相手の魅力だけでは、結婚という決断に踏み切れなかった。

　お待たせしました。甲状腺の定期健診で来たんですけど、今日は特別混んでいて。さっきはようやく受付が終わったところで、待合室も混んでたから、いったん外に出ようと思って、保険証とかをバッグに片付けていたときなんです。バタバタしていましたよね。恥ずかしいです（笑）。

自分の体を使う仕事が、本当に好きなんです

　職業はバレエダンサーです。クラシックがメインですが、コンテンポラリーや創作ダンスも踊ります。スポーツクラブのスタジオやバレエ教室で教えたりもしています。

　バレエは3歳から始めて、今年で30年目になります。レッスンは厳しいし辛いこともあるけれど、辞めたいと思ったことは一度もないですね。大好きです。自分が上手いとは思わないですが、自分の体を使って仕事をすることが、好きなんです。

　バレエって、曲を耳で聞いて、それに合わせて身体を動かして……って、自分の意志で主体的に踊ってる。その一方で、曲に没頭するうちに、自然に体が動いているような、物語に動かされているような、本能に突き動かされているような、不思議な感覚があるんです。それが魅力です。

　バレエ一色の生活を送っている中で、なんとなくぼんやりと、「30歳くらいになったら、「普通」に結婚して、「普通」に家庭に入って、子育てや家事をして、「普通」に暮らしていくんだろうな」って思っていたんです。どうしてでしょう？ 仲の良い両親を見ていて、それが、「普通」で、それ以外の発想もないままに、バレエに没頭していたからかもしれないですね。

相手の魅力だけでは結婚できない

　でも、実際に30代に入って、当時の彼氏との結婚を真剣に考えたときに、人生の選択として、今、自分は結婚を選んでいいのか、わからなくなってしまったんです。お互いの結婚に対する価値観や、経済的なこと、暮らす場所……。具体的に整理していくうちに、違和感が生じてきて。相手の魅力だけでは、結婚という決断に踏み切れませんでした。

　ちょうどそのころ、手の指を曲げたり伸ばしたりしにくくなって。最初はリウマチかな？ と思ったんですが、だるさが続いて、これはちょっとおかしいぞと。結局、リウマチの血液検査をして、甲状腺の異常がわかりました。ショックでした。体力が落ちて、バレエが続けられなくなるかもしれないと思ったんです。

　結婚を含め、これからどうしようと鬱々としていたときに、実家から「父が心筋梗塞で倒れた」と連絡が届きました。そのとき、今、自分に大切なのは、将来の家族のことではなく、今ある家族――両親のことですが――を守ること、それが私に課せられたものなんだって思いました。

　それで婚約を解消して、一時的に実家に戻りました。幸い父は回復したのですが、今度は私が動けなくなってしまいました。

人の評価より、自分。今できることをする

　ホッとしたのか、知らないうちに疲れが溜まっていたのか。甲状腺の病気も原因の一つだったのかもしれません。バレエ講師としてのレッスンも、どうしても自分でなければいけないもの以外、別の方に代わってもらって。毎日ゴロゴロしていました。

　1カ月くらい経ったある日、突然、「私、踊りたい！」という気持ちが溢れてきたんです。何かきっかけがあったわけじゃないんです。本当にいきなり。あれはなんだったんだろう……。スマホの充電みたいに、生きるパワーがフルチャージされたのかもしれません。こんなに長い間、バレエを踊らなかったのは人生初の経験でしたから。

　その直後、以前共演した方からバレエ公演のお誘いがあり、一も二もなく引き受けました。ブランクを埋めるために、もう毎日、必死でリハーサルです。でも楽しくて。やはり、バレエの世界こそ、自分が自分らしくいられる場所だと今は思っています。

　長らく所属していたバレエ団を退団して、今はフリーランスです。後ろ盾もないし生活は不安定ではあるけれど、人間関係がシンプルだし、なにより自由。今の私には居心地がいいスタイルです。組織の中の自分は、人の評価を気にして、いい子ぶってしまうところがあって……そんな自分が苦手だったので。

　いろいろあって、今思うのは、人生ってなんだかんだ探すものではないのかなっていうことです。今できること、今したいことを重ねていけば、それが自分の人生になるんじゃないかなって思うようになりました。今、本当に幸せです。一番大好きなこと――バレエが踊れる生活ができているから。いつか結婚しても、きっと私はバレエに携わっていると思います。

表参道にて