telling, Diary ―私たちの心の中。

ミレニアルと呼ばれる、わたしの同志のみなさんへ

1981年から1996年に生まれた“ミレニアル世代”。少子化、成熟経済、デジタル化などの時代の変化を最初に経験し、変化の中で育ってきた私たちには、いわゆる"ロールモデル"がいない。世の中的な正解がない中、どうやって前に進んでいこう?「自撮ラー」で知られ、『インカメ越しのネット世界』の著書もあるりょかちさんによる、同世代に向けた「ミレニアル論」をお届けします。

「ミレニアル世代は、変わりゆく時代の先頭走者なんです」

“ミレニアル世代”をテーマにしたイベントで、そんな言葉を聞いた。

1981年から1996年に生まれた人たちを一般に”ミレニアル世代”と呼ぶ。この世代はメディアに人気で、特に意識していなくても、この単語に聞き覚えがある人も多いのではないだろうか。

少子化、成熟経済、デジタル化。時代の変化を最初に経験し、変化の中で育ってきたのがミレニアル世代なのだ。いつの時代もそうなのだと思っていたけれど、そういえば「これからの時代の◯◯」「◯◯2.0(あるいは3.0)」「新・◯◯」みたいな言葉をつねに聞いてきた気がする。

バブル崩壊の1992年に長女として生まれた私は、ゆとり教育がはじまってすぐに学校で「円周率=3」の授業を受け、「シックスポケット(両親と両祖父母の6人から一人の子供がものを買ってもらえる状態)」という言葉を聞きながら、ナルミヤという新興ブランドの高級服を沢山買った。

小学生のとき自宅にパソコン、中学生で初めての携帯電話を持ち、大学生でiPhoneに変えた。メールの絵文字はいつのまにかLINEのスタンプになっていて、気がついたら友だちの近況はInstagramでいつでも把握できるようになっていた。

さらに27歳になった今は、”未婚の女性会社員”として、結婚やら子どもやらLGBTやらキャリアやら、当事者意識あふれる話題について、「これまでの常識は変わるべき」という声を毎日のように聞いている。

ミレニアル世代はロールモデルがいない世代

さて、「先頭走者」とは、「前に誰も走っていない」ということである。

“ミレニアル世代は、変わりゆく時代の先頭走者”。その言葉が私の感覚にぴったりだったのは、まさに”自分の前にだれもいない”と感じていたからだった。

私はIT企業でスマートフォン向けサービスをつくる仕事をしてきたけれど、定年までWEBサービスを作り続けるキャリアを歩んだ人を、私は知らない。友人のとても優秀な女性が、「周りに管理職に上り詰めた女性なんていないから、『これからのミライは明るい』なんて明言できない。どんなキャリア選択をすべきか不安だよね」と、六本木のBARでつぶやいた言葉が忘れられない。”結婚しなくても幸せになれるこの時代に”、とどこかのCMは語っていたけれど、あくまでそれは現代を生きる女性の「いま」の話で、その誰かが死ぬまで本当に幸せかなんて、未来にならなきゃわからない。

わからない。

わからないから、「世の中的な正解」を答え合わせしたくなる。

少し昔だったら、「世の中的な正解」があったのかもしれない。「大企業に入れば一生安泰」とか「子供は2人つくる」とか「25歳までに結婚する」とか。あるいはもう少し先の未来なら、新しい時代のスタンダードが生まれている、のかもしれない。

けれど現代でいえば、変わりゆく時代の中で選んだ「世の中的な正解」は、明日には不正解だとSNSで叩かれている可能性だってあるのだ。時代が着地していないのに、自分の人生を着地させられるはずがない、と思う人もいるかも知れない。

私もまさに時代と自分の心変わりが怖くて、何を選ぶにも躊躇していたら「アラサー」になった。

“ミレニアル世代”を明るい言葉として、未来に残すために

しかし、そんな新米アラサー2年目の27歳の一年は、あえて言葉にするならば「しなやかな自分になった一年」だったと思う。

きっとそれは友人のおかげである。「自分の答えに真摯に向き合っている人」や「変わりゆく時代なら、自分が変えていく時代にしようとしている人」に沢山出会ったから。彼女たちは私に、世の中とその中を生きる自分とを区別してよく観察し、自分だけの答えを見つけ出すこと、必要であれば声を上げて世の中を変えようとすることを教えてくれた。

「世の中的な正解」のない時代は自由だと言われる。26歳の私は「自由だから困ってるんでしょ。誰か決めてよ」と思ってた。けれど、勇敢かつ緻密に自分の選択を引き受けていこうとする友人たちを見ているうちに、ひとつひとつ丁寧に向き合うことが今は楽しいとさえ思える。まあ時々、やっぱりめんどくさいけどね。

仕事でサービス開発をしているけれど、仕事も人生も同じだ。「わかんないけどできるだけの情報を集めて決める」「全力でやる」「検証する」「まちがってたら修正する」の繰り返し。やってみないと仮説は永遠に検証されないまま、「時代遅れの塊」になってしまう。当然悪いレビューが来ることもあるだろう、しかしいちばん大事なことは、レビューで指摘された変更が「サービスの意志」に沿っているかだ。それがサービスの意志ならば、無理して誰かの一時的な意見に迎合する必要はない。ドラスティックな変化は一時的な拒絶反応を起こすかもしれないが、確実に普及して物事を前に進めてくれる。

すぐに答えなんてわからないさ。一回でたどり着けなんてしないさ。

不確実で足元がぐらつく時代に生きているからこそ、私はミレニアル世代と呼ばれる同世代のみんなといつも手をつないでいるような気持ちでいる。先が見えないなら、みんなで手をつなごうぜ、という空気感も感じる。多くの人が迷っている時代だからこそ、その不安は誰かに相談できるし、せめて抱きしめることができる。必要ならば一緒にあるべき未来を歌うこともしよう。

失敗を繰り返しながら、時代が変わっても大切にできるものをあつめていこう、ひとつひとつ。自分がハンドルを握れる方が、仕事は楽しいに決まっている。人生もきっと同じはずだ。少しずつ正解に近づきながら、この新しい時代の、新しい道の一つをつくっていきたい。

わたしたちは、変えられる。わたしたちは、選べる。そんな時代を生きるわたしたちのことを“ミレニアル世代”と呼ぶのだ、きっと。

1992年生まれ。学生時代より各種ウェブメディアで執筆。新卒でIT企業に入社し、アプリやWEBサービスの企画開発に従事。現在では、若者やインターネット文化について幅広く執筆する。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎刊)。朝日新聞、幻冬舎、宣伝会議(アドタイ)などで連載中。@ryokachii
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