関西人タレント・コラムニストとして活動中。TOKYO MX「5時に夢中」(水曜レギュラー)、フジテレビ「アウトデラックス」(アウト軍団)、フジテレビ「とくダネ」(不定期出演)など、バラエティーから情報番組まで幅広く出演している。
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