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私たちにはもっともっと「肯定」が必要だ――マンガ『だから私はメイクする』に寄せて【ひらりさ】

外見によって人を評価・差別する「ルッキズム(外見至上主義)」。「女」にまつわる執筆・取材を続けるライターであり『だから私はメイクする』を刊行した「劇団雌猫」のメンバーのひらりささんが考える、美と肯定の関係とは。「美についてなんて考えたくない。ほっておいて」そんな気持ちになってしまう人こそ、ぜひ読んでみてください。

3月に発売されたマンガ『だから私はメイクする』(祥伝社)が話題になっている。

私が所属するユニット・劇団雌猫が原案を担当したメイクや美容にまつわる女性たちの胸のうちを描いたオムニバスコミック。各話のストーリーは、同名のエッセイ集『だから私はメイクする』(柏書房)に収録されている実話をベースにアレンジされている。さらに元をたどると、同人誌として出した「悪友DX 美意識」が、企画の発端となっている。

同人誌を出したのは2017年春のこと。

インターネットでは、「パーソナルカラー診断」が盛り上がっていた。かいつまむと、人にはそれぞれ生まれ持った肌・髪などの色にあったカラーがあり、それを知ることで服装やメイクがより効果的なものになるという考えのもとに、人間を似合うカラータイプごとに分けるメソッドだ。その分類は、イエローベースの春・秋、ブルーベースの夏・冬の4つというもの。当時、多くのコスメアカウントが、「りさ@イエベ春診断済」などと、自分のパーソナルカラー診断結果をアカウント名に添えていた。ちなみにご存知ない方のために説明すると、診断済、というのは「自己診断ではなく資格を持つプロに診てもらいました」という意味である。

以前のエッセイでも書いたが、私は20代半ばまでほとんどメイクに関心がなく、コスメを自分で買うのもせいぜい「リップの刻印サービスやってる!よし、推しの名前を入れるか〜」なんてときか、見た目のかわいいクリスマスコフレが目についたときくらい。だいたいは同居していた母親のアイテムを使わせてもらいまくっていた。そのため、自分に合うカラーどころか、「カラー同士にも合う・合わない」があるということすら認識しておらず、しっちゃかめっちゃかの素人絵画のようなメイクをしていた。だが、友人に誘われてパーソナルカラー診断におもむき、全てがガラリと変わった。

コスメカウンターにずらりと並ぶ無限のカラーバリエーションの中から「自分に合うもの」がポップアップして見えるようになり、何を買うべきかがわかるようになったのだ。それ以前に資生堂のメイクレッスンも受講し、「正しくていねいに、自分の顔の特徴にあわせたメイクをすると、人はこんなに変わる!」というのは理解し、メイクに興味を持つようになってはいたものの、「あのコスメ買いたい」「あの色試してみたい」というようなワクワクが生まれたのは、パーソナルカラー診断以後だった。

そうやってメイクの楽しさを知ったことで、人がどんな思いを抱えながらメイクと向き合っているのかが気になり始め、同人誌をつくり、それを仲間とともに書籍として生み直して……をやってきたのだが。今回コミック版への反響がとてつもなく大きかったことに、原案者の一人ながら非常に驚いた。

とにもかくにもコミックの著者であるシバタヒカリさんの画力・描写力が素晴らしいということに尽きるが、もう一つ大きいのは、やはりシバタさんが「自分で自分を肯定することは素晴らしい!」というメッセージのストーリーに大きく振り切ってくれたところにあると思う。

すべての女にあてはまる「美」はあるか

実は元となった書籍・同人誌のほうには、「よそおいの負の側面」にフォーカスしたエピソードもそれなりに含まれている。たとえば、「太っていたために衣装が入らず、スナックで働けなかったことをきっかけに、痩せようと決意した女」(書籍収録「痩せたくて仕方のない女」)や、「一重で生まれた彼女のまぶたに、母親が傷をつけて二重にしようとされた女」(同人誌収録「呪いをかけられた女」)の話がそれにあたると思う。自分を「好き」になることが出発点ではなく、自分の選択や意志と関係なしに、誰かの決めた「美」に巻き込まれたり、誰かの決めた「美」にがんじがらめにされたりして、もがいている人も少なくない。そこでもがくことをやめることで、魂の平安を得た人もいるだろう。

全ての人間に向かって、「美しくあろうとすることは、自分を肯定するための手段だ」と、安易に言うことはできない。私たちの世界は、もっと複雑で、こんがらがっていて、ペシミスティックで、一概には言い切れない。昨今の「どんな人だってありのままが美しい」というトレンドに対し、「私は私のことをブスだと思っているので、勝手にさせてほしい」と怒る人がいるのも、理解できる。すべての女のエピソードは、一人ひとりの話でしかなく、すべての女(男も)に当てはまる「美の秘訣」は存在しない。

しかし、そんな世界のこんがらがりを踏まえて、「美」の功罪をわきまえ、「勝手にさせてほしい」人を踏みにじらない繊細さを持ちつつ、それでも「自分で自分を肯定することは素晴らしく、メイクは最高の一手段となりうる」と力強く宣言することには、やっぱり意味があるのだと思う。というのも、自発的にメイクを楽しんでいる人のなかにすら、「これでいいのかな」という気持ちを抱えている人がたくさんいるからだ。

それでいいんだよ……

メイクを自分のためにやっていると確信し、新作コスメに心踊らせ、毎日鏡に向かう時間を堪能し、お直しポーチを宝物のように思っている人ですら日々、他者から向けられる言葉——「今日何か気合入ってるね(笑)」「俺の好みじゃないな〜」「もっとナチュラルメイクがいいんじゃない?」みたいな揶揄にさらされる機会が、多々ある。

その中で、できるだけサバイブして生きようとしている女たちに、よりクリアなメッセージとして「あなたの頑張りはかっこいい」と伝え、全力で背中を押してあげたのが、マンガ『だから私はメイクする』なのだろう。SNS上で「元気が出た」という声と同じくらい「泣いた」という声を見かけるのは、そのメッセージに心から励まされた人たちなのだと、励まされた読者の一人として感じた。メイクを楽しんでいる人たちにすら、「それでいいんだよ」とお互い声をかけあう必要、そして自分だけでは心折れそうな瞬間が、まだまだある世の中なのだ。

チクチク刺さる魚の小骨を飲み込みながら暮らすことを、「最低限度のマナーなんだから当然」や「コミュニケーションの一環」なんて言葉で強要してくる社会は、マジでクソクソクソだ。最終的には、そんな小骨(魚も)が消滅してしまうのが一番である。だから遠くない未来、そこまでたどりつけるように、まずは一人ひとりの、小骨で傷つけられて「これでいいのかな」と悩む心をとことん勇気づけあいたいと思う。メイクはきっと、そのための魔法でもあるはずなのだ。

1989年東京生まれ。会社員として働く傍ら、ライター・編集者として活動。、FRaU、マイナビウーマンで連載中。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーでもあり、編著に、『浪費図鑑』(小学館)など。
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