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【グラデセダイ24 / でこ彦】グラデーションな関係#6「正解のない関係」

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は会社員のでこ彦さんのエッセイ。会社を辞めてゆっくり母との時間を持とうと思っていたでこ彦さん。しかしお母さんは、次の道を歩みだしていて……。

●グラデセダイ24

今から十年前、新卒で入った会社を辞めようと思い実家に電話をした。
すると母は「あなたの人生なんだから好きにしなさい」と言った。もう少し頑張りなさいと諭されると思っていたので拍子抜けだった。
当面は無職のままで母と旅行をしたり映画を見て過ごそう、と思ったのもつかの間、母は続けた。「私も私の人生だから好きにします。お父さんとは離婚して今の恋人と一緒に暮らすことにしました。だから家に帰っても私はいません」
これが母と交わした最後の会話となった。

母は何でも知っていた。
本を読んでいて知らない単語が出てくれば意味を教えてくれたし、テレビを見ていれば芸能人のこの人とこの人は元夫婦だとか実家がどこで何をしている人だとか教えてくれた。
ローカルテレビのクイズ大会に出たときも母は圧勝し賞金を獲得した。優勝の決め手となった解答「ごぼうのささがき」は当時の我が家での流行語になった。
そんな聡明な母が粗暴な父となぜ結婚したのか、理由は聞いたことがない。
小学生のころから僕は「早く両親が離婚して、母と新しい家に住みたい」と願っていた。ところが当の母は父を強く嫌悪するふうでもなく、父の仕事の関係で住んでいる縁もゆかりもない田舎町を退屈に過ごすでもなく、さまざまなレシピを参照してケーキを焼いて部屋を自作のキルトで飾って毎日を楽しそうに送っていた。

母は社交的で友人が多く、小学校から帰宅すると家にはたびたび知らない人が集まっていた。パートタイムで働く母とお客さんとがどういう関係なのか全て把握はしていないが、年代も職業もバラバラで県外から遊びに来る人さえいた。手先が器用だったため、欽ちゃんの仮装大賞に出るという家族が衣装の製作を依頼しにきたこともあった。喫茶店など存在しないひなびた漁村において我が家は最適な溜まり場となり、母はサロンの主催としてコーヒーを淹れ、ケーキを焼き、裁縫をし、くつろぎの空間を提供した。

母がもっとも得意としていたケーキはシフォンケーキだった。
たっぷりのメレンゲが生み出すぽよぽよの食感、生地に混ぜ込まれた紅茶葉の弾ける香り。お店より柔らかくしっとりだと評判は良かったが、僕は脇に添えられたホイップクリームのほうが分かりやすい甘さで好きだった。
僕が高校三年生のときのテレビ番組で、大学生が複数の味噌汁を飲んでどれが自分の母親が作ったものか当てるゲームをやっていた。一緒に見ていた母は「うちは味噌汁よりもシフォンケーキだね」と得意げに言った。そこで僕はようやく気が付いた。もはやおいしい・まずい、好き・嫌いという評価軸にはない一品なのだ。ソウルフード、アイデンティティ、権現。何と呼ぶべきか。たまご色の柔らかいケーキは彼女のホスピタリティそのものだったのだ。

いつから母に恋人がいたのか知らない。母と父が常に言い争っていても、実際は愛し合っていると僕は期待していた。しかし母も人間なのだから、暴力的な父との生活にうんざりしていることは考えてみれば当然だ。彼女の広い交友関係は父との関係を相対的に薄めるためだったのだろうか。和食派の父に対してケーキ、タルト、パイなどバターと砂糖だらけの甘いものを作ってきたのは母なりのレジスタンス運動だったのかもしれない。それなのに僕は二人は夫婦なのだからと父の不機嫌を母に委ねきっていた。

母に会いたい。
最近とあるきっかけで居場所が判明し、元気でいるらしいことが分かった。ありがたいことに僕に会いたがっているという。
しかし会いたくもない。あの母はもう「僕のお母さん」ではない。
そう考えるとき、僕の中には「母に見捨てられた」「父を押し付けられた」という被害者意識があることを発見する。離婚していなければ、僕こそが母に父を押し付けようとしていたのではないか。あれほど両親の離婚を祈っていたにもかかわらず家を出た母を憎んでしまっている。彼女の人間性・感情を無視して純潔な母性を求めていないだろうか。母はようやく自分らしく自由になれたはずだ。お祝いの言葉をかけたいが、父だけでなく僕も母の足かせになっていたと突きつけられるようで怖い。もろもろの罪悪感や恐怖心から逃れるために母を拒絶してしまう。
また僕はシフォンケーキをないがしろにして、ホイップクリームだけを舐めとるような真似をしている。会うべきか、会わざるべきか。会ったとしてどういう顔をすればいいのか。母は正解を知っているだろうか。

1987年生まれ。会社員。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐。
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