本という贅沢。32 〈後編〉

「楽しければ楽になる。心と現実をつなぐ本を作りたい」編集者・谷綾子

社会現象となった『うんこドリル』をはじめ、児童書の大ヒット作をたくさん手がける一方、『料理のきほん練習帳』、『一日がしあわせになる朝ごはん』などの実用書のベストセラーも送り出す文響社の谷綾子さん。後編は、朝ごはん本と昼ごはん本の秘密に迫ります。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが聞きました。

●本という贅沢。32 〈後編〉

  • (上段左から)
  • 『こころのふしぎ なぜ?どうして?』(大野正人さん/56万部)
  • 『料理のきほん練習帳』(小田真規子さん/40万部)
  • 『世界一美しい食べ方のマナー』(小倉朋子さん/9万6000部)
  • (以上高橋書店)
  • 『うんこ漢字ドリル』(シリーズ344万部)『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』(大野正人さん/5万3000部)
  • 『一日がしあわせになる朝ごはん』(小田真規子さん/7万8500部)
  • 『休日が楽しみになる昼ごはん』(小田真規子さん/2万部)
  • (以上文響社)

入社1年目に企画。10年ごしで世に出た「朝ごはん」本

――「朝ごはん」本、それから今月発売になったばかりの「昼ごはん」本は、読むだけでわくわくする本です。作り手目線でいうと、あの作り込みは、どれだけの労力かと……。

谷綾子さん(以下、谷): 朝ごはんの本は入社1年目から作りたいと思って企画を出していた本なんです。

谷: というのも、私、朝起きるときの「あー眠い。しんどい」って気分が嫌で。なんで一日の始まりに、こんな思いをしなきゃいけないんだと。でも、美味しいコンビニスイーツを買っておくと、それが楽しみでひょいと起きられたりする(笑)。朝ごはんが楽しみになったら、毎日爽やかに起きられるようになるんじゃないかなと思って。

人生の幸せって、壮大な夢を叶えた時だけに訪れるものではなくて、一日単位の幸せの積み重ねなんじゃないかと思うんです。だから、誰もが毎日食べるご飯で、手軽に幸福感を味わえたらいいなあと。

レシピ本の常識を変え、爆発的なヒットに。

『一日がしあわせになる朝ごはん』
『休日が楽しみになる昼ごはん』

――こんなに手間暇かかった本、他にないんじゃないでしょうか。全ページレイアウトが違いますよね。

谷: 確かに、新人時代に企画が通っていたら、この本は作れなかったと思います。イラスト、文章、写真とレシピ。いろんなことがわかった今だからこそ、ここまで遊べたという気がするので。

『3月のライオン』からヒントをもらった、”心”に作用する料理とレイアウト

谷: 最初にテストでいただいたデザインは、シンプルで美しいレイアウトだったんですよね。でも、何かが違う。何が違うんだろうと悩んで「自分が心を動かされたものを見て考えよう」と思って読み直したのが、大好きな『3月のライオン』(羽海野チカさん)だったんです。

あの漫画の中に、学校でいじめにあったひなちゃんにあかりさんが「晩ごはんは何がいい?」と聞くシーンがあるんです。ひなちゃんは「シチュー」と答えて「ご飯にかけてもいい?」と尋ねます。
私、そのシーンを読んで号泣しながら、「これだ!」と思いました。料理は処方箋にもなる。もっとあったかくて、精神的なところに作用する本にしないといけない、となんとなく思ったんです。

――その感じはよくわかります。これから書籍が担っていかなきゃいけないのは、例えばレシピ単体では表現できない物語を紡いでいくことかもしれないですね。

谷: 同感です。私もクックパッドを使っていますし、レシピだけならネットの無料の情報でまかなえてしまう。
人がお金を出す時って、もっと「気分」にお金を払っていると思うんです。だから、この本は「気分を具現化する」ことをミッションに掲げました。

『休日が楽しみになる昼ごはん』のラフと実際のページ。掲載したいレシピ、伝えたい原稿の文字数を元にラフ作り、撮影に臨む

谷: デザインのイメージを共有するのは難しいのですが、私の場合、感覚的なキーワードをたくさん並べたり、読者にこんな気持ちになってほしいと伝えることが多いかな。
「朝ごはん」の時は「フェスティバル感」や「絵本みたいにしたい」「夜にベッドやソファで読む本なんです」ということを伝えました。

――私、この本を書籍の作り手としてバイブルにしているんです。何度も読み返しているのですが、この本には“思想”がありますよね。

谷: 思想!それを感じ取ってもらえるのは、凄い。思想があるかどうかは、常に意識しています。この本にその強度が出せているとしたら、嬉しいです。

――強度、ですか?

谷: はい。思想の深さが、書籍の強度に繋がる気がするんです。
この本には、どうすれば簡単に美味しく作れるかを研究し尽くした先生のレシピ、どうすれば美味しく料理を撮れるかずっと考え続けているカメラマンさんの写真……と、神ぞろいスタッフさんたちの思想の積み重ねが表現されているんです。
その重なりが、何度も読むに耐える“強度”になっているのだとしたら、嬉しいなあ……。

一番楽なのは、楽しいことである

――谷さんの本を見ていると、読者の心の深いところに届ける時に、難しい論理は必要ない。楽しいことが大事なんだなと感じます。

谷: 私、最近、「一番楽なのは、楽しいことだな」って思うんです。
レシピや手順を簡単にしました!という手法は、みんな既にやっているから限界がある。でも、楽しいと思えたら、なんでも楽になりますよね。だから気持ちをコントロールした方がいいんじゃないかな、と。
もちろん、5分で作れることも大事ですが、楽しくて作りたいという気持ちになれば、時間は苦にならなくなりますよね。

――ああ、それって……発明ですね。よく考えたら『うんこドリル』もそうですよね。楽しいから勉強が楽になる。

谷: ほんとだ!確かに、そうですね。
この「一番楽なのは、楽しいこと」というのは、私も最近やっと言語化できたんです。
心を救ったり、楽にしたりといった精神的な側面と、現実的な課題を結びつけるような本を、ジャンル問わずこれからも作っていきたいと思います。

――最後に、telling,読者にメッセージをいただけましたら。

谷: 書店って、宝くじより効率よく幸福になれる場所だと思うんです。ランチ1回分の値段で、一生が変わるチャンスが転がっている場所ってすごいですよね。
ひょっとしたら本を買う時は、「ちゃんと最後まで読めるかな」と構えることが多いかもしれません。でも、おやつのような感覚で、つまむように気軽に付き合ってもらえたらと思います。

続きの記事<彼と共に過ごした私が死ぬ。失恋ってそういうこと。>はこちら

  • 【さとゆみのつぶやき】
    谷さんを紹介してくれた友人が「天使のような人ですよ」と言っていましたが、まさに天使でした。その可愛らしさや、お人柄もそうですが、彼女が道を照らして我々を導いてくれているところなんかも、出版業界の守護天使のようです。
    本文中にも書いたように、『一日がしあわせになる朝ごはん』は、私のバイブルです。私が知る中で最も「紙で読む理由が明確にある本」だと思うからです。谷さんの本を見ると、まだまだ紙の書籍でしかできないことがあると勇気をもらえます。周回遅れで背中を追いかけている気がしますが、これからもエンジェルの背中を追いかけたいと思った取材でした。

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。