人生はいつでも立ち止まっていい。デンマークの「フォルケホイスコーレ」に通って学んだこと

人生にはふと立ち止まりたくなる瞬間がある。日本では社会人として働き始めたら、常に走り続けながら、ライフプランを考えなければならない。社会人になって3年間、「何者か」になりたくて、がむしゃらに働いてきたキャリアを手放し、2019年の夏にデンマークに行くことを決めた、花田奈々さん(25)。その理由は、デンマークにある人生の学校「フォルケホイスコーレ」に通うため。「フォルケホイスコーレ」は、一度立ち止まり、人生を見直す時間を与えてくれる。実際に通ったからこそわかった「フォルケホイスコーレ」の魅力とは。
  • 記事末尾でコメント欄オープン中です!

デンマークに、「人生のための学校」があるらしい--。

そんなうわさを聞きつけて、2019年の夏、私はデンマークへ飛び立った。これまで築いてきた人間関係、凝り固まった自分像をいったん脇に置いて。

私は社会人になってまだ3年。いってしまえば、まだかけ出しの段階だ。新卒でIT企業に勤めた後、スタートアップに転職。同時にフリーランスのライター、オンラインコミュニティのマネージャーにも挑戦した。何も持っていない若造だけれど、「何者か」になりたくて、がむしゃらに目の前のことをやってきた。

それでも時折、何を目指しているのか分からなかった。自分らしく生きたいはずなのに、ずっと何かを犠牲にしている感覚。その何かを、どうにか取り戻したかった。

人生の早い段階でキャリアにブレーキをかけてしまう罪悪感、世の中の「普通」から外れる恐怖。不安要素を並べようと思えばいくらでもあったけれど、デンマークにある人生の学校「フォルケホイスコーレ」への好奇心がそのどれにも勝った。

半年の滞在で終えるつもりが、フォルケホイスコーレや根底にあるデンマークマインドへの興味は増すばかりで、今は2校目に滞在している。

人生のための学校「フォルケホイスコーレ」

フォルケホイスコーレとは、デンマーク発の全寮制フリースクールだ。デンマークで民主主義が台頭した1840年代、デンマークの教育者(政治家、哲学者、詩人、作家でもある)N.F.S.グルントヴィが「市民のための市民による学校」を提唱したのが始まりだった。

当時、農民が市民のほとんどを占めていたのに対し、彼らへの教育の機会は限られていた。しかし民主主義を正常に機能させるには、市民と政治家が対等に、自由に議論できる環境を作らなければならない。これからの国をつくる市民に、知恵と力を授ける教育が必要だーー。これが、フォルケホイスコーレ創設の目的であった。

また、グルントヴィは試験のための勉強、体罰が横行していた当時の学校を「死の学校」と表し、生身の人間どうしの対話から学ぶ「生きるための学校」を目指した。

彼の思想を受け継ぎ、今もデンマークに70校以上のフォルケホイスコーレが存在する。現在は高校や大学のギャップイヤー中に、自分の興味や可能性を広げる場として活用されることが多い。以前、インタビューしたデンマーク人の女性も、フォルケホイスコーレで自分の興味を見つけた一人だ。

デザインや手芸、スポーツ、社会福祉、サステナビリティ、政治など、学校ごとに主要テーマを掲げている。一方で、17.5歳以上であれば年齢・国籍を問わず誰でも入学資格があること、入学試験やテストなど評価システムが存在しないこと、すべての生徒と先生が寝食を共にすることなどいくつかの共通点を持つ。

日本に必要な「立ち止まる」機会

基本的にフォルケホイスコーレはその成り立ち上、デンマーク人のために創られたものだ。でも実は、数年前から日本人の生徒が増えている。私が滞在していた1校目では約100人中10人が、2校目では約50人中12人が日本人だった。学校の特色や学期によって変わるが、どのフォルケホイスコーレも少なくとも一人は日本人がいると聞く。(ちなみに、フォルケホイスコーレにくる日本人はミレニアルのtelling, 世代女性が多い。)

英語を話せるようになりたい、北欧の文化を学びたい、次のステップに向けて一旦休憩したい……。フォルケホイスコーレに来る理由は人それぞれだが、これだけの日本人がフォルケホイスコーレに集まる背景には、日本にない「何か」を求めている気がしてならない。まさに私もその一人だ。

日本に住む大多数の人は、「ストレートコース」を歩んできた。小学校から中学校まで義務教育を終えて、当たり前のように高校・大学を受験し、そのまま就職活動の波にのまれ、ある日、学生から社会人モードに切り替えさせられる。仕事と暮らしの両立にあくせくしながら、「いつ結婚するの?」とプレッシャーをかけられても、私たちは前に進みつづけなければならない。心の中に小さく生まれた違和感を押し殺しながら。

それなのに突然「人生100年時代」、「好き」を仕事にする時代、遊ぶように生きろと言われはじめる。いろいろな生き方を選べるのは素晴らしい。でもこれまで自分の足元を見る暇もなく走ってきた人たちが、どのように他の選択肢を見つけられるのだろう?

「一度足を止めて、自分の可能性や新しい選択肢を見つける」それが、フォルケホイスコーレが提供する最大の価値だ。このような場が、今の日本社会に求められているのではないだろうか。

「役に立つか」よりも「あなたにとって大事か」

さて、フォルケホイスコーレに関する質問でいつも返答に迷うのが、「何を学べるのか」である。もちろん、学校ごとに掲げる主要分野を授業で学ぶことはできる。だが振り返ってみると、国籍も年齢も異なる生徒との対話で浮かび上がった「自分らしさ」、授業や他のアクティビティで見つけた小さな興味が、私にとっての発見であり、大きな収穫だった。

「フォルケホイスコーレで何が学べるのかーー」。最初に通ったフォルケホイスコーレの校長は、このように述べていた。

「フォルケホイスコーレで学ぶことがすべて、人生ですぐに役立つものではないかもしれません。でも、あなたにとって大事なことを学ぶことができます。あなたはどのような人間なのか、本当に情熱を持てることは何か、どんな人生を歩みたいのか……。

他者との関わりを通して、相手の鏡に映った自分を知ることです。フォルケホイスコーレの経験は、あなたという人間の成長プロセスそのものになるでしょう。 」

この分野を学んだら、いい職に就けるかもしれない。あのスキルを得たら、給料が上がるかもしれない。私たちは無意識のうちに、「将来役に立つかどうか」を軸にして、今やるべきことを決めている。「今が楽しければいい!」と日和見的に生きていくのはそれはそれで辛いが、ずっと打算的に生きるのが癖になってしまうと、自分の本当の望みが分からなくなってしまう。自分のことを分かってあげられないのは、とても悲しいことだ。

もし「将来に役立てるため」のスキルを獲得したいのであれば、フォルケホイスコーレでなく大学や専門学校に行った方がいい。それでも私は、フォルケホイスコーレで過ごす日々がその後の日々を支える原体験となることは、約束できると思う。

フォルケホイスコーレの校長の言う、「あなたにとって大事なこと」。それは将来の成功を約束してくれるものでも、手に職つけられるものでもないかもしれない。しかし、フォルケホイスコーレで過ごす中で、あなたが過去に置いてきた好奇心や、思ってもみなかった可能性に出会える。きっと、100年という長い時間を生きる(かもしれない)私たちに、生きる希望と心の拠り所を与えてくれるだろう。

次回は、「フォルケホイスコーレ」でどのような授業がおこなわれるのかをレポートします。

フリーライター/コミュニティマネージャー。慶應義塾大学卒業後、IT企業の広告営業、スタートアップのWebマーケティング・コミュニティ運営を経て、フリーランスのライター・コミュニティマネージャーとして活動中。2019年はデンマークを拠点に「誰もが自分らしさを取り戻せるコミュニティデザイン」を模索しています。
telling,Diary