【ふかわりょう】魔法のケトル
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」13
魔法のケトル
わざわざ買いに行ったのか、たまたま目に入ったのか、生活雑貨屋さんの棚で遭遇して、レジに持って行ったのがもう、15年くらい前のこと。値段に釣り合った効果が現れるのか半信半疑ではありましたが、そのフォルムに惹かれて、使ってみたくなりました。
ドイツ製の「ケトル」。たしかに「やかん」というより「ケトル」という方が似合います。ドーム型で、注ぎ口と柄の部分が黒くなっていて。もしアップル社が販売したらこんな感じたろうというクールなデザイン。インテリアとしてもバッチリ。ラグビー選手が倒れた時にマネージャーが持ってくるやかんとは、住む世界が違うようでした。
そんな見た目の効果もあってか、このケトルで沸かしたお湯で淹れると、コーヒーも美味しく感じました。そして何よりあの音色。初めて沸騰した際に奏でられた音はとても上品で、感動すら覚えました。まるでフルートのように優しい響きは、ウィーン・フィルに配属されてもいいくらい。形状的にも、ホルンの横なら違和感ないでしょう。
そんなケトルにも一度、引退の危機が訪れました。注ぎ口の細いコーヒーポットをいただいたときです。コーヒーのお湯を沸かす専門だったケトルが、それに取って代わられようとしています。しかし、たまたまうちのIHにコーヒーポットのサイズに合わず、どうにか難を逃れたのです。
ある日、油などが付着し、周囲がかなり汚れていることに気がつきました。こんなに汚れていたなんて。ゴシゴシ磨いて、久しぶりにピカピカになったケトルから浮かび上がったのは、初老の男性でした。そう、自分の表情。ケトルに映る自分の顔はとても疲れていて、眉間にシワを寄せています。こんなに疲れた顔をしているのは良くないと、慌てて口角を上げてみたり。
購入したときの顔は、もっと、つやもハリもあっただろうに。ケトルも光沢こそ取り戻しましたが、ところどころに錆びがあります。お互い年をとりました。
あの日、雑貨屋さんで出会って以来、ケトルはずっと、僕の生活を見つめています。ケトルに映る、ノート・パソコンに向かう自分の姿が、魚眼レンズのように大きく広がっています。「ヒュルルルルー」。今日もお湯が沸きました。ここから、ポットに入れ替えて、挽いたばかりのコーヒー豆にお湯を注ぐひととき。これから涼しくなると、演奏回数も増えるでしょう。コーヒーの香りに包まれて、原稿を書く午後。ケトルが、秋の空を映していました。
タイトル写真:坂脇卓也