モデル(33歳)

恋愛や結婚のかたちにはこだわらない。同じ価値観を持つの友人と子どもを一緒に育てるのもありだと思う。

モデル・Natsuko Natsuyama (ナツコ ナツヤマ) さん(33歳) デンマーク・コペンハーゲンと東京2つの都市をベースに、世界各国を旅しながらモデル・ライターとして活動しているナツヤマナツコさん。撮影で世界を飛び回っているため、コペンハーゲンで彼女に会えるのは希なこと。コペンハーゲンの美術館でゆったりとした時間を過ごしながら、彼女の凛とした生き様を聞くことができました。

大阪、東京を経て、世界中を飛び回るモデルへ

ヨーロッパを拠点にモデルの仕事をしています。ヨーロッパ以外にもアメリカ西海岸、アフリカ・ケープタウンなど各国のエージェンシーと契約しているので、撮影でさまざまな国に行き、いろいろな国の人たちと仕事ができることが魅力です。

高校生までは長年ピアノを習っていたので、音大に入って音楽に関する仕事がしたいと思っていました。ところが、好きだったピアノが試験勉強に変わったことで、そこまでのめり込めなくなります。高い学費もあって、現実とのギャップに諦めざるをえなくなりました。目先の目標がなくなり、将来何をしたいかふと考えた時に「いろいろな国を飛び回れる仕事がしたい」と思い、モデルとして海外で活躍する姿を描くようになりました。モデルを志したきっかけは、高校時代に受けたオーディション。友人が誘ってくれて好奇心でついて行き、最終選考まで残った経験が背中を押してくれました。

その後、大阪のモデル事務所に入ったのですが、事務所のすすめもあって高校卒業と同時に東京に拠点を移しました。東京では「アジア系モデル」として仕事を依頼されることが多くありました。ある撮影で、10人中9人が欧米のモデルの中、1人アジア枠として採用されたり、海外のデザイナーの来日ショーがある時に、アジア人モデルとして選ばれることが多かったため、「海外でも挑戦してみたい」と思うようになりました。

いつ死んでもおかしくないから、やりたいことがあるなら今行動する

私にとって一番辛かったのは、20代半ばの頃。仕事のことや、7年間付き合っていた彼とのことで悩んでいて、今ではその頃の記憶が思い出せないくらい、生きていた実感がありません。さらに東日本大震災、福島の原発事故が起こり、「いつ死んでもおかしくない」と強く感じるようになりました。この出来事がきっかけで、やりたいことを今やらないでいつやるんだ?と思い始め、ようやく海外に行く決心がつきました。
そこから半年間、モデルの仕事以外に、夜も土日も空いてる時間は全てバイトをして、1分たりとも遊ぶ時間を作らずお金を貯めました。それでも目標にしていた金額は貯められなかったけれど、行くと決めていたタイミングで出発することになりました。

本命は、ニューヨークかヨーロッパ。しかし英語が全く話せなかったので、語学の勉強とポートフォリオづくりのため、最初はタイ・バンコクに渡りました。そこで入りたい事務所に所属して、ポートフォリオづくりともっとお金を貯められたら次の国に行くというルールを課しました。その後シンガポールと上海にも数ヶ月ずつ滞在し、どうにかポートフォリオと資金を作ることができたので、海外に出始めて6ヶ月後にはニューヨークへ行きました。

心の声に従い、「好き」を基準にコペンハーゲンへ

念願叶って、ニューヨークとミラノの2拠点でモデルの仕事ができるように。3年ほど仕事中心の生活を続けていたのですが、ある時体調を崩してしまいました。海外でモデルの仕事ができるようになり、ある程度結果もついてきて満足でしたが「仕事のための人生」に違和感を感じ始めました。住む環境や仕事環境も合わない中で奮闘していたので、その歪みが体の不調として現れたのでしょうね。

体調を立て直しながら、どんな働き方や暮らしがしたいか?を真剣に考え、自分の「好き」に従ってひとつひとつ選び直すことにしました。そう決めた時に真っ先に浮かんだのが、デンマークの首都・コペンハーゲン。以前撮影で何度かコペンハーゲンに来た時、人々の暖かさやスマートさ、空港から始まって街全体の居心地の良さ全てに感動したことを思い出しました。何がそんなに魅力的なんだろうと、ずっと心のどこかに引っかかっていたんです。

それから生活の拠点をコペンハーゲンに移しました。ニューヨークやミラノをベースにしていたからこそ、得られていた仕事を失うことになるので、少し勇気が必要でした。でもダメだったらまた考え直せばいいし、自分の心の悲鳴に耳を傾けずに生きるよりは、そのリスクを取る方が良いと判断しました。

幸い、移住後も仕事のオファーが続き、仕事の質も上がりました。ただ、こうして仕事をいただけるのは、日本でもがいた日々やニューヨークやミラノでの経験があったからです。人生には多少無理をしてでも自分のフィールドを耕す時期、そこで育てた実を収穫する時期といったサイクルがあるように思います。今後も来たるべきタイミングでそのサイクルを行き来しながら、より豊かな人生を築いていきたいです。

デンマークでみた可能性を伝えていきたい

拠点をコペンハーゲンに移してから、モデルの仕事とは別にライターの仕事を始めました。「ただ好きだから」という理由でコペンハーゲンを拠点にしたことに妙に責任を感じてしまって(笑)。前々から日本のために何かしたい、そろそろ黙っていないで考えを発言するべき、と思っていたこともあり、デンマークのカルチャーや社会問題に対する取り組みを発信し始めました。最初はブログに書いていたのですが、ありがたいことに日本のメディアや日本支社があるデンマークの会社から「うちでも書かないか」と声をかけてもらえるようになったんです。

デンマークには、人にも環境にも優しい画期的なアイディアやシステムがたくさんあると感じています。デンマークに来て、日本を客観的に見られるようになってから、原発やプラスティック問題、政治や教育システムなどについて疑問に思っていたことが、「解決できないものではない」と確信に繋がりました。国や会社など大きな組織にアプローチして変えようとすることは難しいけれど、少なくとも自分の考えを持ち発言することはできるし、同じ考えを持つ人たちとシェアすることで良い波動を広げていくことはできると思っていて。その輪をどんどん広げていきたいですね。

結婚は第三者に説明するための記号でしかない。

私は恋愛や結婚の形にこだわる必要はないと思っています。私の場合は常にいろいろな国を飛び回っているので、リレーションシップの定義があってないような感じですが、素敵な出会いがあれば友人か恋人かなどは気にせず、相手と良い時間を共有することに重きを置いています。

結婚や恋人という言葉には、人それぞれの考えや期待が含まれています。関係性の定義は誰かに説明するためだったり、人によっては自分自身を安心させるために必要なこともありますが、無理やり言葉に当てはめなくてもいいと思います。自分と相手との間に確かな感情がシェアされていれば、それでいいのではないでしょうか。

子どもは授かったらラッキーだし、授からなかったらそれはそれで自分の人生を楽しむし、どちらでもいいけれど、正直私はまだ産む準備はできてないです(笑)。万が一、自分の体では産めなくなってから子どもがほしくなったら、養子縁組も視野にあります。パートナーや恋人とでなくても、同じ価値観を持つ友人やゲイカップルの友人と子どもを一緒に育てるのもありだと思います。既存の価値観にとらわれない人生を、共感しあえる人たちとクリエイトしていきたいですね。

フリーライター/コミュニティマネージャー。慶應義塾大学卒業後、IT企業の広告営業、スタートアップのWebマーケティング・コミュニティ運営を経て、フリーランスのライター・コミュニティマネージャーとして活動中。2019年はデンマークを拠点に「誰もが自分らしさを取り戻せるコミュニティデザイン」を模索しています。