「史上最年少の女性プロ麻雀士」として18歳でデビューした二階堂亜樹さん。
プロ麻雀士・二階堂亜樹さん(37歳)

二階堂亜樹さん「『青春丸投げ』で打ち込んだ麻雀。やめる選択肢はなかった」

プロ麻雀士・二階堂亜樹さん(37歳) 1999年に「史上最年少の女性プロ麻雀士」として18歳でデビューした二階堂亜樹さん。2018年に発足した競技麻雀のプロリーグ「Mリーグ」の選手に選ばれるなど、麻雀界の第一線で活躍してきました。厳しい競争社会、かつ「男性社会」でもある麻雀界でどうやって生き抜いてきたのか。お話をうかがいました。

――二階堂さんは18歳でプロの道に進んでいますね。「プロ麻雀士」という職業を選んだのはなぜなのですか。

二階堂亜樹さん(以下、二階堂): 私は実家が麻雀店で、物心のついた頃から麻雀には親しみがあったんです。小学生のときはテレビゲームで楽しむくらいでしたが、中学生になるとルールを覚えて、友達や友達のお父さんとリアルな麻雀をするようになりました。麻雀は上がるとうれしいし、知れば知るほど面白くなる奥深さがあり夢中になりました。

中学生の頃に両親が離婚して母が家から去り、父もほとんど連絡が取れない状態になり、私は姉とともに祖母に引き取られました。祖母に迷惑をかけているのはわかっていたので、高校に進学したいとは言い出せませんでした。

子どもの頃は大学に進学して、会社員になって結婚するという普通のコースを歩くのだろうなと、漠然と考えていましたが、両親の離婚からは自分が歩く道はそうではないと気づきました。

トイ面の河を見つめる二階堂亜樹さん。

「どうせ働くなら好きな事がしたい」。頭に浮かんだのは麻雀でした。自分にできることが何かと考えた時、それしか浮かばなかったと言った方がいいかもしれません。麻雀プロになっても給料が出るわけではないし、生活ができる保証は何もない。それでも「プロになれば何かが変わるかもしれない」と思ったんです。

――同級生たちと比べたら、かなり異質な進路だったと思います。そのあたりは気になりませんでしたか?

二階堂: 中学校の同級生で高校に進学しなかったのは私だけでした。制服を着ておしゃれをしている女子高生を見かけると、「私には彼女たちのような青春はないんだ」と、やるせない気持ちになりました。でも、私の場合は普通の青春を過ごすよりも「麻雀にかける」という思いのほうが強かった。選択を後悔することはありませんでした。

――そもそも、プロは狭き門なのでは? 中学を卒業してからどうされたんですか。

二階堂: 中学を卒業すると、当時、有名だった麻雀プロの方の「弟子」になり、麻雀店でアルバイトをしながらプロを目指して練習しました。そうやって、ようやく辿りついたプロ試験。面接では「どうしてプロになりたいのですか?」と質問されましたが、緊張のあまり自分が何を話したのかまったく思い出せません。ただ本気であることをわかってもらおうと必死でした。結果は合格! それまでの自分にはなかった自信というものがつきました。

インタビューに答える二階堂亜樹さん。

――プロデビュー後は「史上最年少のプロ麻雀士」という話題性もあり、アイドル的な人気を博しましたね。

二階堂: そうですね。メディアに取り上げていただく機会に恵まれ、麻雀店のイベントにも招かれるようになりました。そのおかげで麻雀店のアルバイトもやめられるくらいに生活も安定し、練習に費やせる時間も増えました。麻雀は流れを読んで、臨機応変に対応することが試されるゲーム。腕を上げるには場数を踏んで経験値を上げるしかありません。

2001年、テレビで麻雀の対局番組が放送されることになり、出場権をかけた予選がありました。女性の出場枠は1人。最終予選に残ったのは8人でしたが、私は絶対に勝てる自信がありました。対戦相手の誰よりも練習に打ち込んできた自負があったからです。予選を勝ち抜き、テレビ番組に出演できたことで、知名度が上がりました。あのとき勝てなかったら今の私はなかったかもしれません。

――二階堂さんはこれまで数々のタイトルを獲得し、麻雀のプロリーグ戦「Mリーグ」の選手にも選ばれました。プロ生活を振り返ってどう感じますか。

二階堂: 周囲からは順風満帆に見えるかもしれませんが、実際には何度も苦しい思いをしてきました。

20代の半ばごろまでは「私は麻雀に向いていない」と何度も思い知らされました。短気でせっかちな性格だったため、対局で思うようにいかないとイライラしたり、くさったりと心が乱れて、成績が沈んでしまうこともありました。

盲牌をする二階堂亜樹さん。

こうした性格は平常心が求められる麻雀に最も向いていません。「もう麻雀をやめようかな」と落ち込み、ずるずると後に引きずったこともありました。だけど、実際にやめることはありませんでした。私は麻雀が大好きで、麻雀しかなくて、麻雀をきわめるんだと青春丸投げでやってきた。それを途中で放り投げてしまったら、自分がなくなってしまうと思ったんです。

――どうやって乗り越えてきたんですか。

二階堂: めげずにプロ生活を続ける中で「自分の性格を麻雀に合わせなくてはいけない」と気が付き、心がけたことで、対局中も段々と平常心を維持できるようになったんです。私を若い頃から知る人には、ずいぶん印象が変わったと言われます。

負けてもくよくよすることもなくなりました。気持ちを切り替える方法は、「次がある」と思うこと。自分が麻雀をやめない限り、またチャンスはつかめます。大会には「今しかない」と強い気持ちで臨みますが、結果的に負けても、負けは負けとして受け入れる。そう考えることで、次につなげられるようにしました。

――ところで、麻雀といえば「男性社会」のイメージが強いです。そうした点でご苦労もあったのでは?

二階堂: 私がデビューした20年前の麻雀界は完全に男性社会で、女性プロは数えるほどしかいませんでした。対局でも「女のくせに」という態度をされたり「女の子だから仕方ないね」と言われたり、男性よりも一段低く見られていました。

だけど、麻雀は実力の世界。認めてもらうには勝負で勝つしかありません。実績さえ出せば「女性だから」というような目では見られなくなる。それに気が付いてからは、男だから女だからということは気にならなくなりました。

雀荘でポーズを決める二階堂亜樹さん。

そもそも、麻雀はゲームの性質からも男女で実力差はありません。「男性が強い」と思われてきたのは、圧倒的に男性プロの数が多かったから。だから、女性プロの地位を底上げするためにも女性が増えて欲しいと、私は表に立って麻雀の魅力をアピールしてきました。

その甲斐もあって、今は女性プロが数百人にまで増えました。新人の女性プロに「二階堂さんに憧れてプロになりました」と声をかけられると、「今までやってきたことが認められた」とうれしい気持ちになります。

――telling,世代の女性たちに、アドバイスをお願いします。

二階堂: プロ生活を振り返って、生きていく上で大切なのは気力だと思っています。好きなことをしているから頑張れる。私の気力の源(もと)は麻雀ですが、気力の源は誰もが持てるはずです。

もし、今の仕事に気力の源がない人は、そこから飛び出して自分の好きな仕事を見つけてもいい。チャレンジが気力につながるし、気力があるからさらにチャレンジができます。一歩を踏み出した結果、道に迷ったとしても、もう一度人生を振り返り、自分を見つめ直して別の道を選ぶこともできます。生きている限り、必ず「次」がありますから。

●二階堂亜樹(にかいどう・あき)さんのプロフィール
1981年、神奈川県生まれ。日本プロ麻雀連盟所属。99年、史上最年少の18歳でプロ麻雀士となる。第2・3期女流桜花、第3期プロクイーンなど多数のタイトルを獲得。2018年に発足した競技麻雀のプロリーグ「Mリーグ」では、テレビ朝日によるチーム「EX風林火山」に所属。姉の二階堂瑠美もプロ麻雀士。

カメラマン。1981年新潟生まれ。大学で社会学を学んだのち、写真の道へ。出版社の写真部勤務を経て2009年からフリーランス活動開始。
好きを仕事に