母との「負の思い出」が詰まった実家の自室を断捨離したら見えてきたもの(上)

年末といえば「大掃除」。物だけでなく、心に絡みつく「過去からの呪縛」も断捨離できたら……なんて考えたこと、ありませんか? 今回、作家の小野美由紀さんが試みたのは、重たい過去の記憶がこもった実家の自分の部屋の片づけ。過去に向き合う作業は、小野さんの心にどんな変化をもたらすのでしょうか。

絶対に着ない服100着が詰め込まれた「呪いの箱」

実家が好き、という人と実家が嫌い、という人の割合はそれぞれどれぐらいだろうか。
私は実家が嫌いだ。できれば近寄りたくない。
今現在の家族が嫌いだから、というよりは、そこで過ごした頃の苦しい思い出が蘇ってきて自分がとても無力な存在のように思えるからだ。

特に自分の子供時代の部屋は、精神的に病んで、家族に誰も味方がおらず罵声と失意の中で過ごした中学時代の無力な自分の記憶が蘇ってくる。年に1回ほど、どうしても外せない用事で帰る以外になるべく近寄りたくない場所だ。おまけにいまは、家族が邪魔になった物をどんどん置いてゆくため倉庫と化しており、今の自分とは全く無関係な空間である。

その実家を、この年末、思い切って断捨離した。ただし、自分の部屋だけ。

午後2時、業者が到着する。一人ではとても断行できそうにないので、ネットで探した片付け専門の代行業者に手伝いを依頼したのだ。かなり料金がかかるのでは……と心配していたが、片付け3時間プラス家具回収込みで3万円程度と比較的良心的な値段だった。ちなみに家族には邪魔されたくなかったので、全員が出かけている時間を狙って決行した。

我が部屋のスペックだが、7畳ほどの空間に本が1000冊と、大量の衣類が堆積している。私の服ではない。母が買ってきて押し付けた服である。
母は常に自分の好みを押し付ける人で、本にしろ、服にしろ、自分が良いと思うものしか触れさせてくれなかった。母の好みと私の好みはまるでかけ離れていたし、私は化繊が苦手で着ると肌がチクチクしてものすごく苦痛なのだが、母はそんなことお構い無しに自分の気に入ったデザインの物を選んだ。

バイトをして自分の好きな服を買うことができるようになってからも、「あなたにはこれが似合う」、とか「私のお下がりをあげる」、と言って要らない服を毎日のように押し付けてきて、着ないと怒った。高校生に肩パッドの入ったミチコロンドンやDKNYが似合うわけがないが、母はなぜか自分が選んだ服は私にも似合うと信じて疑わず「あなたのため」と言って譲らなかった。大げんかにならない限り、やめてくれなかったし、しかし次の週にはケロリと忘れて繰り返した。

私は10代の頃、これが嫌で嫌で仕方がなかった。
たかが服だが、私にとっては自由の剥奪と同じだった。
母から服を押し付けられると、呼吸が止まる気がした。
これまで何度も母の買ってきた服を捨てようと思ったが、いざ捨てる段になると「こんなに高価な物を簡単に捨てていいのか?リサイクルするべきでは?」という考えが浮かんで来て、なかなか捨てられなかった。

私のクローゼットはもはや私のものではなかったし、この部屋で一番大きな家具である衣装タンスは私にとって呪いの箱でしかなかった。中には母が「着るものがないと困るから」と言って買って来た、私が絶対に着ない服が100着ほど詰め込まれていた。中国風の豪奢な彫り模様がゴテゴテと意味もなく付いたそのタンスは、部屋の他の家具とは全く趣向が合っていなかったし、7畳の部屋には大きすぎた。部屋の入り口を塞ぐようにして立っているそのタンスを見るだけでなぜだか生力が奪われる気がした。

着ない服と、すでに読まなくなった大量の本。今の自分にとって要らないもので埋められた空間を、今日、解体する。
(ちなみに、断捨離を決行する前にこのコラムの担当編集者さんに相談したら「僕も実家の自分の部屋には黒い毒の霧が漂っている感じがしてやばいです!」とおっしゃっていて、同じ思いを抱えているのは自分だけではないのだ、と心強く感じた。)

「これはゴミですか?」。思い出の本たちとの決別

まず、最初のステップとして、徹底的に本を捨ててゆくことにした。

私の部屋には1000冊ほど本がある。幼少期に買い与えられた絵本から、大人になって一人暮らしをはじめ、置き場がなくなって実家に送った本などが天井近くまで積み上がっている。思い切ってそれを捨てることにした。私が不要な本を棚から出し、業者さんがビニール袋に詰めて外のトラックに積んでゆく。

地層を掘り返すようにして、本棚から20年もの間、動かされずにいた本たちを出してゆく。本棚の奥から出て来た本を見て、私は思わず「げ」と叫んだ。カビだらけだった。どの本も、あらゆる辺が真っ黒にカビている。

途端に顔と手が痒くなった。私はカビアレルギーなのだ。
私の部屋は北向きで、窓から光が入らず風通しも悪い。いつから生えているのかわからないが、こんな部屋で過ごしていたら精神が病んでも仕方がない……と納得した。

業者さんと手分けし、どんどん本棚から本を出してゆく。
「これはゴミですか?」「はい」というやりとりを何十回も繰り返す。業者さんの、感情のこもらない機械的な声が却って心強い。

小学生の頃、本のページをうっかり折って担任に激怒されて以来、私にとって本は「大切に扱うもの」「捨ててはならないもの」だった。しかし、今の自分に必要ないものはただのゴミだ。人間全般を大事にするのは良いことだが、連絡を取らなくなった元カレをいつまでも大事にしていたら今の恋は楽しめない。物だって同じだ。今必要な物を大事にするために、過去のものは捨てる。

作業開始から1時間、あれだけ空間を占拠していた本がみるみるうちに消えてゆく。おさるのジョージ、長くつ下のピッピ。『おおきなポケット』シリーズ。どれも子供の頃に親しんだ本ばかりだ。図鑑、画集、現代文学全集、フランス現代思想集……。高価そうな本もあり、古本屋に売ったら高値にはなるかもしれないが、選別し始めるとキリがない。

もし一人で作業していたなら、きっと子供の頃の記憶に浸ってしまい、とても進まなかっただろう。しかし、業者は時給制である。ちんたらしていたらもったいない。心を無にして捨ててゆく。

子供の頃、母が与えてくれるものだけが滋養だった。でも、もう必要ない。今の私にとってはゴミでしかない。それらが与えてくれた価値には感謝しているが、感謝はしたいときにするべきものであって、無条件にし続ける必要なんかない。

捨てて捨てて捨てまくり、巨大な本棚を二つ、カラにした。CDも捨てた。椎名林檎や初期のBUMP OF CHICKEN、ギャルだった頃に聞いてたユーロビートのオムニバス……流石に愛おしかったが、iTunesで聞こうと思えば聞ける。また個人的に買い集めた漫画もたくさんあったが(特に『ぼのぼの』全巻と『ガラスの仮面』全巻が苦しかった)思い切って全部捨てた。

もちろんその中にあっても、こんまり先生の教えに従い「スパークジョイ」は忘れなかった。
今でも好きで、本棚に並んでいるとテンションが上がる本だけを30冊ほど残した。

ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』、初めて読んだ思想書であるニーチェ、宮沢賢治の詩集と長野まゆみさんの小説、田口ランディさんのエッセイ、それから初期の中村明日美子先生の漫画数冊。

全部、母が買い与えた本ではなく、中学生の私がエンコーしながら健気に買い集めたものだった。
私は突然自分が愛おしくなった。子供の私は、過酷な環境にありながらも、それでも自分にとって必要なものを本能的に嗅ぎ分け、ちゃんと手に入れていたのだ。

さて、次はいよいよ、絶対に着ない服たちの詰まった『呪いの箱』との対決だ。

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作家。1985年東京生まれ。著書に銭湯を舞台にした青春小説「メゾン刻の湯」「傷口から人生」(幻冬舎)など。2020年に刊行された”女性がセックス後に男性を食べないと妊娠できない世界になったら?”を描いた恋愛SF小説『ピュア』は早川書房のnoteに全文掲載され、SNSで話題を呼び20万PV超を獲得した。創作WS「5感を使って書くクリエイティブライティング講座」を毎月開催。