グラデセダイ

【グラデセダイ20 / でこ彦】グラデーションな関係 #5「味方という関係」

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は会社員のでこ彦さんのエッセイ。父に対して反抗的だった姉。時を経て歳を重ね、でこ彦さんの目に映る姉は変化しました。

●グラデセダイ20

五歳になる姉の子どもから「また一緒にウナギを食べようね」と手紙をもらった。
二年前に連れていったのを覚えているのだ。「物心つく前のことは記憶に残らない」と読んだことがあったので意外だった。天才なのかもしれない。

ふと気になって「物心」とは何か辞書を引けば「世の中のいろいろなことについての理解」とあった。分かるような分からないような説明である。

自分自身はいつ物心がついたといえるだろうか。小学四年生まで、夜眠っている間に僕の家族はそれぞれの家へ帰っていると勘違いしていた。自分の世話をするために彼らは毎朝この家に集まってきているという解釈である。同じく、風邪で学校を休んだ日は教室にクラスメイトは誰も来ていないと思っていた。自己中心的で、世の中を少しも理解していない頭の悪い子どもだった。
自分が立っている場所は世界の一部にしか過ぎないと理解しはじめたのは、小学六年生のクリスマスの朝かもしれない。姉がサンタクロースにもらったプレゼントの文句を母親に言っていて、その仕組みを悟った。

世界から音が消えたように頭がくらくらと揺れて涙が溢れた。まさか嘘だったとは。家族がグルになって騙しているとは思いもしなかった。テレビも小説も新聞社もサンタクロースはいるというので信頼していたのに。悲しいのは、最後のプレゼントが現金だったことなのか、サンタクロースのおじいさんが実在しないということか、あるいは世の中が結託して子どもに嘘をついていたという恐ろしい現実にだったろうか。

三歳離れた姉のことが当時はあまり好きではなかった。普通のゆで卵を「たまごっち」に見立ててピコピコ触っていたので真似をすると、冷たく「馬鹿じゃん」と卵を投げつけてきたり、かと思えば「宴をやろう」とベランダでジュースを飲む遊びに誘ってくることもあった。親のように世話を焼いてくれるわけでもなく、友だちほど優しくもない不思議な存在に対してどう接すればよいのか分からなかった。そして何より、父の怒る原因はたいていいつも姉だったので彼女の言動を警戒してしまうのだ。

姉が小学五年生のころ、漫画を読むのに夢中だった彼女は父親の呼びかけに気付かないことがあった。すると父親は怒り散らかし、姉の手から漫画を取り上げ、本棚にしまってある他の漫画類もかき集めて箱に詰め、庭で燃やした。そこには僕が買った漫画も含まれていた。父ではなく姉を憎んだ。

同じころ、姉は太りはじめた。育ち盛りだから仕方のないことだが、父は気に食わないらしく、食事のたびに姉をデブと罵った。ごちそうさまでしたも言わずに泣いて自室に逃げるのが夕食のいつものパターンだったが、中学に進学すると姉に反抗期が訪れ、口答えをするようになった。ちゃぶ台をひっくり返すことはなかったものの、小林亜星と西城秀樹さながらに姉と父は取っ組み合うようになった。これまでのように一方的に殴って終わりとならなくなった結果、父は姉を家の外に閉め出すようになった。

しばらく経って母が家の裏口から招き入れるのが常だったが、ある夜は玄関先から姉の姿が消えた。数十メートル先をひとりで歩いているところを母に見つかってすぐに連れ戻されたが、姉は裸足のままどこに行くつもりだったのだろうか。

のちに世界史の授業で秦の始皇帝の「焚書・坑儒」を学んだ際には、思想統制のために書物を焼かせ儒者を生き埋めにしたというその支配者の姿と父とが重なった。
どんなに殴られても閉め出されても反抗をやめない姉を強い人だと感心していたが、それもまた僕の勘違いだと知るのはその数年後のことだ。

姉が高校三年生のころ、買ってきた洋服を「これ、どこで買ったと思う?」とファッションセンターしまむらのテレビCMを模して僕に見せびらかしてきた。ひらひらと舞い踊っていると、値札タグを止める半透明の糸が絨毯の上に落ちた。鼻歌まじりだった姉は一気に顔を歪ませて涙をこぼし「またお父さんに殴られる」と泣き叫びながらプラスチック片を探しはじめた。
彼女は平気なわけはなかったのだ。

漫画を燃やされた日、庭で焚き火の準備をしている父に隠れて姉とこっそり箱の中から『とっても!ラッキーマン』や『ご近所物語』を救出し、本棚に残された『まんが百人一首事典』や『ドラえもんのせかいちず』とすり替えた。

父に「暴君」とあだ名をつけて陰口で盛り上がれたり、数々の仕打ちに我慢できたのは姉が一緒に戦ってくれたからだったのだ。「いっそ家を出ていってくれればみんな平和なのに」と思った僕はやはり何も分かっていなかった。
床に這いつくばる姉の半狂乱を見て、この家は少しおかしいのではないかと疑いはじめた頃には姉は大学進学で家を出ていった。

その三年後、僕も大学進学で家を出ることが決まった。高校の卒業式と大学の入学式の間の宙ぶらりんな春休みに、姉の家へ遊びにいった。アパートのすぐ隣にサーティワンアイスクリームがあった。開店時間きっかりに姉と入店し、注文したのは期間限定のターキッシュディライト。鮮やかなピンク色のそれはバラ味で、中に求肥が入っていた。席に座ると、窓に貼られた「31」のロゴシールが机の上に影を作った。反転した「31」がなぜか無性に楽しく、姉と目を見合わせて笑い転げた。窓辺の席は日差しが強かったが暑くはなく、甘い華やかなアイスクリームがひんやりとちょうどよい。風が通るたびに鼻がむずむずするのも探検前にワクワクする気分に似て心地よかった。バラの味は自由と平和の味だった。

それから姉と会うたびにアイスを食べるのが恒例となった。家を出てようやく初めて姉と仲良くなれたように思う。

八年前に親が離婚すると、姉弟で父母の話をすることが増えた。我が家の焚書・坑儒が今では一番面白く、語りがいのある事件である。

あるとき姉に、好戦的な態度をとり、懲りずに何度も父に殴られていた理由を尋ねた。姉は「自分に矛先が向かうようにしてたんだよ」と答えた。「小さい弟が殴られないためには私が盾になるしかないと思って」
殴られたようにぐらりと世界が揺れた。一緒に戦ってきたつもりが、ずっと守られていたのだ。そうとも知らずに「姉がいなければ」と思ったことが心底恥ずかしい。彼女はやはり強い人だ。姉の聡明さに比べて僕はなんと視野の狭い人間だったことか。

とっくに物心はついたと思っていたが、自分が生きてきた世界のことを少しも理解していないのだと思い知らされた。

1987年生まれ。会社員。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐。
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