デザイナー/ナオカケル株式会社代表/deleteC代表・中島ナオさん(37歳)

中島ナオさん「デザインシンキング」でがんと向き合う。がん判明後にデザイナーの道へ

デザイナー/ナオカケル株式会社代表/deleteC代表・中島ナオさん(37歳) 乳がんと診断された後に大学院で学んでデザイナーとなり、治療の副作用などで頭髪の問題に悩む人でもファッションを楽しめる帽子「N HEAD WEAR」(エヌヘッドウェア)をデザインした中島ナオさん。「がんをデザインする」をテーマに、現在はがんの治療研究を推進するプロジェクトも立ち上げるなど、精力的に活動を続けています。ポジティブに動き続ける彼女の原動力は何なのか。お話をうかがいました。

乳がんがわかったのは31歳の時です。しこりを感じたので、病院で検査してみたら乳がんと診断され、「まさか」と驚きました。当時の自分にとってがんは身近なことではなかったので、病気をどう受け止めていいか戸惑いがありましたし、周囲にもどう伝えたらいいのかわかりませんでした。

ただ、がんという病気は、つらい選択肢であっても、自分で決めていかないといけないし、そのためには自分が知るしかない。まずは病気について知ることから始めました。

その頃は教育関係のNPOの仕事に就いていました。仕事にのめり込んでいて、とても忙しくしていましたが、上司に病気のことを伝えたら翌日から休職としてくれました。治療をはじめる前に複数の医師から話を聞いて、4人目にお会いした方にお願いすることに決め、病院の近くに引っ越して治療を始めることになりました。

環境は激変しましたが、そんな日々の中でも自分の性格は変わらないということに気づきました。たとえば、当時はがんの「が」という言葉も言えないくらいの気持ちでしたが、医師を呼ぶ時も手帳や家族の間ではあだ名をつけたり、少しでもやわらかい言葉を使ったりと、自分なりに日々を過ごしやすくする工夫をしていました。

治療を始めてから数カ月後、ご自身も乳がんの経験があるライターさんから「あなたの考え方はニュートラルですね」、「病気に対してあなたのような考え方の人に、私は会ったことがないですよ」と言われました。それが何かを考えていくと、大学で学んでいた”デザインシンキング”(問題解決に向けてアイディアを出して行動していく思考法)と重なることに気づきました。

また、心理学の先生からは「レジリエンスが高いね」と言われました。レジリエンスとは、“しなやかに生き抜く力”というような意味で、言葉にすると力が湧き出てくるような気がします。これも”デザインシンキング”に繋がっていくような気がしました。

私の病気と向き合う姿勢に”デザインシンキング”が左右しているとしたら、今後何かの役に立てられるのではないかと思い、あらためて研究してみたくなりました。それで、母校の大学院の美術科へ進学することを決めたんです。元々、大学時代にプロダクトデザインを学んでいましたが、大学院では「デザイン教育」という分野を研究することにしました。

大学院では教育免許の取得を目指し、卒業後は教育関係に従事するつもりでした。治療が長く続くことがわかっていたので、その先にある仕事の選択肢を広げたいという思いだったんです。ところが、ちょうど教育実習を終えた頃、がんの転移がわかって、ステージ4と診断されました。最初にがんと診断されてから2年半後でした。不確かな未来に直面して病気への恐怖をあらためて感じましたし、診察室でも涙がこぼれました。

化学療法を再開した時に、副作用で髪の毛がない状態がこの先一生続くかもしれない、という大問題に直面しました。その時に生まれたアイディアから開発したのが、いま私が頭にかぶっている帽子「N HEAD WEAR」です。

この帽子は、メガネのようなアイテムにしていきたい、という考えからデザインしています。メガネは元々、視力を補うものとして生まれました。最初は視力を補う必要がある人たちだけが使用していましたが、今は視力が悪くなくても、子どもからお年寄りまでファッションとしても気軽に使われています。頭髪も、病気や体質など様々な理由で悩みを抱えている人がいます。「N HEAD WEAR」は、髪の毛があってもなくても楽しめるようにデザインしました。

活動の中では、がん治療の現場でも使われているQOL(クオリティ・オブ・ライフ)という言葉にも着目して、QOLデザインという言葉を使っています。がんになっても、生活の質をいかに保てるか。私が目指すのは、がんになっても「大丈夫!」と言える社会の実現です。

今年2月からは、「がんを治せる病気にすることを、あきらめない」という目標を掲げ、2人の仲間とともに「deleteC(デリートシー)」というプロジェクトを立ち上げました。誰もが参加できて、みんなでがんの治療研究を応援していける仕組みをつくることが目的です。たとえばdeleteCでは、がん(Cancer)の頭文字である「C」を消す表現を通して、「がんを治せる病気にすることを、あきらめない」という想いを示します。

企業とオリジナル商品を開発するなどして、がんの治療研究の資金を集め、医師・研究者に寄付することを目指した活動で、5月に行ったプレイベントでは30の企業や団体に参加していただきました。

以前「がん克服まで10年」などと書かれている記事を見かけたことがあります。でも、いま患っている私にとっては、10年後では現実味がない。もっと多くの人が、がんという大問題に力を合わせて進んでいけたら。がんの治療研究に関わる人や研究者を志す人や資金が増えたら、10年後を9年後に、あるいはもっとたぐり寄せられるかもしれません。

そのためには、がんの研究が可視化され、距離を縮めていくことも必要だと考えます。現状やそれぞれの想いが垣間見れたら、「怖い、わからない、触れられない」がなくなって、もっと自然に感心を寄せられるようになっていく。そうやって、自然に応援したくなるような流れを作っていきたいという思いで活動を続けています。

この仕組みのアイディアが浮かんだのが昨年の11月で、数カ月後にはプロジェクトを立ち上げ、今年の5月には最初のイベントを行いました。自分の病状もあるのでとにかくスピード感を持って進めたいと仲間にも伝えていましたが、自分でも驚くほどの展開です。がんというテーマだからこそ幅広い方々と想いを共有し、かたちにできるのではないかと感じています。

今まさに病気を抱え治療を受けている人も、日常で希望を感じられるように、deleteCを育てていきたいです。

私はいまでも自分に自信がないですし、何か特別なものを持っているわけではありません。ただ、人に会って話を聞いて、自分の思いを伝えるということは、ここ数年特に力を入れてやってきました。ご縁は待っていては絶対に来ないので、自分でたぐり寄せたい部分はあると思います。あきらめないで続けていくと加速していって、想像もしないご縁につながっていく。私自身、そうした日々にすごくワクワクしています。

コラムニスト、小説家、ライター。2万人以上のワーキングウーマンの恋愛や婚活、結婚をテーマに取材執筆。週刊朝日「同窓会恋愛」「離婚しない女たち」等。ブログ「恋するブログ☆~恋、のような気分で♪」 07年10万人に一人の難病を克服。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。
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