令和のこれからは「選ばれる女」ではなく「上手に選ぶ女」に憧れる
2019年は、自我が芽生えた一年だった。
これまでの私の人生、いつもどこかで選ばれることを目指して走ってきたように思う。いい大学に合格者として選ばれるように。その後は良い企業に選ばれるように。
社会人になると、好きな人が好きな格好をするようになった。
内巻きワンカールの暗めの茶髪ロング、清楚なワンピース、ふわっと流した前髪、メイクもナチュラルに。
すべての行動は「正解する」ためにある。だって小さい頃からそうだったではないか。学生時代には大学に受かるために何時間も勉強した。良い企業に受かるためにインターンもした。その後も好きな人の好みに「正解」しようと努力してきた。青春を「正解する」ために捧げてきたのだ。
当時のわたしには好きなものなんてなかった。それよりも「みんなが好きなものは何か」のほうが大事だったから。現代人として、正しい姿であるために。時代遅れにならないために。
自分の好きな曲や本や映画について聞かれるのも苦手。そんなもの、存在しないから。
「だって、自分が好きなものなんて、何の役に立つの?」
「自分が選ぶ」毎日の楽しさを知った去年の秋
転機が訪れたのは27歳になる2019年だった。
全力で遊び、全力で仕事をしていた身体が悲鳴をあげて、しばしば身体を壊すようになった。自分だけが正解しているだけじゃ、クリアできない仕事が現れた。
そんな中、大きな失恋をした。
上京してからはじめて、「好きな人」のいない生活。
“これまでと同じじゃダメだ”と思い悩む日々は、今考えれば、”誰かに選ばれるためだけの行動からの解放”のチャンスだったのかもしれない。
誰かのためにふわふわのワンピースを着るのをやめた。だれかに次の髪型をどうしてほしいか聞くのをやめた。誰がどんな服装が好きなのか観察するのをやめた。上京してからはじめて。
オーバーサイズのスウェットを着始めた。黒髪にした。派手なネイルに変えた。ヲタクと呼ばれても、大好きなコンテンツのコラボアイテムを身に着けた。沢山「これ最高!」って感動した。上京してからはじめて。
一人で出かけることが多くなった。映画館にもバーにも、どこへだって行ける。行きたい場所がある。自分の意思で歩く東京はカラフルで心躍るほどに広い。
そしてやっと、「自分で何かを選ぶってこんなに楽しいのか!」と気付いたのである。
これが27歳の秋だから笑ってしまう。
ディズニープリンセスも「選ぶ女」の時代
これはわたしの話だけれど、世の中においても「選ばれたい」より「選びたい」という欲求を促しているように感じるのは気のせいだろうか。
最近ではディズニーのプリンセスも「選ばれる女」から「選ぶ女」の物語を伝えているように思う。価値観を再構築していくなかで、映画の中の彼女たちに何度も励まされた。
私が子供の頃は、ディズニーの物語といえば「王子様がどこからか現れてプリンセスを見つけ、”選ばれて”結ばれる」であったが、アナと雪の女王では、エルサは最初に王国の外での人生を”選び”、トイストーリー4でもポーという女性ヒロインは自分の人生を自分で”選ぶ”決断をしている。
現代の、日々変わりゆく世の中の動きや、女性の社会の中での立場の変化を鑑みると、男性から”選ばれる”のを待つことでドラマチックに人生が好転する景色を、幼い子どもたちに目指すべきサクセスストーリーとして見せることはあまりにも残酷かつ前時代的になってしまったのかもしれない。
現代のプリンセスは「自分で選ぶ女」になりつつある。そんなプリンセスたちに、わたしたちは確かに励まされている。
昔は東京カレンダーで、男を翻弄し、常に誰かに”選ばれそうな”港区女子として大人気だった田中みな実さんも、今はその「ストイックさ」と「自分の選んだ好きなことを追求する強さ」を評価されている。
全世界で流行するガールクラッシュなアーティストは、「好きな服を着てActionしている魅力的な私を見てなさいよ」と観客を煽ってくる。
この先の未来も人生の幸せも「不確か」で「正解がわからない」からこそ、現代のおんなのこたちは、「選ばれる」ことよりも「自分で選べる」女に憧れるのではないだろうか。
令和のこれからは、選んだ日々の手触り感を楽しみたい
令和のこれからは「選ばれる女」ではなく「上手に選ぶ女」に憧れる。
令和のヒロインは「選ばれる女」ではなく「上手に選ぶ女」だ。
令和のこれからは「選ばれる女」ではなく「上手に選ぶ女」でいようと思う。
選択肢が無数にあり、どれが正解なのか簡単にはわからないからこそ、自分の愛するものを見つけて選んで得られた人生こそが魅力的な時代なのではないだろうか。
選ぶことは心の筋トレだ。最初は苦労で面倒だけれど、繰り返しているうちに上手に、何よりも楽しくなってくる。
ハズレを引いても大丈夫。ハズレたのかさえ、自分じゃ判断できないよりもずっとクールだ。「ハズレた」と感じる心がすでに素晴らしい。
笑って、泣いて、怒って、がっかりして。それが「正解だった」「不正解だった」と誰かの基準で振り分けるのではなく、自分で決められるようになったとき、人生が自分の手に馴染んでくるのかもしれない。
王子様に選ばれなかったなら、選びにいけばよい。ハッピーエンドを迎えに行こう。きっとそれは、王子様を待っている時間以上に、楽しくハードで喜びに溢れた時間になるはずだ。
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