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「採点」されたくなかった私が、美容・メイクを好きになった3つのステップ【ひらりさ】

外見によって人を評価・差別するルッキズム(外見至上主義)が蔓延する社会って生きづらい。でも、それじゃあ美容やコスメは何のために存在するの? 前回のコラムでルッキズムにまつわる苦悩を明かした、ライター・「劇団雌猫」メンバーのひらりささんは、大の美容・コスメ好きでもあります。今回はルッキズムにとらわれずに自分自身の「美」を楽しむ方法を、実体験を元につづります。

20代半ばまでは、自分の顔や、世の中の「美容」にまつわるあれこれとは、できる限り距離を置いて生きたいと思っていた。化粧品も美容誌も資本主義とマウンティングの権化って感じで怖いと思いこんでいたし、余ったお金があればできるだけオタク資金につぎこみたいから極力そのまま興味を持たずにいようと思っていたからである。

以前の記事でふれたように、美容やメイクに精を出すと一気に「採点」の対象となり、「美人でもないのに」という周囲からの声が聞こえそうで怖かったのもある。

でも今は、コスメにお金を使い、自分の顔に日々向き合うことが楽しくてたまらない。現在の私の考えを、できるだけ短く言い表すならば、

「美容で大切なのは、客観的に『きれい』かではなく、自分の顔を、好き/どうでもいい、と思えるようになるか」

となるだろう。

今回は、私が「好き」の境地に達するまでに踏んだステップをご紹介したい。

1) まずは「楽しんでいる」人の話を聞いてみる

あなたの周りに誰か一人は、世間体とか他人ウケとか関係なく、最近のトレンドとかとも関係なく、自分なりの美容・メイクにお金をかけている人がいるんじゃないだろうか。

私が美容・コスメにポジティブな気持ちを持てるようになったのは、人からの「かわいい」や世間の「美人」を目指すのではなく、自分が萌える・高まるコスメやメイクを追求している「コスメ沼」の人たち(それによりむしろ、周囲から「やりすぎ」と引かれていることすらある)に出会ったのがきっかけだった。

「あ!美容とかメイクとかって、趣味として楽しめるものなんだ」と気づいたのだ。世間から押し付けられるマナー・身だしなみには鳥肌が立ったが、オタクゆえに「ハマりがいのある趣味」としての美容・メイクには、するすると引き寄せられた。

友だちの中にそういう人がいれば、「正直、普段化粧品をほとんど買わないんだけど、思い切ってコスメカウンターに行ってみようかなと思っていて。私にあいそうなブランドってあるかな?」と聞いてみてほしい。

立板に水のごとく推しブランドをおすすめしてくれるかもしれないし、「今はプチプラでも質のいいやつたくさんあるよ!」と、そのままドラッグストアに連れて行ってくれるかもしれない。そこで「メイクがそんなに好きになった理由」や「日々の化粧の段取り」などを聞ければ、さらにベター。

私はかつて、コスメブランドのカタカナ名称を見るだけで頭が痛くなるので、絶対にデパコスフロアはそそくさと通り抜ける人間だったのだが、コスメ沼の友人にじっくり話を聞いてからは、するすると脳に情報が入るようになってきて、今では週1〜2回は伊勢丹デパコスフロアの空気を吸いに行くようになってしまった。

その友人はTwitterの相互フォロワーだったので、対面で話を聞いたあとツイートで「メイクの全工程」を教えてもらった。

全部を書いてもらったことで、「うわー!絶対こんなに沢山の化粧品を使う必要がないことはさすがの私にもわかる!(笑)」と思え、逆に美容・コスメへのハードルが低くなった。最低限でもいいし、やればやるほど楽しくなることもあるんだ、という感覚を体得した。

身近にそういう人がいない場合には、いわゆる「コスメ垢」「美容垢」(TwitterやInstagramで、自分なりのコスメ・美容情報を発信しているアカウント)を探してみるといいだろう。「#ベストコスメ」のようなハッシュタグを追っていると、この人の言葉遣いやテンションいいな〜、と思えるアカウントがあるはずだ。

ちなみに他媒体だが、気になったコスメ垢の中の人に話を聞く「コスメ垢の履歴書」という連載もやっているので、「楽しんでいる」人探しのとっかかりにしてもいいかもしれない。

2) 「きれい」の型・基準を学んでみる

さて、1)をしたうえで「趣味なんだから、気楽にいろいろやってみようかな」「教えてもらった化粧品、気になったから買ってみようかな」と思えた人は、次に「型」「基準」を覚えることをおすすめする。

「え、面倒だから、やだよ!」「世間の『きれい』は気にしなくていいって言ったのに……」と思う人もいるかもしれない。学ぶのは、世間の価値観というよりは、単純にテクニックだ。どんな趣味にも「上達するとうれしい」「人から褒められるとうれしい」段階があるはずで、それを実感するにはやはり、まずは「世間で一定の評価を得ている型や基準」を知り、実践してみることが一番である。

たとえば私はSHISEIDOのメイクレッスンに参加したら「私、せっかく塗ってるファンデーションが厚塗りでムラだらけだったんだ!」という初歩的なことに気づいたし、パーソナルカラー診断に行ったことで「その口紅めっちゃ似合ってるけどどこの?」というような質問を受ける機会が生まれた。

情熱さえ持てれば自分でファンデくらいムラなく塗れるし、自分に似合う色もタッチアップすりゃわかるわ、という人もいるだろう。それはもちろん、自力でやればいい。しかし長年自分の顔から目をそむけていた人間にはどうしても気づけないこと、というのが結構あって、「他人に見てもらう」ことは、孤立無援で四苦八苦するよりもとてもコスパがいいと思う。

ちなみに私はメイクにハマりたてのころに、「現場におしゃれして行ったよ」という趣旨の記事執筆を頼まれて写真で顔出ししたら、公開後に「メイクはいいけど髪の毛がぺったりしていてみっともない。シャンプーがあってないのでは」と指摘されたことがあった。

そのコメントには当初「なんでそういう言い方するのかな〜」という哀しい思いを抱いたが、すぐに「いや、しかし私……『シャンプー・コンディショナーと髪の毛の相性』というものを気にしたことがなかった!」と気づいた。そこで、そのツイートをRTしたうえで、「自分では気づいてなかった……合いそうなシャンプーあったら教えてほしいです^^」とツイートしたところ、たくさんのおすすめシャンコン情報があつまり、その一つを今でも愛用している。

あえてダメ出しに対して「じゃあどうすればいいんだよ!」と言ってみるのも手だ。私のように、ズボラだという自覚がある人はとくに……。

3) 「きれい」を取捨選択して「好き」にシフトしてみる

と、「世間の目もバカにはならない」という話を書いたが、すべては「そんなの関係ねえ!」の境地に行き着くための準備だ。というのも、型・基準はあくまでテクニックを学ぶためのだと2)では書いたけれど、そこには当然「世間の価値観」もついてくるからだ。

自分の肌にあうファンデーションカラーを選んでいるつもりが「肌の色は均一で白いほうがいい」という価値観がともなっていたり、パーソナルカラーにあわせて色合いを選んでいるつもりが「年相応に見える色合いがいい」という価値観が裏にひそんでいたり。

もちろんこういった価値観が、客観的な「きれい」の土台になっている部分もあるはある。でも、それを全部受け入れてしまっては、だんだん息苦しくなるだろう。「美容・コスメって、人生を楽しくしてくれるんだな」という気持ちからスタートしたわけだから、それでは本末転倒だ。

型・基準を追ってみたうえで、「でも、そばかすを隠さない顔も自分では気に入ってるかも」「でも、このドピンクのパーカー着たいよ〜!」なんて気持ちを優先する図々しさが必要になってくる。

自分を貫くと、世間の「採点」は苛烈になるかもしれない。わかってくれない人に対しては「擬態」してもいいし、たまに「異性の好み」みたいなものでコテコテにしても、発見があるかもしれない。美容・メイクのいいところは、その日の気分によって、モードを変えられることなのだ。周囲の「きれい」に寄せてみたり、世間の「好き」に寄せてみたり、あれこれ試行錯誤することで、自分の自意識や日々の心持ちにとってちょうどいいラインが見つかるはずだ。

客観的な「きれい」の基準を学びつつもそれに縛られず、自分の顔を「好き」になる。あるいは自意識上の好し悪しのリングからも降りて、身体のごく一部として、「どうでもいい」と受け流せるようになるこれが、皆さんにお勧めしたいステップだ。

私は決して“美の賢者”のような人間ではないが、誰にでも、美容を「好きになる」「楽しむ」チャンスと方法はある、というのは知っている。もっとたくさんの人が、美容を「好きになる」「楽しむ」ことができますように!

1989年東京生まれ。会社員として働く傍ら、ライター・編集者として活動。、FRaU、マイナビウーマンで連載中。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーでもあり、編著に、『浪費図鑑』(小学館)など。
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