小野美由紀「私たちはなぜ『お父さんみたいな異性』を求めてしまうのか」
ずっと、お父さんが欲しかったの。
そう言うと、親友のユキコは
「分かるよ。正確には”お父さんみたいな異性”が欲しいんだよね。でも、本当はそんな人、どこにもいないんだよ」と言った。
いつだったかツイッターで
「女の子は恋人を選ぶとき、自分がこの人の娘だったら嬉しいだろうな、と思うような相手を選ぶとうまく行く」と言うような内容のツイートが流れてきて、
それには当然
「うげ、気持ち悪い」とか「分かる」とか言う賛否両論の意見がぶら下がっていたのだけど、
私はそれに対して「分かる」と思ってしまう側の人間だった。
私の母と父は離れて暮らしていて、5歳から17年ものあいだ、一度も父に会っていなかったから、とりわけその願望が強くなったのかもしれない。
包容力があって、優しくて、いつでも自分の味方をしてくれる、頼れる異性。
これまでの恋愛遍歴を紐解いても、そういう相手ばかりを常に選んで来たように思う。
「お父さん」みたいに、私をいつも優しく包んで、味方してほしい
けれど、そうして「父」的な男を求めて恋愛した挙句にわかったことは、
どう頑張ったって「お父さん」になってくれる男なんて存在しない、と言う、当たり前すぎる事実だった。
男は弱い。折れやすくて、もろくて、何十倍も私の方が強い。
馬鹿みたいに相手に幻想を抱き、そのことに気づいて終わる。振り返ってみれば20代の恋愛のほとんどが、その繰り返しだったように思う。
「当たり前だよ。だって、『父親になる機能』って男にはあらかじめプログラムされてないんだもん」
とユキコ。
ユキコは雑誌の記者をしていて、バツ2のシングルマザーで、いろんなことを知っている。
なぜ、恋人に親を重ねてしまうのか
「この前取材した栄養士の先生が、面白いこと言ってたよ。アメリカで行われた実験で、父親に娘の首から上を隠したヌード写真を見せたら、全員もれなく勃起するんだって。けど、首から上を見せると、途端に萎えちゃうんだって。自分たちは家族だって理性と経験が、男を萎えさせるわけよ」
「えーっ、そうなの?」
「ま、そりゃそうだよね。だって娘ってさ、最愛の女性に遺伝子的にはそっくりの、一番若い女なんだもん。つまり何が言いたいかっていうと、父親って本能じゃなくて、経験でなるものなの。
だから、自分と同じくらいの年齢の、家族持ったこともない未熟な男に『お父さん』を求めたって、うまくはいかないのよ」
何故、我々はいるはずもない理想の『おとうさん』を恋の相手に求めてしまうのだろう。
男女問わず異性に親を投影してしまうのは、いつまでたっても自我が未熟な証なのだろうか?
「じゃあ、お父さんが嫌いな娘は、恋人にお父さんを求めないのかな?」
「それがさ、お父さんとずっと折り合いが悪くって、『絶対お父さんみたいな人とは結婚しない』って言ってた女友達がいてね。選びに選んで結婚したわけ。でも、いざ一緒に暮らして見たら、相手の欠点が、自分のお父さんの許せないところと見事にそっくりだったわけよ」
私は頭を抱えてしまった。どうあがいても、恋愛は一番身近な家族内の異性との、関係の模倣になってしまうのだろうか?
ユキコは続けた。
「あんたのいう、異性に求める”お父さん性”って、分解するとなんなの?」
「うーん」私は考えた。
「包容力でしょ、頼れることでしょ、あと腕力?……あ、あれだ」
「ん?」
「いつ何時でも、自分の味方でいてくれること、かな」
なるほどね、とユキコ。
「じゃあさ、あんたが欲しいのは、お父さんっていうより、自分の絶対的な味方でいてくれる人なんじゃない」
たった一人でもいい。この世の中で、いつ何時でも自分の味方でいてくれる人がいれば。
最近話題のパパ活だけど、生活に困窮しているとか、ものすごくお金が必要というわけではないけれど、パパを求める女の子たちもいる。その気持ちが私は分からなくもない。
思うに、彼女たちは不安なのだ。
パパはパパである限り、彼女たちの絶対的な味方でいてくれる。可愛い可愛いと褒めそやかし、自分を肯定してくれる。たとえそれが若さと美貌との等価交換であっても。
「当たり前ですよ。だって、同世代の男に病んだLINEとかすると、途端にメンヘラだとか言われてうざがられるけど、パパだったらそれすら可愛いね、って言って駆けつけてくれるもん」
そう言ったのは知り合いの女子大生のSちゃんだった。Sちゃんは3人の彼氏の他に30代から50代のパパが3人いて、毎日取っ替え引っ替えしている豪傑だ。
「別に、体が目的でも全然いいんですよ。何にもないよりかずっとマシ」
「お父さん」の代わりをしてくれる恋人なんていない
なんでもいうことを聞いてくれ、自分の価値を肯定してくれる絶対的な庇護者が欲しい。
なにかと世知辛い世の中で、ただでさえしんどいことの多い社会で。
その話をユキコにしたら、ユキコは平然と
「そりゃそうでしょ、だって『お父さん』って、庇護者であると同時に、都合のいい奴隷なわけじゃん。
ニキ・ド・サンファルって女の芸術家はさ、実のお父さんとできちゃってて、愛憎ドロドロだったけど、大人になってから撮った映画の中で、お父さん役の男を自分役の女優の足元に跪かせて
『"汚らわしい!ーでもひざまづいているあなたを見ていると、私は不思議と得意な気持ちになれたのです。"』なんて言わせてるんだよ。
女って意地悪だからさ、お父さんであっても、従わせたいってとこ、あるよね」
なんて言う。
「ユキコはいつからお父さんを男に求めなくなったの?」
「20代の終わりに付き合った男がまさに、お父さんみたいな男でさ、なんでも最初は優しく聞いてくれてたわけ。けど途中から『君の仕事のやり方はダメだ』とか『君は半人前だから僕がいなくちゃダメだ』とか言い出して、束縛してくるようになったの。
女に対して『お父さん』やりたがるような男はさ、結局、優しさの皮かぶって、その実は女を支配したいだけのクソモラハラマッチョ男だよね」
ふーん、でもそれって女も一緒かも。男に対してお母さんやりたがるような女って、所詮は自分に自信がなくて、お母さんやることで男を繋ぎとめようとするメンヘラだよ。男甘やかすことでしか、つなぎとめる手段がないって思ってんだからさ…、と、言いかけて、私はギクリとした。
最近付き合っている6歳年下の彼を、私、完全に甘やかしている。甘やかして、お母さんになることで、年齢的な自信のなさをカバーしようとしている。
「男もいるよね。女に平然と母親代わりを求めて、それが当たり前だと思ってるやつ。でもそれがさ、社会構造的にはこれまで割とまかり通ってたからさ、女が男に父親求めるより、ずっと男たちの方が簡単に『母親』求めてたと思うよ。それで子供が生まれてから失望するんだよ。『あ、こいつ、俺の母さんじゃなかったんだ』って」
「ねえ、ユキコ」
「ん?」
「私たちさ、誰のお母さんにもならなくていいんだよね」
「そうだよ」
「お父さんなんて、要らないよね」
「そうだよ。お父さんなんていなくたって、楽しく暮らせるよ」
「誰かを”お父さん”にしなくたって、幸せになれるよね」
そう言って、私たちは晩夏の少し苦いレモネードをぐいっと飲み干し席を立ったのだった。