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東京で暮らす意味がわからなくなったので地方の実家に「お暇」してみた

年末年始、実家に帰省した方も多いのではないでしょうか。都会と違うゆっくりした時間の流れに、「もう仕事に戻りたくない。故郷に帰って暮らしたい」なんて思いませんでしたか? 今回は東京での暮らしに疑問を感じたライターの神山園子さん(28)が、実家で1カ月の「お暇(いとま)生活」を試みた体験談。ドラマ「凪のお暇」の主人公のような癒やしは得られたのでしょうか。

「年末までは頑張ろう。年末年始を実家でゆっくりしたらこの憂鬱な気分も回復するはず」

そんなふうに夏ぐらいからくすぶり続けていた「東京出て実家でのんびりしたい」という感情が爆発したのは、昨年秋、実家で飼われている愛猫の訃報が入った日だった。

猫はまだ8歳。病気になってからはあっけなかったと電話口の母は泣いていた。実際「元気なうちに会いにきてあげて」というLINEが入った8時間後には訃報が届き、私は「年末まで持ちこたえてくれ」とのん気に構えていた自分を呪った。

新幹線に乗り、2時間半かけて山間部にある実家に帰った。最寄駅からさらに車で40分。この先も家族に万が一のことがあった時、すぐには駆けつけられないんだなと考えていた。80を過ぎた祖父母、還暦を過ぎた両親のことを思うと、「このまま東京住んでちゃダメなのかな?」という気持ちが大きくなっていった。

東京への執着はいつの間にかなくなっていた

大学卒業後、就職を機に東京にやってきて丸6年。最初は何もかも新鮮だったけれど、だんだん電車の本数の多さも、お洒落なお店も、街中で有名人を見かけることも、なんとも思わなくなっていた。大好きなアーティストのライブに行きたくて泣いていた中学時代。今は徒歩圏内にライブハウスがあってもめんどくさくて行かない。お台場も、上野動物園も、六本木ヒルズもわざわざ行きたいと思わない。渋谷の新しい商業施設にも興味がないし、化粧水は無印だし、服はユニクロだし、恋人もいないし、結婚しても東京じゃ子育てキツそうだし、仕事は普通につまらないし、なんだかんだで月末はいつも金欠。

「なんで東京にいるんだろう?」最近はずっと自分がどうしたいかわからなかった。

地元に戻ることはなんとなく抵抗があったが、猫の葬儀で帰省した時の両親があまりに落ち込んでいたので「今は近くにいてあげたい」と素直に思った。

28歳って「そういう時期」だから、行動してみた

東京に戻り、しばらく会社を休みたいと思っていることを上司に告げた。

「今後の人生についてゆっくり考え直したいんです」という勝手なお願いにも関わらず、上司は「いいよ。28歳ってそういう時期だからね」と言ってくれた。聞くと彼もこのくらいの年齢で結婚し、働き方も住む場所も大きく変えたのだという。

そういえばTVドラマ化されて話題になった「凪のお暇」の主人公・凪も28歳だったな……。上司の言葉に背中を押され、抱えていた仕事を整理してからお暇(いとま)をいただいた。

許された期間は1カ月。その間に自分が東京に住む理由を見つけられなかったら、キッパリ地元に帰ろうと決めた。

家族での時間を取り戻したくてとった行動

地元に戻り、まず行ったのは家の掃除だ。私が家を出てからは使われなくなった子供部屋が物置となっていたり、両親が寝食に使わないところは埃をかぶっている。上京後の私が帰った時は、いつも客間に敷いた布団で寝ていた。それがなんとなくよそ者扱いのように感じられて嫌だったので、子供部屋を片付けて寝泊りできるようにした。

さらに私は朝早く起きて味噌汁を作り、昼も夜もたっぷりのおかずを作った。昔のように、親子で食卓を囲みたかったからだ。

「園子が来てくれたからごちそう食べられるね」と母が言うように、兄と姉に続いて末っ子である私が家を出てから、両親の食生活からは丁寧さが失われているように感じていた。カップ麺でご飯を済ませたり、それぞれ外食が増えているのも気になっていた。

最初の1週間ほどは、私の手料理を両親とも喜んでくれた。しかし、父の外食は減らないし、母も私が作ったものがあると分かっているのに惣菜を買ってきて食べたりしていた。その度に私は思いが伝わっていないとイラついた。

母の「拒絶」に、現実から逃げていた自分に気づいた

ある日、かねてから気になっていた母の白髪をのことを指摘した。
「老け込んだように見えるよ。染めてあげようか」
当然、喜んでくれると思っていたが、母の反応は予想と違っていた。

「キリがないから染めるのを辞めたの」
「綺麗に染めてあげるから。いいでしょ?」
「私の見た目のことだから放っておいて」

その時、「母にはいつまでも若々しくいて欲しい」というのは私のエゴだったと気づいた。ふとした時に両親の老いを感じるのが辛い。自分が子供で居たいから、両親が老いていくのを見たくないというだけだった。

子離れした両親の生活を尊重し、自分の人生を生きる

食生活ひとつとっても、私は両親に、自分と一緒に暮らしていた頃のような食事をして欲しいと押し付けていた。父の外食は多くなったが、そのひとつひとつは無駄ではないし、ささやかな贅沢を楽しんでいる。母が惣菜を買うのも、これまでの家事育児から解放されて、好きなものを好きな時に食べているだけだ。彼らは親としてではなく、1人の人間として子離れ後の毎日を自由に生きている。

一方の私は、東京に来てから仕事に追われる日々に疲れ、そこから逃げ出すことを正当化するため「家族が私を必要としている」と思おうとしていた。

「東京で暮らす理由を探すため」などと考えて地元に戻ってきたが、東京で暮らす理由は東京で一生懸命生きていれば自然と生まれてくるはずだ。地元を言い訳にして、「いつか帰らないといけないから」と、東京での暮らしをその場しのぎのような扱いにしていてはいけないと気づいた。

実家に戻って3週間。予定より少し早く、私は東京に戻ることにした。「明日帰るわ」と両親に伝えると「あ、そう。気をつけてね」と軽い反応だった。

実家が「いつでも帰れる場所」であることは間違いない。だからこそそこに依存せず、自分が選んだ暮らしの地盤固めをしたい。まずは今、東京で自分を取り巻いている人たちときちんと向き合って、仕事も真摯に取り組む。そんな丁寧な生活を続けることからしか、「東京で暮らす理由」は見つけられないのではないかと思う。

1991年生まれ。芸能・出版などマスコミ業界で働く会社員。リアルなミレニアル世代として、女性特有のモヤモヤや働き方などを主なテーマに記事を執筆中。
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