グラデセダイ

【グラデセダイ21 / Hiraku】世代ギャップについて その2

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は、中村キース・ヘリング美術館プログラム&マーケティングディレクターのHirakuさんのコラムをお届けします。ミレニアル世代のHirakuさんが世代ギャップを感じて話すことをやめざるを得なかった理由とは。

●グラデセダイ21

話をやめるということ

2014年、イギリス人の黒人ライターが書いた記事「Why I'm no longer talking to white people about race(私がもう人種について白人と話さない理由)」が話題になりました。

Why I'm no longer talking to white people about race

内容は、有色人種がいくら白人の優位さを訴えても、「声が聞こえているだけで、話を聴いてくれない」というもの。マイノリティーの劣位について、現実として受け止めることを拒否し続けるマジョリティーへの憤りに疲れ果て、あきらめた--自分が抱えられる大きさの問題ではないので、彼らに話をするのをやめることによって自分へ向けられる、反論や拒絶、失笑などによる屈辱を個人レベルで免れることができるのだという記事です。

これを読み、私もそうしようと思いました。実際にPOC(Person of Color:有色人種の略)として、これは日常茶飯事起こることです。例えば、テレビで白人のコメディアンがアジア人やヒスパニックに対するステレオタイプのジョークを言ったとき、一緒に見ていた白人の友達に「これは不快なジョークだ」と私が発言すると、「そんな大したことないんだから気にするな」と言われたことがあります。

POCが問題を提示しても、白人はそもそも問題が存在することすら認めず、大げさだとか過剰だと思われてしまうのです。また、優位さを認めてしまうと自分の権利までも奪われてしまう(上記の例の場合、POCに対するジョークを笑う権利でしょうか)のではないかという恐れもあるでしょう。
アメリカでは多人種間の友人関係や恋愛において、この様な温度差は当たり前に存在していましたが、最近の黒人や他POCのアクティビズムや明らかなトランプ政権の人種差別による、ホワイトプリビレッジ(白人の有利さ)の強調により、徐々に会話をされるようになってきました。

不平等の黙殺は、人種問題だけでなく、性差問題や世代間問題などにも繋がる話だと思っています。例えば、日本ではよく、女性が怒りを表すことは「ヒステリー」だと言われ、移民が国の不満を言うと「反日」だと決めつけられます。

「あまい」は人を黙らせるための言葉

実際に私も職場で世代間のギャップを痛いほど感じます。自分たちの世代が問題視していることを声にしても、声にすること自体が問題であるとされ、「あまい」という言葉で口を塞がれてしまいます。私は「あまい」という言葉は人を黙らせるために使い始められた言葉なのではないかと思います。とても曖昧で、中身が空っぽな形容詞だと感じます。
「あまい」という言葉を使う人たちに、その見解に至る理由や背景を説明できる人は少ないと思うのです。「なにがあまいんですか?」と聞くと「自分たちの時代はそうじゃなかったから」などと、以前書いたコラムの話に戻ってしまい、終わりがなくなってしまいます。さらに「あげあし」や「へりくつ」などという聞いたこともない言葉を浴びせられながら自分の観点を主張し続けるのって、本当に気が遠くなってしまいます。

【グラデセダイ13 / Hiraku】世代ギャップについて

私が発言するのは、耳を傾けてくれる人たちが集まる場所

先日、「職場環境のワークショップ」という名の講義に出席しました。内容は、社員の幸福度を上げて会社の生産性を高くしようという目論みで、恐らくバブル世代であろう講師の男性は「幸福度を高めるためにはレクレーションなどを通じてコミュニケーションを取り、モチベーションや情熱を見つけてあげましょう。」と語っていました。

「モチベーション?情熱?そもそも幸福度?」と思った私は気付くと手を上げていました。

Hiraku: そもそも人間なんて生きてれば自然にモチベーションなどは見付かると思うのですが、それを正常な精神状態で保つためには、公休、有給、残業代のことなど、基本的な部分が整備されてからの話ではないかと思いました。もちろん全員ではないですが、それも整っていないのに、飲み会やレクレーションへの参加を勧められても実際乗り気にならないという声はたくさん聞こえてきます。

講師: だけど、お給料をあげてほしいと言い始めるとキリがないし……。

Hiraku: 僕がしているのは昇給の話ではなく、基本的な労働環境の整備なのですが……。

次の瞬間、講師の方は眉毛がハの字になり「困ったなあ」という表情と共に、私の背中には年上の役職の方々の沈黙が刺さりました。
その後の懇親会では、参加者のミレニアル世代たちは自然と集まり、浮かない表情で食事を始めました。晩酌を始めたバブル世代の女性が後ろで「私も若い頃そういう思いはあったけど」と会話を始めました。すると話し相手の団塊世代の男性が「ヒラクが言っていることはあまくて、給料なんて一生懸命働かないと上がらないってことだよ。あいつは充分給料もらってるよ」と。

このとき、私は沈黙を選択することを決心しました。ミレニアル世代を代表して私たちの観点を理解してもらいたいと思った私の言葉は、発さられた瞬間、彼らの頭の中に存在する私たちへの偏見に変わり、拡散されていったのです。

それならば、私は何も言いません。話すことをやめる。思想や知識を放棄するということではありません。このtelling,のような、耳を傾けてくれる人たちが集まる場所では発言し続けます。聞きたいと言ってくれる方々は世代関係なく、たくさん存在するのは事実です。そういう場所では、親身になって話すつもりです。
ただ、世代ギャップに関して、日本では固定観念や常識、教育制度、時代背景や文化など、政治家でもない私の力ではどうにも変化を生み出せないハードルが多すぎます。
私生活でも、人種差別や女性差別、マイノリティー差別に関して発言したことが、同じように内容を変えられ、相手の口から返ってくる場面が多々あります。私の知識や思想、経験は、彼らのために存在するものではなく、自分や理解者の幸福度、モチベーションや情熱の燃料になるものだとして、私は沈黙を選び、力を取り戻します。

タイトルイラスト:オザキエミ

ニューヨーク育ち。2014年まで米国人コスチュームデザイナー・スタイリスト、パトリシア・フィールドの元でクリエイティブ・ディレクターを務め、ナイトライフ・パーソナリティーやモデルとしても活動。現在では中村キース・ヘリング美術館でプログラム&マーケティングディレクターとして、自身が人種・性的マイノリティーとして米国で送った人生経験を生かし、LGBTQの可視化や権利獲得活動に積極的に取り組んでいる。
グラデセダイ