母との「負の思い出」が詰まった実家の自室を断捨離したら見えてきたもの(下)

母親との「痛い」記憶がこもった実家の自分の部屋の片づけに挑む、作家の小野美由紀さん。今回ではいよいよ、「母の呪縛」の象徴ともいえる巨大な洋服タンスに向き合います。子ども時代から蓄積した負の感情を掘り起こし、捨てていく内面の”大掃除”。果たして、その結果は――。

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タンスとともに捨てる「母の呪縛」

2時間かけ、1000冊の本を30冊にまで減らし、本棚を空にした。
次に大量の衣類に取り掛かる。クローゼットと巨大なタンス。この頃になると勢いづき、物というよりもゴミにしか見えなくなってくる。
どちらからも、私が一度も袖を通していない、母フレーバーの衣類しか出てこない。
選別もせずにゴミ袋に詰めてゆく。一瞬かわいそうだと思ったけど、物には罪もない代わりに、感情もない。高価そうなジャケットやコートもガンガン捨てた。

捨てながら思った。
あ、母って買い物依存症だったのだ、と。
母は母で、自分の寂しさや不安を埋めるために服を買い、それを「私のため」と押し付けることで罪悪感から逃れ、母親としての役割を果たしている気持ちになっていたのだろう。
そうじゃなかったら、この大量の衣類は説明がつかない。
そして恐ろしいことに、母の部屋にはこの3倍は服があるのである。

さて、最後の砦である。タンスの一番下の段には、母の振袖が眠っていた。母が若い頃に着、「私がいつか着ると思って取っておいたのよ」と押し付けがましく言っていた、自慢の振袖である。
たぶん100万くらいはする。業者に売ったらいい値段がつくはずだ。でも、そんなこと考えている時間が惜しい。

思い切って、包んである紙ごとゴミ袋にぶち込んだ。全く罪悪感はなかった。一生着ないし、一生紙からも出さない。そもそも、祖父に似て肌が浅黒く、骨ばった体格の母と、祖母に似て色白、カーヴィーな体つきの私では全く似合う服が違うのである。

着物を捨てた瞬間、「あ、もう解放されるんだ」と不思議な気持ちがした。

私は10代の間ずっと、母に生き方を、好みを、全て押し付けられているような気がして怒っていた。母の物を押し付けられることは、母のように生きろと言われているようで気分が悪かった。服や本、その他あらゆる物を押し付け、強制し、私から選択肢を奪ってケロリとしている母が10代の頃は憎くて仕方がなかった。

最後に、巨大なタンスを業者さんとともに外に運び出して捨てた。私はこのタンスが10代からずっと嫌いで、どうしても嫌で嫌で仕方がなかった。その時はなぜ嫌いだったかわからなかったが今ではわかる。このタンスは私にとって不自由の象徴であり、外への出口を塞ぐ岩だった。一度この部屋に入ると、タンスが邪魔をしてなかなか出られないような気がした。中学の頃から家出と外泊を繰り返し、できる限り家に帰らないようにしていたのも、この部屋が嫌いだったからだ。この部屋が象徴する、母の作った蟻地獄が。

たかがタンスである。けど、私はそれが無くなることが、何より嬉しかった。

終わりに

物を捨てるということは、物に宿った記憶や感情も同時に捨てることである。

大きな本棚とタンスのなくなった後には、ぽっかりと空間ができ、ひどく広々として見えた。要らないものがなくなる、というのは、こんなに理にかなっていることなのか、と思った。私は今まで、必要のない物をいつまでも自分の私的空間に抱え込んでいたのか、とも。もうこの場所に、私を苦しめるものは何もない。

片付いた部屋は、何にもない砂漠を思い起こさせた。心地いい風が吹き、生命の気配は私しかない。
20年間、凝(こご)っていた行き場のない澱と膿とが、ゴミとともに全て流れ出た気がした。この場所に鬱積していた、少女の頃の自分の怒りや悲しみが、ぜんぶ。

外に出たら、冬の夕暮れの空気が清々しかった。

私と母との折り合いの悪さは子供の頃からずっと続いていて、母との関係にずっと悩まされ続けてきた。
とっくに自立し、「関係を捨てた」と言いつつも、心のどこかでは捨てきれない甘えと弱さがあったように思う(詳しくは拙著「傷口から人生」に書かれている)。
しかし、部屋を片付けたことで、母との関係やこの家で過ごした思い出は私にとって、もう正式に ”要らないもの” なのだなと実感することができた。
私と母の関係がもう一段階終わった気がして嬉しかったし、同時に、この家の中には、もう死を待つ人しかいないのだな、と感じた。

私の部屋だけでなく、この家にある全てのものが不要になり、全て捨て去っても問題なくなる日を、私はいま、心の底から待ち望んでいる。

作家。1985年東京生まれ。著書に銭湯を舞台にした青春小説「メゾン刻の湯」「傷口から人生」(幻冬舎)など。2020年に刊行された”女性がセックス後に男性を食べないと妊娠できない世界になったら?”を描いた恋愛SF小説『ピュア』は早川書房のnoteに全文掲載され、SNSで話題を呼び20万PV超を獲得した。創作WS「5感を使って書くクリエイティブライティング講座」を毎月開催。